世界文学全集のためのメモ 18 『囲城』 銭鍾書

中国語編 4

钱锺书(Qián Zhōngshū)
銭鍾書(せん・しょうしょ、チエン・ジョンシュー)
1910-1998

《围城》
『囲城』
1947

日本語訳
荒井健・中島みどり・中島長文訳『結婚狂詩曲(囲城)』上下 1988年(岩波文庫

学国文的人出洋“深造”,听来有些滑稽。事实上,惟有学中国文学的人非到外国留学不可。因为一切其他科目像数学、物理、哲学、心理、经济,法律等等都是从外国灌输进来的,早已洋气扑鼻;只有国文是国货土产,还需要外国招牌,方可维持地位,正好像中国官吏、商人在本国剥削来的钱要换外汇,才能保持国币的原来价值。

  方鸿渐到了欧洲,既不钞敦煌卷子,又不访《永乐大典》,也不找太平天国文献,更不学蒙古文、西藏文或梵文。四年中倒换了三个大学,伦敦、巴黎、柏林;随便听几门功课,兴趣颇广,心得全无,生活尤其懒散。第四年春天,他看银行里只剩四百多镑,就计划夏天回国。方老先生也写信问他是否已得博士学位,何日东归。他回信大发议论,痛骂博士头衔的毫无实际。方老先生大不谓然,可是儿子大了,不敢再把父亲的尊严去威胁他;便信上说,自己深知道头衔无用,决不勉强儿子,但周经理出钱不少,终得对他有个交代。过几天,方鸿渐又收到丈人的信,说什么:“贤婿才高学富,名满五洲,本不须以博士为夸耀。然令尊大人乃前清孝廉公,贤婿似宜举洋进士,庶几克绍箕裘,后来居上,愚亦与有荣焉。”方鸿渐受到两面夹攻,才知道留学文凭的重要。这一张文凭,仿佛有亚当、夏娃下身那片树叶的功用,可以遮羞包丑;小小一方纸能把一个人的空疏、寡陋、愚笨都掩盖起来。自己没有文凭,好像精神上赤条条的,没有包裹。可是现在要弄个学位,无论自己去读或雇枪手代做论文,时间经济都不够。就近汉堡大学的博士学位,算最容易混得了,但也需要六个月。干脆骗家里人说是博士罢,只怕哄父亲和丈人不过;父亲是科举中人,要看“报条”,丈人是商人,要看契据。他想不出办法,准备回家老着脸说没得到学位,一天,他到柏林图书馆中国书编目室去看一位德国朋友,瞧见地板上一大堆民国初年上海出的期刊,《东方杂志》、《小说月报》、《大中华》、《妇女杂志》全有。信手翻着一张中英文对照的广告,是美国纽约什么“克莱登法商专门学校函授班,说本校鉴于中国学生有志留学而无机会,特设函授班,将来毕业,给予相当于学士、硕士或博士之证书,章程函索即寄,通讯处纽约第几街几号几之几。方鸿渐心里一动,想事隔二十多年,这学校不知是否存在,反正去封信问问,不费多少钱。那登广告的人,原是个骗子,因为中国人不来上当,改行不干,人也早死了。他住的那间公寓房间现在租给一个爱尔兰人,具有爱尔兰人的不负责、爱尔兰人的急智、还有爱尔兰人的穷。相传爱尔人的不动产(Irish fortune)是奶和屁股;这位是个萧伯纳式既高且瘦的男人,那两项财产的分量又得打个折扣。他当时在信箱里拿到鸿渐来信,以为邮差寄错了,但地址明明是自己的,好奇拆开一看,莫名其妙,想了半天,快活得跳起来,忙向邻室小报记者借个打字机,打了一封回信,说先生既在欧洲大学读书,程度想必高深,无庸再经函授手续,只要寄一万字论文一篇附缴美金五百元,审查及格,立即寄上哲学博士文凭,回信可寄本人,不必写学校名字。署名Patrick Mahoney,后面自赠了四五个博士头衔。方鸿渐看信纸是普通用的,上面并没刻学校名字,信的内容分明更是骗局,搁下不理。爱尔兰人等急了,又来封信,说如果价钱嫌贵,可以从长商议,本人素爱中国,办教育的人尤其不愿牟利。方鸿渐盘算一下,想爱尔兰人无疑在捣鬼,自己买张假文凭回去哄人,岂非也成了骗子?可是——记着,方鸿渐进过哲学系的——撒谎欺骗有时并非不道德。柏拉图《理想国》里就说兵士对敌人,医生对病人,官吏对民众都应哄骗。圣如孔子,还假装生病,哄走了儒悲,孟子甚至对齐宣王也撒谎装病。父亲和丈人希望自己是个博士,做儿子女婿的人好意思教他们失望么?买张文凭去哄他们,好比前清时代花钱捐个官,或英国殖民地商人向帝国府库报效几万镑换个爵士头衔,光耀门楣,也是孝子贤婿应有的承欢养志。反正自己将来找事时,履历上决不开这个学位。索性把价钱杀得极低,假如爱尔兰人不肯,这事就算吹了,自己也免做骗子,便复信说:至多出一百美金,先寄三十,文凭到手,再寄余款;此间尚有中国同学三十余人,皆愿照此办法向贵校接洽。爱尔兰人起初不想答应,后来看方鸿渐语气坚决,又就近打听出来美国博士头衔确在中国时髦,渐渐相信欧洲真有三十多条中国糊涂虫,要向他买文凭。他并且探出来做这种买卖的同行很多,例如东方大学、东美合众国大学,联合大学 (Intercollegiate University)、真理大学等等,便宜的可以十块美金出买硕士文凭,神玄大学(College of Divine Metaphysics)廉价一起奉送三种博士文凭;这都是堂堂立案注册的学校,自己万万比不上。于是他抱薄利畅销的宗旨,跟鸿渐生意成交。他收到三十美金,印了四五十张空白文凭,填好一张,寄给鸿渐,附信催他缴款和通知其他学生来接洽。鸿渐回信道,经详细调查,美国并无这个学校,文凭等于废纸,姑念初犯,不予追究,希望悔过自新,汇上十美金聊充改行的本钱。爱尔兰人气得咒骂个不停,喝醉了酒,红着眼要找中国人打架。这事也许是中国自有外交或订商约以来唯一的胜利。(第9~12页)*1

