世界文学全集のためのメモ 13 『活きる』 余華

中国語編 1

余华(Yú Huá)
余華(よ・か、ユー・ホワ*1
1960-

《活着》
『活きる』
1993

日本語訳
飯塚容訳 余華ユイ・ホア 『活きる』2002年(角川書店

  福贵说到这里看着我嘿嘿笑了,这位四十年前的浪子,如今赤裸着胸膛坐在青草上,阳光从树叶的缝隙里照射下来,照在他眯缝的眼睛上。他腿上沾满了泥巴,刮光了的脑袋上稀稀疏疏地钻出来些许白发,胸前的皮肤皱成一条一条,汗水在那里起伏着流下来。此刻那头老牛蹲在池塘泛黄的水中,只露出脑袋和一条长长的脊梁,我看到池水犹如拍岸一样拍击着那条黝黑的脊梁。

  这位老人是我最初遇到的,那时候我刚刚开始那段漫游的生活,我年轻无忧无虑,每一张新的脸都会使我兴致勃勃,一切我所不知的事物都会深深吸引我。就是在这样的时刻,我遇到了福贵,他绘声绘色地讲述自己,从来没有过一个人像他那样对我全盘托出,只要我想知道的,他都愿意展示。

  和福贵相遇,使我对以后收集民谣的日子充满快乐的期待,我以为那块肥沃茂盛的土地上福贵这样的人比比皆是。在后来的日子里,我确实遇到了许多像福贵那样的老人,他们穿得和福贵一样的衣裤,裤裆都快耷拉到膝盖了。他们脸上的皱纹里积满了阳光和泥土,他们向我微笑时,我看到空洞的嘴里牙齿所剩无几。他们时常流出混浊的眼泪,这倒不是因为他们时常悲伤,他们在高兴时甚至是在什么事都没有的平静时刻,也会泪流而出,然后举起和乡间泥路一样粗糙的手指,擦去眼泪,如同弹去身上的稻草。

  可是我再也没遇到一个像福贵这样令我难忘的人了,对自己的经历如此清楚,又能如此精彩地讲述自己。他是那种能够看到自己过去模样的人,他可以准确地看到自己年轻时走路的姿态,甚至可以看到自己是如何衰老的。这样的老人在乡间实在难以遇上,也许是困苦的生活损坏了他们的记忆,面对往事他们通常显得木讷,常常以不知所措的微笑搪塞过去。他们对自己的经历缺乏热情,仿佛是道听途说般地只记得零星几点,即便是这零星几点也都是自身之外的记忆,用一、两句话表达了他们所认为的一切。在这里,我常常听到后辈们这样骂他们:

  “一大把年纪全活到狗身上去了。”

  福贵就完全不一样了,他喜欢回想过去,喜欢讲述自己,似乎这样一来,他就可以一次一次地重度此生了。他的讲述像鸟爪抓住树枝那样紧紧抓住我。(第34~36页)*2

 福貴フークイはそこまで話すと、ぼくを見て笑った。この四十年前の放蕩息子はいま、肌脱ぎになって青草の上にすわっている。陽光が木の葉の間から漏れ、その細い目を照らしていた。足は泥だらけ、坊主頭に白髪がまばらに伸びている。胸のあたりは幾重にもしわが寄っていて、汗がそこを伝って流れていた。あの年老いた牛は、濁った池の水につかり、頭と大きな背中だけを出している。池の水が黒々とした牛の背中を、岸辺を打つように打っていた。

 この老人は、ぼくが最初に出会った人物だった。ぼくは気楽な旅を始めたばかりで、若くて何の悩みもなかった。初対面の人には誰にでも魅力を感じ、知らない物事には何にでも興味を覚えた。そんなときに、この福貴に出会ったのだ。彼はありのままに自分のことを語った。こんなふうにすべてをさらけ出す人間は、ほかにいなかった。ぼくが知りたいことはすべて、喜んで話してくれた。

