世界文学全集のためのメモ 23 『浮世風呂』 式亭三馬
日本語編 8
式亭三馬
1776-1822
『浮世風呂』
1809-1813
原文
『新 日本古典文学大系 86 浮世風呂 戯場粋言幕の外 大千世界楽屋探』📗 (岩波書店、1989年)
中国語訳
式亭三马《浮世澡堂》(周作人译,北京:中国对外翻译出版公司,2000)
前編 浮世風呂大意
熟監るに銭湯ほど捷径の教諭なるはなし。其故如何となれば、賢愚邪正貧福高貴、湯を浴んとて裸形になるは、天地自然の道理。釈迦も孔子も於三も権助も、産れたまゝの容にて、惜い欲いも西の海、さらりと無欲の形なり。欲垢と梵悩と洗清めて浄湯を浴れば、旦那さまも折助も孰が孰やら一般裸体。是乃ち生れた時の産湯から死だ時の葬灌にて、暮に紅顔の酔客も朝湯に醒的となるが如く、生死一重が嗚呼まゝならぬ哉。されば仏嫌の老人も風呂へ入れば吾しらず念仏をまうし、色好の壮夫も裸になれば前をおさえて己から恥を知り、猛き武士の頸から湯をかけられても、人込みじやと堪忍をまもり、目に見えぬ鬼神を隻腕に雕たる俠客も、御免なさいと石榴口に屈むは銭湯の徳ならずや。心ある人に私あれども心なき湯に私なし。譬へば人密に湯の中にて撒屁をすれば、湯はぶく/\と鳴て、忽ち泡を浮み出す。嘗聞、藪の中の矢二郎はしらず、湯の中の人として、湯のおもはくをも恥ざらめや。惣て銭湯に五常の道あり。湯を以て身を温め垢を落し病を治し草臥を休むるたぐひ則仁なり。桶のお明はござりませぬかと他の桶に手をかけず、留桶を我儘につかはず、又は急で明て貸すたぐひ則ち義也。田舎者でござい、冷物でござい、御免なさいといひ、或はお早い、お先へと演べ、或はお静に、お寛りなどいふたぐひ則礼なり。糠洗粉軽石糸瓜皮にて垢を落し、石子で毛を切るたぐひ則智也。あついといへば水をうめ、ぬるいといへば湯をうめる、お互に背後をながしあふたぐひ則信也。かゝるめでたき銭湯なれば、此に浴する人/゛\も、水舟の升、陸湯の桶、方円の器に随ふ道理を悟りて、湯屋の流し版のごとく、己が心を常に磨きて諸の垢をたけな。人間一生五十年、二度入の御方あるとも御一人前の分別あるは湯屋の張札の如く、一心足らぬ万能膏あり。馬鹿に附る薬はあらずも、走馬の千里膏、鞭打つて呉れる交の無二膏あり。口中散を翻せば忠孝一切の妙薬、二親の安神散兎角梵悩の火の用心は湯屋の定書に似たり。心に驕奢の風立ば家私は何時にても早仕舞也。五倫五体は天地より預物なれば、大切の品を御持参物なるを、色と酒とに魂の失物不存、我から招く禍は、他人の一切存不申事ならずや。名聞利欲の喧嘩口論、喜怒哀楽の高声御無用。此文言をまもらぬ時は、仕舞湯に入損ひ、モウ抜ましたといはれて、後悔手巾を咬とも益なし。なべて世の中の人心は銭湯の虱に等く、善悪に移り易き物なれば、権兵衛が褄褸から八兵衛が羽二重に移り、田婢の湯具から令室の絹布へも移る。きのふの襦袢一枚は畳の上へ脱しも、けふの重着は棚の上へ脱に等しく、高貴貧福は天にあり。善悪邪正は己が招く所也。此意味をとくと悟らば、他の異見は朝湯の如く、己が身に染わたるべし。唯一生の用心は、軀を借切の戸棚へ納め、魂に錠をおろして、六情を履違へぬやうに堅く相守可申事と、神儒仏の組合行事が牡丹餅ほどの判を居てしかいふ。
維時文化六年巳の春の発市にせばやと、辰の重九に毫を起して例の急案、后の観月の芋を食て、屁のごとき小冊成る
石町の寓居に於いて
式亭三馬戯題
弘万斎管巻大酔書
(pp. 5-7)