国文をやる人間が海外に出て「深くいたる」(学を極める。『孟子』の語)など、ちょっと滑稽に聞える。事実上は中国文学をやる人間だけは必ず外国へ留学せねばならない。なぜなら、その他一切の科目、数学・物理・哲学・心理・経済・法律等々すべて外国から輸入されてきたので、初めっから洋臭が鼻をつくが、国文ばかりは純粋国産で、上に外国のレッテルを貼ったら、どうやら地位が維持できるからで、それは中国の官僚・商人が本国で搾取した金を外貨に変え、やっと元来の貨幣価値を保持できるのと似たようなものだ。

 方鴻漸は欧州に着いたが、敦煌とんこう文書の書写をせぬばかりか、『永楽えいらく大典たいてん』を見に行きもせず、太平天国の文献を漁りもしない、蒙古語・チベット語やサンスクリットなんかさらさら勉強しなかった。四年間で大学をロンドン・パリ・ベルリンと、三つも変え、いい加減に講義を幾つか聞いて、興味はいささか広くなったが、心得しんとくは全くなく、生活はとりわけだらしなかった。四年目の春、銀行に四百ポンドあまりしか残っていないのに気づき、夏に帰国しようと思い立った。方老先生も手紙で、博士の学位をもう取ったか、何時こちらに帰るかを尋ねてきた。鴻漸は返書で大いに議論を発し、博士の肩書なぞ毫も実用的ならずと痛罵した。方老先生は大いに不満だったが、息子は大人になったし、これ以上父親の尊厳でもって威嚇することはできない。そこで手紙では、自分は肩書の無用さをようく知っており、決してお前に強いないが、周頭取は出費少なくないから、いずれは口ききがあるはず、と書き送った。幾日かすぎて、方鴻漸はさらに舅の手紙を受けとったが、「賢婿けんせいは才高く学博く、名は五洲に満ち、本より博士を以て誇耀󠄁ほこりと為すをもちいず。然れども令尊大人ごそんぶどのすなわち前清の孝廉公(挙人の雅称)なれば、賢婿は宜しく洋進士に挙げらるべきに似たり、庶幾ねがわく箕裘あとぎ、後来上に居ることを、やつがれも亦たはえ有るにあずからん」などとのべてあった。方鴻漸は両面から夾撃され、初めて留学証明の重要性を知った。この一枚の証明書が、ぴったりアダムとイヴの例のイチジクの葉の役割を果たし、恥かしさも醜さも包み隠せる。小さな小さな一枚の紙片がある人間の空疎・陋劣・愚鈍をすべて覆ってしまう。自分に証明書がなければ、精神的にすっぱだかで、包装されてないようなものだ。しかしいま学位を手に入れようとすれば、自分で勉強するにしろ替玉をやとって論文を作らせるにしろ、時間も経済も不十分だ。手近なところでハンブルグ大学の学位なら、一番簡単にちょろまかせるだろうが、やはり六カ月かかる。思いきって家の者をだまして博士だといってやるかだが、たぶん父親と舅がごまかしきれまい。父親は科挙の及第者だから、「報条パオテイヤオ」(合格通知公報)はといい、舅は商人だから、登記書はというだろう。便法が浮んでこず、帰ったら臆面もなく学位を取ってないと言うつもりだった。ある日、ベルリン図書館の中国図書目録室へドイツ人の友達を訪ねて行くと、床の上に民国初年に上海で出た定期刊行物が山と積まれているのが目に入った。「東方雑誌」「小説月報」「大中華」「婦女雑誌」、何でもある。何気なく一葉の中英文対照の広告をめくってみると、米国ニューヨークの「コロリトン法商専門学校通信教授部」とかが載せたもので、本学は中国人学生に留学の意志あるも機会なきにかんがみ、特に通信教授学級を設け、将来課程を終了せば、学士、修士或いは博士に相当するの証書を与う、規定は請求あれば急送す、連絡先はニューヨーク何番街何号何の何。方鴻漸は気持がちょっと動いた、二十年以上前のことだし、この学校が存在してるかどうか分らないが、どうせ手紙ひとつ出して問い合わすだけで、なにほどの金もかからない。その広告を載せた人間は、がんらいペテン師だったが、中国人がうまくかかって来ぬため、商売がえしてしまい、当人もとっくに死んでいた。当人が住んでいたアパートの部屋は現在はあるアイルランド人が借り、その男はアイルランド流無責任、アイルランド流機智、そしてアイルランド流貧窮を兼備していた。