 福貴と出会ったことで、ぼくはそれからの民間歌謡の採集が楽しいものになるだろうと期待した。その肥沃ひよくな土地には福貴のような人物がいくらでもいると思ったのだ。その後、ぼくは確かに福貴のような老人にたくさん出会った。彼らは福貴と同じような身なりで、ズボンのまちが膝のあたりまで垂れ下がっていた。顔に刻まれた皺の中には、陽光と土が詰まっている。彼らが微笑むと、ぼっかり開いた口の中には歯がいくらも残っていないことがわかった。彼らはしばしば濁った涙を流したが、それは悲しいからではない。彼らはうれしいときに、あるいは何もない普通のときでさえ、涙を流す。それから、田舎の泥んこ道に似たごつい指で、体についたワラをはじくように涙を拭うのだった。

 しかしぼくは、福貴のように忘れがたい老人には二度と出会わなかった。自分の経歴をこんなによく覚えていて、こんなに魅力的に自分を語る人物はいなかった。福貴には自分の過去が見えていた。若いころの歩みを正確に覚えていた。そして、自分がどうやって老いていくのかも知っていた。このような老人に田舎で出会うことは難しい。苦しい生活のために記憶が損なわれたせいか、老人たちは過去と向き合った途端にことばを失い、しばしば照れ隠しの微笑でその場を取り繕う。彼らは自分の経歴に関心がないので、聞きかじりの話のようなバラバラの記憶しか持ち合わせていない。しかも、そのバラバラの記憶も自分とは無関係のものだった。彼らは、自分の考えの表明をほんのひと言で済ませてしまう。その土地の若い連中は、よくこう言って老人たちを非難した。

「まったく、むだに長生きしてきたもんだ」

 福貴だけはまるで違った。好んで過去を思い出し、好んで自分を語った。まるでそれによって、人生をもう一度経験できるかのようだった。福貴の話は、鳥の爪が木の枝に食い込むように、ぼくの心を強くとらえた。(pp. 49-51)

  家珍病后,凤霞更累了,田里的活一点没少干,家里的活她也得多干,好在凤霞年纪轻,一天累到晚,睡上一觉就又有力气有精神了。有庆开始帮着干些自留地上的活,有天傍晚我收工回家,在自留地锄草的有庆叫了我一声,我走过去,这孩子手摸着锄头柄,低着头说:

  “我学会了很多字。”

  我说:“好啊。”

  他抬头看了我一眼,又说:

  “这些字够我用一辈子了。”

  我想这孩子口气真大,也没在意他是什么意思,我随口说:

  “你还得好好学。”

  他这才说出真话来,他说:

  “我不想念书了。”

  我一听脸就沉下了,说:

  “不行。”

  其实让有庆退学,我也是想过的,我打消这个念头是为了家珍,有庆不念书,家珍会觉得是自己病拖累他的。我对有庆说:

  “你不好好念书,我就宰了你。”

  说过这话后,我有些后悔,有庆还不是为了家里才不想念书的,这孩子十二岁就这么懂事了,让我又高兴又难受,想想以后再不能随便打骂他了。这天我进城卖柴,卖完了我花五分钱给有庆买了五颗糖,这是我这个做爹的第一次给儿子买东西,我觉得该疼爱疼爱有庆了。

  我挑着空担子走进学校,学校里只有两排房子,孩子在里面咿呀咿呀地念书,我挨个教室去看有庆。有庆在最边上的教室,一个女老师站在黑板前讲些什么,我站在一个窗口看到了有庆,一看到有庆我气就上来了,这孩子不好好念书,正用什么东西往前面一个孩子头上扔。为了他念书,凤霞都送给过别人,家珍病成这样也没让他退学,他嘻嘻哈哈跑到课堂上来玩了。当时我气得什么都顾不上了,把担子一放,冲进教室对准有庆的脸就是一巴掌。有庆挨了一巴掌才看到我,他吓得脸都白了,我说:

  “你气死我啦。”

  我大声一吼,有庆的身体就哆嗦一下,我又给他一巴掌,有庆缩着身体完全吓傻了。这时那个女老师走过来气冲冲问我:

  “你是什么人?这是学校,不是乡下。”

  我说:“我是他爹。”

  我正在气头上,嗓门很大。那个女老师火也跟着上来,她尖着嗓子说:

  “你出去,你哪像是爹,我看你像法西斯,像国民党。”

  法西斯我不知道,国民党我就知道了。我知道她是在骂我,难怪有庆不好好念书,他摊上了一个骂人的老师。我说:

  “你才是国民党,我见过国民党,就像你这么骂人。”

  那个女老师嘴巴张了张,没说话倒哭上了。旁边教室的老师过来把我拉了出去,他们在外面将我围住,几张嘴同时对我说话,我是一句都没听清。后来又过来一个女老师,我听到他们叫她校长,校长问我为什么打有庆,我一五一十地把凤霞过去送人,家珍病后没让有庆退学的事全说了,那位女校长听后对别的老师说:

  “让他回去吧。”

  我挑着担收走时,看到所有教室的窗口都挤满了小脑袋,在看我的热闹。这下我可把自己儿子得罪了,有庆最伤心的不是我揍他,是当着那么多老师和同学出丑。我回到家里气还没消,把这事跟家珍说,家珍听完后埋怨我,她说:

  “你呀,你这样让有庆在学校里怎么做人。”

  我听后想了想,觉得自己确实有些过分,丢了自己的脸不说,还丢了我儿子的脸。这天中午有庆放学回家,我叫了他一声,他理都不理我,放下书包就往外走,家珍叫了他一声,他就站住了,家珍让他走过去。有庆走到他娘身边,脖子就一抽一抽了,哭得那个伤心啊。

  后来的一个多月里,有庆死活不理我,我让他干什么他马上干什么,就是不和我说话。这孩子也不做错事,让我发脾气都找不到地方。

  想想也是自己过分,我儿子的心叫我给伤透了。好在有庆还小,又过了一阵子,他在屋里进出脖子没那么直了。虽然我和他说话,他还是没答理,脸上的模样我还是看得出来的,他不那么记仇了,有时还偷偷看我。我知道他,那么久不和我说话,是不好意思突然开口。我呢,也不急,是我的儿子总是要开口叫我的。

  食堂散伙以后,村里人家都没了家底,日子越过越苦,我想着把家里最后的积蓄拿出来,去买一头羊羔。羊是最养人的,能肥田,到了春天剪了羊毛还能卖钱。再说也是为了有庆,要是给这孩子买一头羊羔回来,他不知道会有多高兴。

  我跟家珍一商量,家珍也高兴,说你快去买吧。当天下午,我将钱揣在怀里就进城去了。我在城西广福桥那边买了一头小羊,回来时路过有庆他们的学校,我本想进去让有庆高兴高兴,再一想还是别进去了,上次在学校出丑,让我儿子丢脸。我再去,有庆心里肯定不高兴。

  等我牵着小羊出了城,走到都快能看到自己家的地方,后面有人噼噼啪啪地跑来,我还没回头去看是谁,有庆就在后面叫上了:

  “爹,爹。”

  我站住脚,看着有庆满脸通红地跑来,这孩子一看到我牵着羊,早就忘了他不和我说话这事,他跑到跟前喘着气说:

  “爹,这羊是给我买的?”

  我笑着点点头,把绳子递给他说:

  “拿着。”

  有庆接过绳子,把小羊抱起来走了几步,又放下小羊,捏住羊的后腿,蹲下去看看,看完后说:

  “爹,是母羊。”

  我哈哈地笑了,伸手捏住他的肩膀,有庆的肩膀又瘦又小,我一捏住不知为何就心疼起来,我们一起往家里走去时,我说道:

  “有庆,你也慢慢长大了,爹以后不会再揍你了,就是揍你也不会让别人看到。”

  说完我低头看看有庆,这孩子脑袋歪着,听了我的话,反倒不好意思了。

  家里有了羊,有庆每天又要跑着去学校了,除了给羊割草,自留地里的活他也要多干。没想到有庆这么跑来跑去,到头来还跑出名堂来了。城里学校开运动会那天,我进城去卖菜,卖完了正要回家,看到街旁站着很多人,一打听知道是那些学生在比赛跑步,要在城里跑上十圈。

  当时城里有中学了,那一年有庆也读到了四年级。城里是第一次开运动会,念初中的孩子和念小学的孩子都一起跑。  我把空担子在街旁放下,想看看有庆是不是也在里面跑。过了一会,我看到一伙和有庆差不多大的孩子,一个个摇头晃脑跑过来,有

两个低着脑袋跌跌撞撞,看那样子是跑不动了。

  他们跑过去后,我才看到有庆,这小家伙光着脚丫,两只鞋拿在手里,呼哧呼哧跑来了,他只有一个人跑来。看到他跑在后面,我想这孩子真是没出息,把我的脸都丢光了。可旁边的人都在为他叫好,我就糊涂了,正糊涂着看到几个初中学生跑了过来,这一来我更糊涂了,心想这跑步是怎么跑的,我问身旁一个人:

  “怎么年纪大的跑不过年纪小的?”