窃惟教诲之捷径,盖无过于钱汤者。其何故也?贤愚邪正,贫富贵贱,将要洗澡,悉成裸形,协于天地自然的道理,无论释迦孔子,阿三权助,现出诞生时的姿态,一切爱惜欲求,都霎地一下抛到西海里去,全是无欲的形状。洗清欲垢和烦恼,浇过净汤,老爷与小的都是分不出谁来的裸体,是以从生时的产汤至死时的浴汤是一致的,晚间红颜的醉客在洗早澡时也像是醒人。生死只隔一重,呜呼,人生良不如意哉。可是,不信佛的老人在进澡堂的时候也不知不觉的念佛,好色的壮汉脱了衣服,也按住前面,自知羞耻,狞猛的武士从头上被淋了热汤,也说这是在人堆里,忍住性子,一只臂膊上雕着眼睛看不见的鬼神的侠客,也说对不住,在石榴口低下头去,这岂不是钱汤之德么?有心的人虽然有私,无心的汤则无有私。譬如有人在汤中放屁,汤则勃勃地响,忽然泛出泡来。尝闻之,树林中的矢二郎那或者难说,凡为澡汤中的人,对于汤的意见可以不知惭愧么?凡钱汤有五常之道焉。以汤温身,去垢治病,恢复疲劳,此即仁也。没有空着的桶么,不去拿别人的水桶,也不随便使用留桶,又或急急出空了借与,此则义也。是乡下佬,是冷身子,说对不住。或云你早呀,让人先去,或云请安静,请慢慢的,此则礼也。用了米糠、洗粉、浮石、丝瓜络去垢,用石子断毛之类,此则智也。说热了加水,说凉了加热汤,互相擦洗脊背,此则信也。在如此可贵的钱汤里,凡是洗着澡的人,因了水船的升,净汤的桶,而悟得随器方圆的道理,又如澡堂的地板那样,自己的心也常要磨擦,不使长诸尘垢。人生一世五十年,即使有两回洗澡的人,也如澡堂的招贴所说,各人该有分别。又如贴着的那样,有一心不足的万能膏,虽然没有给傻子擦的好药,但是有走马的千里膏,给予鞭打的交情的无二膏。如将口中散翻转过来,便是忠孝的妙药,使得两亲的安神散,对于烦恼小心火烛,有似澡堂所定的规则。心里如发起骄奢的风,家私就无论何时都要早收摊了。五伦五体乃是天地所寄存,凡是携带贵重物品各位,因了酒色而神魂失落,与本店无涉,从自己招来的祸祟,别人一切都不能管。名声利欲的吵架争论,喜怒哀乐的大呼小叫,均属不可。如不遵守此项文告,则来不及洗末次的澡,说是已经拔栓了,虽是后悔去咬手巾,也是无益了。盖世上人心等于澡堂的白虱,在善恶之间容易移动,从权兵卫的布袄移到八兵卫的绸衫,从乡下使女的围裙移到大家妻女的美服上去。昨天一件小衫脱在席子上面,与今天的夹衣脱在衣架上相等,富贵贫贱在天,善恶邪正乃所自召也。善悟此意,则人家的意见正如早晨的澡汤似的,很能沁透自己身子里去吧。一生的用心在于将身体收在包租的衣柜里,灵魂上加了锁,不要把六情闹错,坚守约束,神佛儒行会的司事盖上牡丹饼大的印章云尔。
维时文化六年己巳便于初春发兑,于戊辰重九动笔,照例赶写,至后中秋吃芋头,乃成此屁似的小册。
在石町的寓居,
式亭三马戏题。
(pp. XIV-XV)
三編 巻之上
■としのころ十か十一ばかりの小娘こましやくれた形にて二人きものを着ながらはなすをきけば お丸「お角さん。比あひだはお稽古がお休でよいねへ お角「アヽ、おまえもかへ。わたしもね、お稽古のお休が何よりも/\最う/\/\/\/\一イばんよいよ。夫だからお正月の来るのがおたのしみだよ 丸「アヽネヱ。お正月も松が取れると不景気だねへ。もつと、いつウまでも松をとらずにおけばよいのに、何所の内でも直さまお取だねへ。否だつちやアないよ 角「アヽおまへはね、お正月がよいかネ。あのウ、お雛さまがよいかヱ 丸「どつちもよいよ 角「マアどつちか一ツお云ひな 丸「マアおまへお云ひな 角「わたしも両方よいよ 丸「それお見 角「そんならね、お丸さん/\毬と羽根ではどつちがよいヱ 丸「毬と羽根でかへ 角「アヽ 丸「どつちもよいがね、羽根はお天気が悪いとつかれねへから毬の方がよからうか 角「イヽエお天気が悪くてもね、私はお蔵の前でつくからよいよ。お蔵の前はね、高アく家根が拵てあるから 丸「わたしの所には蔵はないものを トいひながらふところから手まりをとり出し これ御覧。お屋敷のね、伯母さんの所からね、お年玉にお呉だよ 角「よくかゞつたねへこれは板毬かヱ 丸「いゝへ畳の上で、よヲくはづむよ 角「おまへの伯母さんは能伯母さんだね。