アイルランド人の不動産は乳が二つに尻ぺた二つというが、このバーナード・ショー型のひょろ長い男なら、その二件の財産の高は、さらに割引きせざるをえない。郵便受に鴻漸からの書状が届いたとき、その男は配達人のまちがいと思ったが、所番地は明らかに自分のものなので、好奇心から開いて見たが、ちんぷんかんぷん、半時も考えたすえ、嬉しさに飛びあがった。急いで隣室のインチキ新聞の記者にタイプライターを借り、返信を一通たたいていわく、貴下はヨーロッパの大学に学ばれたれば、学力高度なること疑いなく、重ねて通信教授の手続を経るは無用、一万字の論文一篇を送付し且つ五百ドルを納入さるれば可、審査に合格すれば、直ちに哲学博士の学位記を送付す、来信は小生あてに寄せられたく、学校名を書く要なし。パトリック・マホーニイと署名した後に、博士の肩書を四つ五つ勝手にくっつけた。方鴻漸は見ると便箋が通常のもので、学校名も印刷してないし、書面の内容はなおさらかたりだとはっきりしてるので、構わず放っておいた。アイルランド人は待ちきれずに、また手紙をよこした、もし金額が高すぎれば、適当に商議して可、小生はがんらい中国びいき、教育にたずさわる人間ゆえわけても利を貪ろうとは致さぬ。方鴻漸は胸算用してみた、アイルランド人は確かによからぬ企みをやってるが、自分が贋学位記を買って帰ってごまかすのも、ペテン師になることじゃないのか? しかしながら――御存知の通り、方鴻漸は哲学科に在籍したことがある――うそいつわりも時として決して不道徳にあらず。プラトンは『国家』で、兵士が敵に対し、医者が病人に対し、官吏が民衆に対してはすべてあざむくべきだ、という。孔子のごとき聖人でも、やはり仮病を使い、儒悲じゆひをだまして追払い、孟子に至っては斉の宣王に対してさえうそをつき病気のふりをした。父親と舅が博士になってほしいと希望してるのに、息子女婿たる人間がそちらを失望させて平気なのか? 学位記を買ってごまかすのは、まさしく旧清朝時代に金銭で官職を買い、あるいは英国の植民地商人が帝国の国庫に何万ポンドか献上し交換にナイトの称号をもらうのに等しく、家門を輝かし、孝子賢婿にふさわしい御機嫌とりにもなる。どのみち自分が将来仕事を探すとき、履歴に決してこの学位を書き立てはしない。それなら一つ金額を値切れるだけ値切って、もしもアイルランド人が不承知なら、このことはそれでフイになるわけで、こっちもペテン師にならなくてすむ。で、返信には、最大限百ドルしか出さない、まず三十ドル送り、学位記落手の上で、残金を送る、こちらには中国人学生がまだ三十人あまりいて、みんな同様に貴校と関係を持ちたがっている、と書いた。アイルランド人は当初承知しなかったが、その後方鴻漸の断固たる語調を見てとり、また米国の博士の肩書が確かに中国でもてはやされてるのをそこらで聞き出し、ヨーロッパには中国の間抜け虫どもがほんとに三十何匹いて、当方から学位記を買うつもりだと、次第に信じ始めた。その上この手の商売をやる同業者が大変多いのを探り出し、たとえば東方大学、アメリカ東部大学、聯合大学、真理大学等々、安いのは十ドルで修士の免状が買え、神玄大学は廉価で一度に三種の博士学位記を送呈している。すべて堂々たる公認登録ずみの学校で、当方などは万々比較にならぬ。そこで薄利多売をむねとし、鴻漸と取引を成立させた。三十ドルを受けとると、四五十枚の学位記を印刷し、一枚に適当に記入して鴻漸に送り、書状を添え残金納入の上で他の学生に連絡し談合開始させるよう督促した。鴻漸は返信して、詳細なる調査によれば、米国に該当校は存在せず、学位記は反故ほごに等しいが、初犯の点を考慮し、追及を加えぬ、前非を悔いて改心するよう望む、十ドルを送金したゆえ商売がえの資金にでもされたし。アイルランド人は怒って止めどなく悪態をつき、酒を飲んだすえ、血相を変えて中国人を探し喧嘩を売ってやろうとした。この件は中国外交始まって以来或いは条約交渉始まって以来唯一の勝利だったかもしれない。(上 pp. 26-31)