  那人说:“刚才跑过去的小孩把别人都甩掉了几圈了。”

  我一听,他不是在说有庆吗?当时那个高兴啊,是说不出来的高兴。就是比有庆大四、五岁的孩子,也被有庆甩掉了一圈。我亲眼看着自己的儿子,光着脚丫,鞋子拿在手里,满脸通红第一个跑完了十圈。这孩子跑完以后,反倒不呼哧呼哧喘气了,像是一点事情都没有,抬起一只脚在裤子上擦擦,穿上布鞋后又抬起另一只脚。接着双手背到身后,神气活现地站在那里看着比他大多了的孩子跑来。

  我心里高兴,朝他喊了一声:

  “有庆。”

  挑着空担子走过去时我大模大样,我想让旁人知道我是他爹。有庆一看到我,马上不自在了,赶紧把背在身后的手拿到前面来,我拍拍他的脑袋,大声说:

  “好儿子啊,你给爹争气啦。”

  有庆听到我嗓门这么大,急忙四处看看,他是不愿意让同学看到我。这时有个大胖子叫他:

  “徐有庆。”

  有庆一转身就往那里去,这孩子对我就是不亲。他走了几步又回过头来说:

  “是老师叫我。”

  我知道他是怕我回家后找他算帐,就对他挥挥手:

  “去吧,去吧。”

  那个大胖子手特别大,他按住有庆的脑袋,我就看不到儿子的头,儿子的肩膀上像是长出了一只手掌。他们两个人亲亲热热地走到一家小店前,我看着大胖子给有庆买了一把糖,有庆双手捧着放进口袋,一只手就再没从口袋里出来。走回来时有庆脸都涨红了,那是高兴的。

  那天晚上我问他那个大胖子是谁,他说:

  “是体育老师。”

  我说了他一句:“他倒是像你爹。”

  有庆把大胖子给他的糖全放在床上,先是分出了三堆,看了又看后,从另两堆里各拿出两颗放进自己这一堆,又看了一会,再从自己这堆拿出两颗放到另两堆里。我知道他要把一堆给凤霞,一堆给家珍,自己留着一堆,就是没有我的。谁知他又把三堆糖弄到一起,分出了四堆,他就这么分来分去,到最后还是只有三堆。

  过了几天,有庆把体育老师带到家里来了,大胖子把有庆夸了又夸,说他长大了能当个运动员,出去和外国人比赛跑步。有庆坐在门槛上,兴奋得脸上都出汗了。当着体育老师的面我不好说什么,他走后,我就把有庆叫过来,有庆还以为我会夸他,看着我的眼睛都亮闪闪的,我对他说:

  “你给我,给你娘你姐姐争了口气,我很高兴。可我从没听说过跑步也能挣饭吃,送你去学校,是要你好念书,不是让你去学跑步,跑步还用学?鸡都会跑!”

  有庆脑袋马上就垂下了,他走到墙角拿起篮子和镰刀,我问他:

  “记住我的话了吗?”

  他走到门口,背对着我点点头,就走了出去。(第95~102页)

 家珍が病気になってから、鳳霞は大忙しだった。農作業はやらなければならないし、家の仕事も増えた。さいわい鳳霞は若かったから、一日じゅう働いても、ひと晩寝ればまた元気が出た。有慶も自留地の仕事を手伝うようになった。ある日の夕方、おれが農作業を終えて帰宅すると、自留地で草取りをしていた有慶がおれを呼んだ。行ってみると、有慶は手に鍬を持ったまま、下を向いて言った。

