ひよこのるるの自由研究

日本語で読める世界の文学作品と、外国語に翻訳されている日本語の文学作品を、対訳で引用しています。日本語訳が複数あるものは、読みやすさ重視で比較しておすすめを紹介しています。世界中の言語で書かれたもの・訳されたもののコレクションを目指しています。

世界文学全集のためのメモ 16 『台北人』 白先勇

中国語編 3

白先勇(Pai Hsien-yung, Bái Xiānyǒng)
白先勇(はく・せんゆう、バイ・シエンヨン
1937-

《臺北人》
『台北人』
1971

日本語訳
山口守訳 白先勇パイ・シエンヨン 『台北人』2008年(国書刊行会

孤戀花

從前每天我和娟娟在五月花下了班,總是兩個人一塊兒回家的。有時候夏天夜晚,我們便叫一輛三輪車,慢慢蕩回我們金華街那間小公寓去。現在不同了,現在我常常一個人先回去,在家裏弄好消夜,等著娟娟,有時候一等便等到天亮。

金華街這間小公寓是我花了一生的積蓄買下來的。從前在上海萬春樓的時候,我曾經攢過幾文錢,我比五寶她們資格都老,五寶還是我一手帶出頭的;可是一場難逃下來,什麼都光了,只剩下一對翡翠鐲子,卻還一直戴在手上。那對翠鐲,是五寶的遺物,經過多少風險,我都沒肯脫下來。

  到五月花去,並不是出於我的心願。初來臺灣,我原搭著俞大傀頭他們幾個黑道中的人,一併跑單幫。哪曉得在基隆碼頭接連了幾次事故,俞大傀頭自己一點老本搞乾不算,連我的首飾也統統賠了進去。俞大傀頭最後還要來剝我手上那對翠鐲,我抓起一把長剪刀便指著他喝道:你敢碰一碰我手上這對東西!他朝我臉上吐了一泡口水,下狠勁啐道:婊子!婊子!做了一輩子的生意浪,我就是聽不得這兩個字,男人嘴裏罵出來的,愈更齷齪。

  酒家的生意並不好做,五月花的老闆看中了我資格老,善應付,又會點子京戲,才專派我去侍候那些從大陸來的老爺們,唱幾段戲給他們聽。有時候碰見從前上海的老客人,他們還只管叫我雲芳老六。有一次撞見盧根榮盧九,他一看見我便直跺腳,好像惋惜什麼似的:

  「阿六,你怎麼又落到這種地方來了?」

  我對他笑著答道:

  「九爺,那也是各人的命吧?」

  其實憑我一個外省人,在五月花和那起小查某混在一塊兒,這些年能夠攢下一筆錢,就算我本事大得很了。後來我泥著我們老闆,終究撈到一個經理職位,看管那些女孩兒。五月花的女經理只有我和胡阿花兩個人,其餘都是些流氓頭。我倒並不在乎,我是在男人堆子裏混出來的,我和他們拼慣了。客人們都稱我做「總司令」,他們說海陸空的大將——像麗君、心梅——我手下都占齊了。當經理,只有拿乾薪,那些小查某的皮肉錢,我又不忍多刮,手頭比從前緊多了,最後我把外面放賬的錢,一併提了回來,算了又算,數了又數,終於把手腕上那對翡翠鐲子也卸了下來,才拼湊著買下了金華街這幢小公寓。我買這棟公寓,完全是為了娟娟。

  娟娟原來是老鼠仔手下的人,在五月花的日子很淺,平常打過幾個照面,我也並未十分在意。其實五月花那些女孩兒擦胭抹粉打扮起來,個個看著都差不多,一年多以前,那個冬天的晚上,我到三樓三一三去查番。一推門進去,卻瞥見娟娟站在那裏唱臺灣小調。手裏一桌有半桌是日本狎客,他們正在和麗君、心梅那幾個紅酒女摟腰的摟腰,摸奶的摸奶,喧鬧得了不得。一房子的煙,一房子的酒氣和男人臭,誰也沒在認真聽娟娟唱。娟娟立在房間的一角,她穿著一件黑色的緞子旗袍,披著件小白褂子,一頭垂肩的長髮,腰肢扎得還有一捻。她背後圍著三個樂師,為首的是那個林三郎,眨巴著他那一雙爛得快要瞎了的眼睛,拉起他那架十分破舊,十分淒啞的手風琴,在替娟娟伴奏。娟娟是在唱那支《孤戀花》。她歪著頭,仰起面,閉上眼睛,眉頭蹙得緊緊的,頭髮統統跌到了一邊肩上去,用著細顫顫的聲音在唱,也不知是在唱給誰聽:

 

   月斜西月斜西真情思君君不知——

   青春樅誰人愛變成落葉相思栽——

 