  西洋赶驴子的人,每逢驴子不肯走,鞭子没有用,就把一串胡萝卜挂在驴子眼睛之前、唇吻之上。这笨驴子以为走前一步,萝卜就能到嘴,于是一步再一步继续向前,嘴愈要咬,脚愈会赶,不知不觉中又走了一站。那时候它是否吃得到这串萝卜,得看驴夫的高兴。一切机关里,上司驾驭下属,全用这种技巧;譬如高松年就允许鸿渐到下学期升他为教授。自从辛楣一走,鸿渐对于升级这胡萝卜,眼睛也看饱了,嘴忽然不馋了,想暑假以后另找出路。他只准备聘约送来的时候,原物退还,附一封信,痛痛快快批评校政一下,算是临别赠言,借此发泄这一年来的气愤。这封信的措词,他还没有详细决定,因为他不知道校长室送给他怎样的聘约。有时他希望聘约依然是副教授,回信可以理直气壮,责备高松年失信。有时他希望聘约升他做教授,这么一来,他的信可以更漂亮了,表示他的不满意并非出于私怨,完全为了公事。不料高松年省他起稿子写信的麻烦,干脆不送聘约给他。孙小姐倒有聘约的,薪水还升了一级。有人说这是高松年开的玩笑,存心拆开他们俩。高松年自己说,这是他的秉公办理,决不为未婚夫而使未婚妻牵累——“别说他们还没有结婚,就是结了婚生了小孩子,丈夫的思想有问题,也不能‘罪及妻孥’,在二十世纪中华民国办高等教育,这一点民主作风应该具备。”鸿渐知道孙小姐收到聘书,忙仔细打听其他同事,才发现下学期聘约已经普遍发出,连韩学愈的洋太太都在敬聘之列,只有自己像伊索寓言里那只没尾巴的狐狸。这气得他头脑发烧,身体发冷。计划好的行动和说话,全用不着,闷在心里发酵。这比学生念熟了书,到时忽然考试延期,更不痛快。高松年见了面,总是笑容可掬,若无其事。办行政的人有他们的社交方式。自己人之间,什么臭架子、坏脾气都行;笑容愈亲密,礼貌愈周到,彼此的猜忌或怨恨愈深。高松年的工夫还没到家,他的笑容和客气仿佛劣手仿造的古董,破绽百出,一望而知是假的。鸿渐几次想质问他,一转念又忍住了。在吵架的时候,先开口的未必占上风,后闭口的才算胜利。高松年神色不动,准是成算在胸,自己冒失寻衅,万一下不来台,反给他笑,闹了出去,人家总说姓方的饭碗打破,老羞成怒。还他一个满不在乎,表示饭碗并不关心,这倒是挽回面子的妙法。吃不消的是那些同事的态度。他们仿佛全知道自己解聘,但因为这事并未公开,他们的同情也只好加上封套包裹,遮遮掩掩地奉送。往往平日很疏远的人,忽然拜访。他知道他们来意是探口气,便一字不提,可是他们精神和说话里包含的惋惜,总像圣诞老人放在袜子里的礼物,送了才肯走。这种同情比笑骂还难受,客人一转背,鸿渐咬牙来个中西合璧的咒骂:“To Hell 滚你妈的蛋!”