「ぼく、字をたくさん覚えたよ」

 おれは言った。「それは偉いな」

 有慶は顔を上げ、おれを見て続けた。

「これだけ覚えていれば、一生困らない」

 おれは大した自信だと思うだけで、有慶の言いたいことに気づかず、適当にことばを返した。

「これからもよく勉強しなさい」

 そこで有慶は本心を明かした。

「ぼく、学校をやめる」

 おれはムッとして言った。

「だめだ」

 有慶を退学させることはおれも考えた。しかし家珍のためを思って、この考えを打ち消した。有慶が学校をやめたら、家珍は自分の病気が有慶を巻き添えにしたと思うだろう。おれは有慶に言った。

「真面目に勉強しないと、ぶっ殺すぞ」

 そう言ってから、おれは少し後悔した。有慶は家のためを思って学校をやめようとしたのだ。この子はまだ十二歳なのに、物事がよくわかっている。おれはうれしくもあり、つらくもあり、今後はもう有慶を気安く殴るのはやめようと思った。この日、おれは町へ新を売りに行ったついでに、五銭支払って有慶のために飴玉あめだまを五つ買った。これは、おれが父親として初めて息子に買った贈り物だった。有慶をいたわってやりたかったのだ。

 おれは空の天秤棒を担ぎ、学校に立ち寄った。学校には校舎が二棟しかない。子供たちが教科書を読む声が聞こえていた。おれは有慶を探して、教室をひとつずつのぞいて回った。有慶はいちばん端の教室にいた。年配の女教師が黒板の前に立って授業をしている。窓越しに有慶を見た途端、おれはカッとなった。有慶は真面目に勉強せず、前の生徒の頭に何かをぶつけようとしていたのだ。有慶を学校へやるために、鳳霞は里子に出され、家珍は重い病気にかかった。それでも勉強を続けさせているのに、有慶は授業中に遊んでいるのだ。おれは腹立ちのあまり前後の見境もなく、天秤棒を放り出して教室に入って行った。そして有慶の横っ面を張り倒した。有慶は殴られたあとでおれを見た。驚きで顔が青ざめていた。おれは言った。

「腹の立つガキだ」

 おれが大声で怒鳴ると、有慶はブルッと体を震わせた。おれは有慶の横っ面をもう一発殴った。有慶は身をすくめ、完全に恐れおののいていた。そのとき、女教師がやって来て、怒気をあらわにして言った。

「どなたですか?ここは学校ですよ。田舎とは違います」

 おれは言った。「おれはこいつの父親だ」

 怒っていたので、声も大きかった。女教師も怒りを募らせ、甲高い声で言った。「出て行きなさい。あなたのような人は父親じゃありません。ファシスト、国民党です」

 ファシストは知らないが、国民党なら知っていた。おれは女教師にののしられていることがわかった。有慶が真面目に勉強しないのも無理はない。人を罵るような教師に教わっているのだから。おれは言った。

「おまえこそ国民党だ。おれは国民党を見たことがある。ちょうど、そんなふうに人を罵っていたぞ」

 女教師は口をパクパクさせたが何も言えず、泣き出してしまった。隣の教室の教師が駆けつけて、おれを引きずり出した。教室の外で、おれは大勢の人に取り囲まれた。口々に何か言っていたが、一言も聞き取れない。しばらくすると、また別の女教師がやって来た。周囲の連中は、その教師を「校長」と呼んでいる。校長はおれに、有慶を殴った理由を尋ねた。おれは、鳳雪を里子に出したことから、家珍の病気のあとも有慶を退学させなかったことまで、一部始終を話した。女校長は説明を聞いたあと、ほかの教師に言った。

「この人を帰してあげなさい」

 天秤棒を担いで立ち去ろうとしたとき、おれは教室の窓に小さな頭が鈴なりになっているのに気づいた。おれの騒ぎを見物していたのだ。おれは息子の面目をつぶしてしまった。有慶が悲しんだのはおれに殴られたことではなく、大勢の教師や同級生の前で恥をかいたことだった。おれは家に帰っても怒りが収まらず、事の次第を家珍に話した。家珍は話を聞いて、おれを責めた。

「あなた、そんなことをしたら有慶は学校で立つ瀬がなくなるじゃない」

 そう言われてみれば、おれは確かにやりすぎた。自分の顔だけでなく、息子の顔にも泥を塗ってしまった。この日の昼、おれは戻ってきた有慶に声をかけたが、有慶は返事をせず、カバンを置いて出て行こうとした。家珍に呼び止められ、母親のそばへ行った有慶は肩を震わせ、悲しそうに泣きじゃくった。