そしておまへのおツかさんも気がよいからよいがね、わたしのおツかさんはきついからむせうとお𠮟りだよ。まアお聴な。朝むつくり起ると手習のお師さんへ行てお座を出して来て、夫から三味線のお師さんの所へ朝稽古にまゐつてね、内へ帰つて朝飯をたべて踊の稽古からお手習へ廻つて、お八ツに下つてから湯へ行て参ると、直にお琴の御師匠さんへ行て、夫から帰つて三味線や踊のおさらひさ ト比内いきをきらずにスウ/\といひながらつゞけてはなすこれすなはち小娘の詞くせなり 其内に、ちイツとばかりあすんでね、日が暮ると又琴のおさらひさ。夫だからさつぱり遊ぶ隙がないから、否で/\ならないはな。わたしのおとつさ゚んは、いつそ可愛がつて気がよいからネ、おつかさんがさらヘ/\とお云ひだと、何のそんなにやかましくいふ事はない。あれが気儘にして置ても、どうやら斯やら覚るから打遣て置くがいゝ。御奉公に出る為の稽古だから、些と計覚れば能とお云ひだけれどネ、おつかさんはきついからね、なに稽古する位なら身に染て覚ねへぢやア役に立ません。女の子は私のうけ取だから、おまへさんお構ひなさいますな。あれが大きくなつたときとうかいとやらをいたします。おまへさんがそんな事をおつしやるから、あれが、わたしを馬鹿にして、いふ事をきゝません。なんのかのとお云ひだよ。そしてね、おつかさんは幼い時からむしつとやらでね、字はさつぱりお知でないはな。あのネ、山だの、海だのとある所の、遠の方でお産だから、お三絃や何角もお知でないのさ。夫だから、せめてあれには、芸を仕込ねへぢやアなりませんと、おツかさん一人でじや/\ばつてお出だよ。アヽ、ほんとうに 丸「ほんにかへ。わつちのおツかさんは何でも知てお出だから、些でも三絃の弾様が違ふと直にお𠮟りだよ。わたしのおツかさんは七の歳に、踊でお屋敷へお上りだと。それだからね、地赤だの地白だの地黒だの紫縮緬の裾模様だの、惣模様だの大振袖だの、帯は黒天鵞絨のや、厚板のや、何角を、お長持に入て、たアんと持てお下りだけれど、わたしのおとつさ゚んがどうらくだからネ、皆お亡だとさ。アヽ、お婆さんがわたしにお話だよ。夫でね、お婆さんはおとツさ゚んの事をどら殿と計お云ひでね、いつそおにくがりだよ。わたしは夫だから稽古はなんでもする筈だが、お婆さんのお云ひには、お丸は病身だから手習と三絃計で外の事はさせねへが能。其代に女は縫物をよく覚させるがかんじんだと此間はネ、継物をいたすよ。おまえもお仕か 角「いゝへ 丸「わたしは此間もネ、人形の衣を二ツ縫ました。アイ。アレ/\お角さん/\ トみゝへ口をよせて中にながしてゐる女を横目で見ながら小声にさゝやく アレ。あのをばさんを一寸お見。子が三人有ながら浅黄縮緬の裁をかけてさ 丸「ヲヤほんにねへ。若い作りだね。あのアレ、ぐるり落に結居るおかみさんの頸を御覧か 角「イヽエ 丸「黒油ではげつてうを隠してさ 角「アレ小さな声をお仕。きこえては悪いよおまへ 丸「サア参らう。ヲヤ、おまへの袂から何だか落ました 角「ホイ ト拾つて ヲヤ/\髷結ひの裁だ 丸「一粒鹿子かヱ 角「アヽ 丸「麻の葉もよいねへ 角「あれは半四郎鹿子と申すよ 丸「わたくしはね、おつかさんにねだつてね、あのウ路考茶をね、不断着にそめてもらひました 角「よいねへ。わたくしはネ、今着て居る伊予染を不断着にいたすよ 丸「おまえのも太織かヱ 角「アヽ是はネ、田舎から掛のかたに取たから安いとさ。アヽおとつさ゚んがいつか中お云だ トくゞりを明ケながら 丸「お角さん後にお出な。歌がるたを取て遊びませう 角「あヽ参らう ト出てゆく (pp. 161-164)*1
*1:周作人による中国語訳は二編までしかないようだ。