  孙柔嘉在订婚以前,常来看鸿渐;订了婚,只有鸿渐去看她,她轻易不肯来。鸿渐最初以为她只是个女孩子,事事要请教自己;订婚以后,他渐渐发现她不但很有主见,而且主见很牢固。她听他说准备退还聘约,不以为然,说找事不容易,除非他另有打算,别逞一时的意气。鸿渐问道:“难道你喜欢留在这地方?你不是一来就说要回家么?”她说:“现在不同了。只要咱们两个人在一起,什么地方都好。”鸿渐看未婚妻又有道理,又有情感,自然欢喜,可是并不想照她的话做。他觉得虽然已经订婚,和她还是陌生得很。过去没有订婚经验——跟周家那一回事不算数的——不知道订婚以后的情绪,是否应当像现在这样平淡。他对自己解释,热烈的爱情到订婚早已是顶点,婚一结一切了结。现在订了婚,彼此间还留着情感发展的余地,这是桩好事。他想起在伦敦上道德哲学一课,那位山羊胡子的哲学家讲的话:“天下只有两种人。譬如一串葡萄到手,一种人挑最好的先吃,另一种人把最好的留在最后吃。照例第一种人应该乐观,因为他每吃一颗都是吃剩的葡萄里最好的;第二种应该悲观,因为他每吃一颗都是吃剩的葡萄里最坏的。不过事实上适得其反,缘故是第二种人还有希望,第一种人只有回忆。”从恋爱到白头偕老,好比一串葡萄,总有最好的一颗,最好的只有一颗,留着做希望,多么好?他嘴快把这些话告诉她,她不作声。他和她讲话,她回答的都是些“唔”,“哦”。他问她为什么不高兴,她说并未不高兴。他说:“你瞒不过我。”她说:“你知道就好了。我要回宿舍了。”鸿渐道:“不成,你非讲明白了不许走。”她说:“我偏要走。”鸿渐一路上哄她,求她,她才说:“你希望的好葡萄在后面呢,我们是坏葡萄,别倒了你的胃口。”他急得跳脚,说她胡闹。她说:“我早知道你不是真的爱我,否则你不会有那种离奇的思想。”他赔小心解释了半天,她脸色和下来,甜甜一笑道:“我是个死心眼儿,将来你讨厌——”鸿渐吻她,把这句话有效地截断,然后说:“你今天真是颗酸葡萄。”她强迫鸿渐说出来他过去的恋爱。他不肯讲,经不起她一再而三的逼,讲了一点。她嫌不够,鸿渐像被强盗拷打招供资产的财主,又陆续吐露些。她还嫌不详细,说:“你这人真不爽快!我会吃这种隔了年的陈醋么?我听着好玩儿。”鸿渐瞧她脸颊微红,嘴边强笑,自幸见机得早,隐匿了一大部分的情节。她要看苏文纨和唐晓芙的照相,好容易才相信鸿渐处真没有她们的相片,她说:“你那时候总记日记的,一定有趣等得很,带在身边没有?”鸿渐直嚷道:“岂有此理!我又不是范懿认识的那些作家、文人,为什么恋爱的时候要记日记?你不信,到我卧室里去搜。”孙小姐道:“声音放低一点,人家全听见了,有话好好的说。只有我哪!受得了你这样粗野,你倒请什么苏小姐呀、唐小姐呀来试试看。”鸿渐生气不响,她注视着他的脸,笑说:“跟我生气了?为什么眼睛望着别处?是我不好,逗你。道歉!道歉!”

  所以,订婚一个月,鸿渐仿佛有了个女主人,虽然自己没给她训练得驯服,而对她训练的技巧甚为佩服。他想起赵辛楣说这女孩子利害,一点不错。自己比她大了六岁,世事的经验多得多,已经是前一辈的人,只觉得她好玩儿,一切都纵容她,不跟她认真计较。到聘书的事发生,孙小姐慷慨地说:“我当然把我的聘书退还——不过你何妨直接问一问高松年,也许他无心漏掉你一张。你自己不好意思,托旁人转问一下也行。”鸿渐不听她的话,她后来知道聘书并非无心遗漏,也就不勉强他。鸿渐开玩笑说:“下半年我失了业,咱们结不成婚了。你嫁了我要挨饿的。”她说:“我本来也不要你养活。回家见了爸爸,请他替你想个办法。”他主张索性不要回家,到重庆找赵辛楣——辛楣进了国防委员会,来信颇为得意,比起出走时的狼狈,像换了一个人。不料她大反对,说辛楣和他不过是同样地位的人,求他荐事,太丢脸了;又说三闾大学的事,就是辛楣荐的,“替各系打杂,教授都没爬到,连副教授也保不住,辛楣荐的事好不好?”鸿渐局促道:“给你这么一说,我的地位更不堪了。请你说话留点体面,好不好?”孙小姐说,无论如何,她要回去看她父亲母亲一次,他也应该见见未来的丈人丈母。鸿渐说,就在此地结了婚罢,一来省事,二来旅行方便些。孙小姐沉吟说:“这次订婚已经没得到爸爸妈妈的同意,幸亏他们喜欢我,一点儿不为难。结婚总不能这样草率了,要让他们作主。你别害怕,爸爸不凶的,他会喜欢你。”(第293~297页)