 その後一ヵ月あまり、有慶はおれを完全に無視した。何かをやれと言えば従ったが、一切口をきかない。別に悪いことはしないので、おれは怒りの持って行き場がなかった。

 考えてみれば、やりすぎだった。おれのせいで息子の心は傷ついてしまった。さいわい有慶はまだ幼かったので、そのうちに反抗的な態度も薄れてきた。相変わらず、おれが話しかけても返事をしなかったが、顔つきでわかった。有慶はおれを恨んではいない。ときどき、おれを盗み見ることもあった。しばらくおれと口をきいていないので、話しかけるのが照れくさいのだ。おれは慌てなかった。自分の息子なのだから、いずれは話しかけてくるだろう。

 食堂が閉鎖され、家には蓄えもなく、村人はみな暮らしに困っていた。おれはなけなしの金をはたいて、子羊を買おうと考えた。羊はいちばん人間の役に立つ。養は肥やしになるし、春になれば毛を刈って現金に換えられる。有慶のためでもあった。子羊を買ってやれば、どんなに喜ぶことか。

 家珍に相談すると、家珍も喜んで、早く買ってきなさいと言った。その日の午後、おれは金を懐に入れて町へ向かった。そして町の西にある広福クアンフー橋のたもとで子羊を買った。帰りに有慶の学校の前を通りかかったので、立ち寄って有慶を喜ばせてやりたいと思ったが、やはりやめておいた。すでに一度学校で醜態をさらし、息子の顔をつぶしている。また行けば、有慶はきっと迷惑するだろう。

 子羊を引いて町を出て、もうすぐ自分の家が見えるところまで来たとき、うしろからパタパタという足音が近づいてきた。おれが振り返るより先に、有慶の声が聞こえた。

「お父さん、お父さん」

 おれは足を止め、顔を真っ赤にして走ってくる有慶を見た。有慶はおれが連れている羊を見て、口をきかずにいたことなど忘れてしまっていた。そして駆けつけるなり、息をはずませて言った。

「お父さん、羊を買ってくれたの?」

 おれは笑いながらうなずき、引き綱を渡して言った。

「ほら」

 有慶は綱を受け取り、羊を抱きかかえて少し歩いた。それからまた羊を下におろし、うしろ足をつかむと、しゃがみ込んで観察してから言った。

「お父さん、メスだね」

 おれは笑い、手を伸ばして有慶の肩をつかんだ。有慶の肩は痩せ細っていた。おれはなぜか心が痛んだ。一緒に家へ向かいながら、おれは言った。

「有慶、おまえもだんだん大きくなった。おれはもう、おまえを殴らないよ。殴るとしても、人の見ていないところで殴る」

 そう言うと、おれは下を向いて有慶を見た。有慶は首を曲げ、おれの話を聞いている。こちらの方が気恥ずかしくなってしまった。

 羊を飼い始めてから、有慶は毎日また走って学校へ行くようになった。羊の餌の草刈りのほかに、自留地の作物の世話もしなければならない。こうして走り続けたおかげで、有慶は思いがけない栄誉を手に入れた。学校の運動会の日、おれは町へ野菜を売りに行った帰りがけ、通りの両側に人垣ができているのに気づいた。生徒たちが町を十周する長距離走があるのだという。

 そのころ、町には中学校もできていた。有慶は小学校の四年生だ。運動会はその年が初めてで、中学生も小学生も一緒に走るのだった。おれは空の天秤棒を通りのわきに置き、有慶が走るところを見物しようと思った。しばらくすると、有慶と同じ年ごろの集団が頭を振りながら走ってきた。そのうちの二人は下を向き、よたよたして、もう走れない様子だった。彼らが行ってしまったあと、ようやく有慶が現れた。靴を手に持ち裸足になって、フーフー言いながら一人で走っている。集団から遅れているのを見たおれは、だめなやつめ、とんだ面汚しだと思った。ところが、まわりの人たちは喝采かつさいを送っている。おれはわけがわからなくなった。そこへ今度は数人の中学生が走ってきた。ますますわけがわからない。この競走はどうなっているのだろう。おれは傍らの男に尋ねた。