  這首小調,是林三郎自己譜的曲。他在日據時代,是個小有名氣的樂師,自己會寫歌。他們說,他愛上了一個蓬萊閣叫白玉樓的酒女,那個酒女發羊病瘋跌到淡水河裏淹死了,他就為她寫下了這首《孤戀花》。他抱著他那架磨得油黃的手風琴,眨著他那雙愈爛愈紅的眼睛,天天奏,天天拉,我在五月花裏,不知聽過多少酒女唱過這支歌了。可是沒有一個能唱得像娟娟那般悲苦,一聲聲,竟好像是在訴冤似的。不知怎的,看著娟娟那副形相,我突然想起五寶來。其實娟娟和五寶長得並不十分像,五寶要比娟娟端秀些,可是五寶唱起戲來,也是那一種悲苦的神情。從前我們一道出堂差,總愛配一出《再生緣》,我唱孟麗君,五寶唱蘇映雪,她也是愛那樣把雙眉頭蹙成一堆,一段二黃,滿腔的怨情都給唱盡了似的。她們兩個人都是三角臉,短下巴,高高的顴骨,眼塘子微微下坑,兩個人都長著那麼一副飄落的薄命相。

  娟娟一唱完,便讓一個矮胖禿頭的日本狎客攔腰揪走了,他把她撳在膝蓋上,先灌了她一盅酒,灌完又替她斟,直推著她跟鄰座一個客人鬥酒。娟娟並不推拒,舉起酒杯,又咕嘟咕嘟一口氣飲盡了。喝完她用手背揩去嘴角邊淌流下來的酒汁,然後望著那個客人笑了一下。我看見她那蒼白的小三角臉上浮起來的那一抹笑容,竟比哭泣還要淒涼。我從來沒有見過那麼容易讓客人擺佈的酒女。像我手下的麗君,心梅,灌她們一盅酒,那得要看押狎的本事。可是娟娟卻讓那幾個日本人穿梭一般,來回的猛灌,她不拒絕,連聲也不吭,喝完一杯,咂咂嘴,便對他們淒苦的笑一下。一番當下來,娟娟總灌了七八杯紹興酒下去,臉都有點泛青了。她臨走時,立起身來,還對那幾個灌她酒的狎客點著頭說了聲對不起,臉上又浮起她那個十分僵硬、十分淒涼的笑容來。

  那天晚上,我收拾妥當,臨離開時,走進三樓的洗手間去,一開門,卻赫然看見娟娟在裏頭,醉倒在地上,朝天臥著。她一臉發了灰,一件黑緞子旗袍上,斑斑點點,灑滿了酒汁。洗面缸的龍頭開了沒關,水溢到地上來,浸得娟娟一頭長髮濕淋淋的。我趕忙把她扶了起來,脫下自己的大衣裹在她身上。那晚,我便把娟娟帶回到我的寓所裏去,那時我還一個人住在寧波西街。

  我替娟娟換洗了一番,服侍她睡到我床上去,她卻一直昏醉不醒,兩個肩膀猶自冷得打哆嗦。我拿出一條厚棉被來,蓋到她身上,將被頭拉起,塞到她的下巴底下,蓋得嚴嚴的。我突然發覺,我有好多年沒有做這種動作了。從前五寶同我睡一房的時候,半夜裏我常常起來替她蓋被。五寶只有兩杯酒量,出外陪酒,跑回來常常醉得人事不知。睡覺的時候,酒性一燥,便把被窩踢得精光。我總是拿條被單把她緊緊的裹起來。有時候她讓華三那個老龜公打傷了,晚上睡不安,我一夜還得起來好幾次,我一勸她,她就從被窩裏伸出她的膀子來,摔到我臉上,冷笑道:

  「這是命,阿姐。」

  她那雪白的胳臂上印著一排銅錢大的焦火泡子,是華三那桿煙槍子烙的。我看她痛得厲害,總是躺在她身邊,替她揉搓著,陪她到大天亮。我摸了摸娟娟的額頭,冰涼的,一直在冒冷汗,娟娟真的醉狠了,翻騰了一夜,睡得非常不安穩。

  第二天,矇矇亮的時候,娟娟就醒了過來。她的臉色很難看,睜著一雙炯炯的眸子,她說她的頭痛得裂開了。我起來熬了一碗紅糖薑湯,拿到床邊去餵她。她坐起身來,我替她披上了一件棉襖。她喝了一半便不喝了,俯下頭去,兩手拚命在搓揉她的太陽穴,她的長頭髮披掛到前面來,把她的臉遮住了。半晌,她突然低著頭說道:

  「我又夢見我媽了。」娟娟說話的聲音很奇怪,空空洞洞,不帶尾音的。

  「她在哪裏?」我在她的身邊坐了下來。

  「不知道,」她抬起頭來,搖動著一頭長髮,「也許還在我們蘇澳鄉下——她是一個瘋子。」

  「哦——」我伸出手去。替她拭去額上冒出來一顆一顆的冷汗珠子。我發覺娟娟的眼睛也非常奇特,又深又黑,發怔的時候,目光還是那麼驚慌,一雙眸子好像兩隻黑蝌蚪,一徑在亂竄著。