 西洋ではロバを追う人は、ロバが歩こうとせず、鞭も役に立たないとなると、いつもニンジンを一束ロバの眼の前・鼻の先にぶらさげる。間抜けなロバは一歩進めば、ニンジンがすぐ口にとどくと思って、一歩また一歩と進み続け、食いつこうとすればするほど、足が早くなり、知らず知らず宿場をまた一つ歩いてしまう。その時ロバがニンジンにありつけるか否かは、御者の御機嫌次第なのだ。あらゆる機関で、上役が下僚を追い立てるのに、すべてこの手を使う、たとえばカオ・松年スウンニエンは来年度になったら教授に上げてやると鴻漸ホンチエンに約束した。辛楣シンメイが去ってからは、鴻漸はこの昇格というニンジンに対し、目玉のほうでも見あきてしまい、口のほうは急に食欲をなくし、夏休みが終ったら別に仕事を探そうと考えた。招聘状

(専任教員も一年契約)が届けられた時は、そのまま突っ返し、手紙を一通つけ、学内行政を一つずばずばと批判して、別れに贈る言葉とし、それでこの一年来の鬱憤をはらしてやろうとひたすら待ち構えていた。その手紙の文章は、まだ細かく決めておらず、学長室からどんな招聘状が届くか分らなかったので。招聘状は助教授のままだといい、返答の中で理屈は勝ちとばかり意気高らかに高松年の背信を責められるのにと望む時もある。招聘状は教授に昇格してるといい、そうなれば、自分の手紙は一層格好がつき、自分の不満が決して私怨に出るものでなく、全く公のためなのだと見せつけられるのにと望む時もある。意外にも高松年は、文案を作って手紙を書く手間を省かせてくれ、さっぱり招聘状をよこさない。ミススウンのほうは招聘状をもらい、給料まで一号上がっていた。これは高松年の悪ふざけで、わざとお二人さんの仲を裂くんだという説もあった。高松年自身に言わせれば、これはわたしが公平無私なので、婚約者のせいで相手の女をまきぞえには決してしない――「二人がまだ結婚してないからというんじゃなく、たとえ結婚して子供ができた上で、亭主の思想に問題があっても、『罪は妻子に及ぶ』などあってはならぬ、二十世紀の中華民国で高等教育をやるには、これくらいの民主の風は持たなくちゃならん」鴻漸はミス孫が招聘状を受け取ったのを知り、急いで他の同僚たちにいろいろ聞き廻り、来年度の招聘状はもうすっかり出され、ハン・学愈シユエユイーの外人の奥さんさえ招聘の列に加わっているのに、イソップ物語のしっぽのない狐みたいなのが自分だけだと初めて分った。これに腹が立って頭はかあっと熱く、体はぞうっと寒い。すっかりお膳だてした行動に文句は、全然役に立たず、胸の奥に密封されたまま発酵する。学生がうんと勉強したのに、当日になって突然試験が延期になったのより、もっと不愉快な。高松年は顔を合わせると、きまってこぼれんばかりの笑みを浮かべ、何事もなかったかのようだ。機関の管理運営に携わる人間には連中の交際つきあいかたがある。身内の間では、どんな鼻持ちならぬ横柄さ・ねじくれた根性もすべて許される。にこやかな表情で親しげなほど、礼儀作法が慇懃なほど、相互の猜疑か怨恨がいよいよ深い。高松年はまだ修行が足りず、その笑顔と勿体ぶりは、まるで下手の模造した骨董で、至る所あらだらけ、一目で贋と知れる。鴻漸は何度か問いただそうとしては、また思い直して辛抱した。喧嘩口論の時には、先ず口火を切るのが優勢だとは限らず、おしまいまで口が利けてこそ勝ちというわけだ。高松年は神色自若、きっと胸に成算がある、自分がうっかり戦さをしかけ、万一ひっこみがつかなくなり、反対に相手から笑われ、大慌てで逃げ出すはめになれば、フアンてえ男は飯茶碗を割られ、屈辱のあまり逆上したと言われるのが落ちだ。それより俺さまは平気の平左、飯茶碗なぞ気にもかけないところを見せつけてやる、それこそ改めて面子を立てる絶好の手だ。やりきれないのはあいつら同僚どもの態度だ。やつらは自分の解職についてすっかり知ってるようなのに、事が表ざたになっていないから、同情も状袋に入れたまま、こっそりこっそりお贈り下さる。平生は疎遠な人間が、しばしば突然に訪ねて来る。やつらがこっちの腹の中を探りに来たと分っているので、何ひとつ口に出さなかったが、向こうの気持と言葉に含まれる哀惜は、サンタクロースが靴下に入れる贈り物みたいに、とにかく手渡さずには帰らない。こういう同情は嘲罵より耐えがたく、客が背を向けたとたん、鴻漸は歯がみして中西合弁の呪詛が飛び出す、「To Hell 出て失せろこのどちくしょうめ!」