「どうして中学生が、小学生に追いつけないのかね?」

 相手は言った。「さっきの小学生は、ほかの生徒を何周も引き離しているんだよ」 それは有慶のことではないのか? おれは、口では言い表せないほどうれしかった。有慶より四、五歳年上の生徒でさえ、一周遅れているのだ。おれは自分の息子が、靴を手に持ち裸足のまま、一番で十周を走り終えるのを見た。完走した有慶は、もう息をはずませることなく、平然としている。足をズボンにすりつけてから、布靴をはいた。それから両手をうしろに回し、得意そうに、年上の生徒たちが走ってくるのを眺めていた。

 おれはうれしくて、声をかけた。

「有慶」

 おれは天秤棒を担いで、ゆっくりと歩み寄った。周囲の人に、自分がその子供の父親であることを知ってもらいたかった。有慶はおれを見ると急に落ち着きを失い、うしろに回していた手を慌てて前に持ってきた。おれは有慶の頭を軽く叩き、大声で言った。

「いい子だ。おれも鼻が高いよ」

 有慶はおれの大声を聞くと、急いであたりを見回した。同級生におれの姿を見られたくなかったのだ。このとき、太った男が有慶を呼んだ。

シユイ有慶」

 有慶はくるっと向き直って、そちらの方へ歩き出した。おれにはまったく愛想を見せなかった。有慶は少し行くと振り向き、おれに言った。

「先生が呼んでるんだ」

 有慶は、家に帰ったあとでおれにとっちめられると思ったらしい。おれは手を振って言った。

「わかった。行きなさい」

 太った男がバカでかい手で有慶の頭を撫でると、息子の頭は見えなくなった。息子の肩から、もう一本手が生えたかのようだった。二人は親しそうに売店の方へ歩いて行った。太った男が有慶に飴玉を買ってやり、有慶はそれを両手で受け取ってポケットに入れた。ポケットに突っ込んだ片手は、そのまま二度と出てこなかった。戻ってきた有慶はほおを紅潮させ、いかにもうれしそうだった。

 その晩、おれは有慶に、あの太った男は誰なのかと尋ねた。有慶は答えた。

「体育の先生だよ」

 おれは言った。「まるでおまえの親父みたいだったな」

 有慶は体育教師にもらった飴玉をベッドの上に並べ、最初、三つの山に分けて眺めたあと、他の二つの山から何個か取って自分の山に移した。それからもう一度眺めて、また自分の山から何個か取り、他の二つの山に戻した。有慶は自分にひとつの山を残し、二つの山を鳳震と家珍にやろうとしていたのだ。おれの分はなかった。ところが、有慶はまた三つの山を一緒にして、今度は四つの山を作った。このように何度も山を作り直し、最後はやはり三つの山に落ち着いた。

 数日後、有慶は体育教師を家に連れてきた。その太った男は有慶をほめ、大きくなったらスポーツ選手になって、外国人とマラソンで競い合うことができるだろうと言った。有慶は戸口の敷居にすわっていたが、興奮のあまり顔じゅうに汗をかいていた。体育教師の前では言いたいことが言えなかったので、おれは教師が帰ったあと、有慶を呼び寄せた。有慶はほめてもらえるものと思って、目を輝かせておれを見た。おれは言った。

「おまえが、おれや母さんや姉さんのために頑張ってくれたことはうれしい。だがな、マラソンで飯が食えるという話は聞いたことがないぞ。おまえを学校にやってるのは、しっかり勉強させるためだ。マラソンの練習のためじゃない。だいたい、マラソンなんて教わるものじゃないんだ。ニワトリだって、走ることはできるんだから」

 有慶はすぐにうなだれた。そして壁の隅へ行って、籠と鎌を手にした。おれは尋ねた。

「おれの話がわかったか?」

 有慶は戸口のところで、背中を向けたままうなずき、外へ出て行った。(pp. 130-139)

*1:中国語の作家名のカタカナ表記は、平凡社のメディア向け表記ガイドラインの「メディア向け表記ガイドライン」によることにする。

*2:引用は余华《活着》(北京:作家出版社,2010)による。