 スウン・柔嘉ロウチアは婚約前にはいつも鴻漸に会いに来たのに、婚約してしまうと鴻漸が会いに行くきりで、あちらは容易に来ようとしない。当初あれはただの女の子で、何でも自分に教わろうとすると鴻漸は思いこんでいたが、婚約してからは、ちゃんと定見を持っているだけでなく、その定見が頻る強固だと次第に判明してきた。招聘状を突っ返すつもりだと聞かされると、それに不賛成で、職探しは容易じゃない、何か成算があれば別だが、でなければ一時の強がりは止めておけと言う。鴻漸は尋ねた、「まさかここにいたいんじゃあるまいね? 来たとたんに家へ帰りたいって言ったんじゃないの?」「今はもう違いますわ。あたしら二人がいっしょにおられさえしたら、どこだっていいの」鴻漸はいいなずけが道理もわきまえ、情愛も備わっているのに、むろん喜んだが、しかしその言葉どおりにしようとは思わない。すでに婚約してるけれども、相手との間はまだ非常によそよそしい気がする。これまで婚約の経験がなく――チヨウ家との例の一件は数のうちに入らぬ――婚約以後の感情が、今みたいに平淡であっていいのか否かが分らない。自分に言ってきかせた、熱烈な愛情は婚約まで来るともう頂点で、一たび結婚してしまえばすべてはお終いだ。現在婚約をすまして、相互の間にまだ感情が発展する余地がある、こいつは結構な事だ。思い出すのはロンドンで道徳哲学の授業に出た時、あの山羊ひげの哲学者が聞かせてくれた話で、「世界には人間が二種類いるだけです。たとえばブドウを一房手に入れると、一方の人間は一番よさそうなのから先に食べ、もう一方の人間は一番よさそうなのを残しておいて最後に食べます。常識的には第一類の人間は楽観的なはずで、なぜなら食べる一粒一粒がすべて残りのブドウのうちの一番いいものであります。第二類の人間は悲観的なはずで、なぜなら食べる一粒一粒がすべて残りのブドウのうちの一番悪いものであります。しかし事実はまさに逆なので、というのは第二

類の人間にはまだ希望があり、第一類の人間にはただ追憶あるのみであるからです」恋愛からとも白髪しらがまでは、ちょうどブドウの一房で、とにかく最上の一粒はあるが、最上はたった一粒きり、希望の綱として残しておけば、どんなにいいか? つい口を滑らせてこの話を教えてしまったが、相手は何も言わない。いろいろ話しかけても、答えは全部「ふん」とか「ええ」とかである。なぜ不機嫌なのかと聞くと、別に不機嫌なわけじゃないと言う。「ぼくの眼はごまかしおおせないよ」「分ってるのならそれでいいわ。わたし帰らなくちゃ」「いけない、はっきり説明しなきゃ行ってはだめです」「わたしどうしても帰るわ」鴻漸はみちみちなだめたり、すかしたり、やっと口を開かせる、「あなたの御希望のおいしいブドウはあとのほうにあるの、あたしなんかはまずいブドウです、食べすぎて胃にもたれないようにしてね」鴻漸はいらついて地団駄踏み、それは無茶苦茶だと言い返す。「あなたはほんとにわたしを愛してらっしゃらないってとっくに知ってるの、さもなければそんな突拍子もない考えをなさるはずがありませんわ」腫れ物にさわるような調子で長いこと弁解したあげく、やっと相手は顔つきがやわらぎ、甘い甘い笑みを浮かべ、「わたしっていこじだもの、そのうちあなたは愛想がつき――」鴻漸は口づけして、うまくその言葉をさえぎってから、おもむろに、「あなた今日はほんとにすっぱいブドウだね」と言った。柔嘉ロウチアは鴻漸にいままでの恋愛のことを白状するように迫った。聞かせたくなかったが、再三再四の強要に根負けして、少しばかり話してやる。それでは不満足なので、鴻漸は強盗にしめあげられて財産を提供する金持ちみたいに、また次々と吐かされる。まだそれでも詳しくないと不服で、「あなたって人ほんとに煮え切らない! わたしがそんな昔のかびのはえたやきもちをやくはずがあって? 聞いてて面白いのよ」その頰がほんのり赤らみ、口もとはむりに笑ってるのを鴻漸は見て、幸い早目に気がついたとばかり、大部分のいきさつを隠してしまった。柔嘉はスウ・文紈ウエンワンタン・暁芙シアオフーの写真を見たがったが、すったもんだの末、鴻漸の手もとに二人の写真がほんとにないことが信じられると、「あなたはその時きっと日記をつけてるでしょ、とても面白いにきまってる、ここに持って来てません?」と言う。鴻漸はがなりたてた、「とんでもない! ぼくはまたフアン・イー の知り合いの作家・文人連中とは違う、なんだって恋愛する時に日記をつけなくちゃならない? 信用しないなら、ぼくの部屋へ探しに来いよ」「少し声を小さくして、人にすっかり聞かれてるわ、お話があるならちゃんとしゃべってちょうだい。あたしだけなのよ! あなたにこんな野蛮な扱いをされるの。あなたのほうからスウさんだとかタンさんだとかに頼んで見物に来てもらったら」鴻漸は腹を立てて口を利かず、ミス孫はじっとその顔を見つめていたが、笑って、「わたしのこと怒ったの? どうしてそっぽを向いてるの? わたしが悪かったわ、からかったりして。ごめん! ごめん!」

 こんなわけで婚約一カ月、鴻漸はまるで女主人が一人できた工合で、自分がその訓練を受けて飼いならされるまでは行かなかったが、訓練の腕前には甚だ感服するばかりだ。チヤオ・辛楣シンメイがこの子はきついぞと言ったっけ、まことにその通り。自分はあちらさんより六つも年上だし、世事の経験も多く積み、すでに一世代上の人間だ、あちらさんが面白がってると思ったならば、何でも好きなようにさせ、本気でやり合うまい。招聘状の事件が起こると、ミス孫は憤慨して、「むろんわたしの招聘状も突っ返してやるわ――だけどどうして一度高松年に直接尋ねてみませんの、もしかしたらあなたの一枚をうっかり忘れてるのかもしれないわ。自分ではきまりが悪いのなら、別の人に頼んで尋ねてもらってもいいでしょ」鴻漸はその言葉に従わず、あとになって招聘状はうっかり忘れたのでないと分ると、もう強制はしなかった。鴻漸はおどけて、「下半期ぼくは失業しちまう、ぼくらは結婚しようにもできなくなっちゃった。ぼくの嫁さんになったら飢えに苦しむよ」「わたし初めっからあなたをそう当てにしてません。家へ帰って父さんに会ったら、あなたのために何とか考えてやってと頼む

わ」家へなんか帰らない、むしろ重慶へ行って趙辛楣を訪ねようと鴻漸は主張する――辛楣シンメイは国防委員会へ入って、よこす手紙はすこぶる得意そう、逃げ出した時のあわてぶりとは別人のようだった。ところがミス孫は大反対、辛楣はあなたと同格の人間にすぎない、そこへ推薦依頼では、みっともなさすぎる、さらに追討ちで、三閭さんりよ大学の件は、ほかならぬ辛楣の推薦だが、「各学科の雑役ばかり、教授の椅子にもありつけず、助教授でさえおられない、辛楣さん御推薦の職はどうでしたの?」鴻漸はもぞもぞして、「そんな風に言われると、ぼくの立場は全然なくなってしまう。何とかもう少し恰好のつく言いかたで頼むね、どう?」何がなんでも、自分は帰って父親母親に会うつもりだし、そちらも未来の舅、姑の顔を見ておくべきだ、とミス孫。ここですぐ結婚してしまおう、手間がはぶけるし、旅行の都合がいい、と鴻漸。ミス孫はうーんと沈思黙考、「この婚約は父さん母さんの同意を得てなかったのよ、幸い二人ともわたしを可愛がってるから、少しも厄介はないけど。結婚なんてとにかくそんな軽率にはできませんの、両親に音頭を取ってもらわなくちゃ。心配しなくたって、父さんは恐くないの、きっとあなたを好きになる」(下 pp. 143-150)

*1:引用は钱钟书《围城》(北京:生活·读书·新知三联书店,2002)による。