  「我爸用根鐵鏈子套在她的頸脖上,把她鎖在豬欄裏。小時候,我一直不知道她是我媽媽,我爸從來不告訴我。也不准我走近她。我去餵豬的時候,常看見附近的小孩子拿石頭去砸她,一砸中,她就張起兩隻手爪,磨著牙齒吼起來。那些小孩子笑了,我也跟著笑——」娟娟說著嘿嘿的乾笑了幾聲,她那短短蒼白的三角臉微微扭曲著:「有一天,你看——」

  她拉開了衣領,指著她咽喉的下端,有一條手指粗,像蚯蚓般鮮亮的紅疤,橫在那裏。

  「有一天,我阿姨來了,她帶我到豬欄邊,邊哭邊說道:『伊就是你阿母呵!』那天晚上,我偷偷拿了一碗菜飯,爬進豬欄裏去,遞給我媽,我媽接過飯去,瞅了我半天,咧開嘴笑了。我走過去,用手去摸她的臉,我一碰到她,她突然慘叫了起來,把飯碗砸到地上,伸出她的手爪子,一把將我撈住,我還沒叫出聲音來,她的牙齒已經咬到我喉嚨上來了——」

  娟娟說著又乾笑了起來,兩隻黑蝌蚪似的眸子在迸跳著。我摟住她的肩膀,用手撫摩著她頸子上那條疤痕,我突然覺得那條蚯蚓似的紅疤,滑溜溜的,蠕動了起來一般。(第195~203頁)*1

 以前は五月ウーユエホワの仕事が終わると、毎日娟娟チユアンチユアンと一緒に家へ帰ったものだ。夏の夜などは二人して輪タクに揺られて、ゆっくりと金華街の小さなアパートに帰ることもあった。だがいまは違う。いまはいつも私が先に帰宅して、家で夜食を用意して娟娟の帰りを待つ。夜が明けるまで待ち続けることもある。

 金華街のこのアパートは私がこれまで貯めてきた金で買ったものだ。昔上海の万春楼にいた時もいくらかは貯めていた。私は五宝ウーパオたちより古株で、五宝も私の手で育て上げたようなものだ。ところが戦乱から逃れる途中ですべてを失い、翡翠のブレスレット一対しか残らなかったが、それだけは腕から外さなかった。この翡翠のブレスレットは五宝の形見なので、どんな艱難辛苦にも関わらず絶対に手放さなかった。

 五月花に勤めに出るのは自分から望んだことではなかった。台湾に来たばかりの頃、私は大男のユーを始めとする数人のヤクザと組んで密輸商売をやっていた。ところが基隆キールンの波止場で続けざまに取引に失敗し、兪は自分の元手をすったばかりでなく、私のアクセサリーまですべて借金のかたに取られてしまった。最後にユーは私が腕につけた翡翠のブレスレットまでむしり取ろうとしたので、長い鋏を手にとって兪に突きつけ、「あたしの腕の翡翠に指一本触れたら承知しないよ!」と大声を上げた。兪は私の顔に唾を吐きかけ、「この売女め、売女め!」と喚いた。長年この商売をやって来た私だが、その二文字だけは絶対に聞き捨てならない。特に男の口からその言葉が出た時はなおさら汚らしく感じる。

 酒場の仕事はそう簡単ではないが、五月ウーユエホワの経営者は私に経験があって客あしらいがうまく、そのうえ京劇のひとくさりも歌えるのを見込んで、もっぱら大陸から来た年寄り客相手に京劇を歌ってやる役を与えた。時には上海時代のなじみ客に出会うこともあり、向こうは私のことを以前のように「六番の雲芳ユンフアン」と呼ぶ。ある時、盧九ことルー根栄ケンロンにばったり出くわすと、私を見るなり足を踏み鳴らして残念がってこう言った。

阿六アーリウ、どうしてこんなところまで落ちぶれたんだ」

 私は笑って答えた。

「人それぞれの運命ってものでしょ?」

 それでも五月花は、外省人の私が女の子たちと一緒になんとかやって来たおかげで、この間ある程度儲かったわけだから、やはり私の腕がよかったと言うべきだろう。そのうち私は経営者にしつこく迫って、ついにマネージャーの地位を獲得し、女の子たちを取り仕切ることになった。五月花の女性マネージャーは私とフー阿花アーホウふたりだけで、その他はゴロツキばかりだったが、別に気にもしなかった。私は男たちに交じって生きてきたから、その手の人間を相手にするのは慣れていた。客は私のことを「司令官」と呼んだが、なんでも部下に麗君リーチユン心梅シンメイなどが勢ぞろいしているので、陸海空軍の大将に相応しいとのことだった。マネージャーになると手にするのは月給だけとなったが、女の子たちの体で稼いだ金から搾り取るのは忍びなく、以前に比べると手元も不如意になった。最後にはとうとうよそで貸していた金を一括して回収し、あれこれ計算、算段してみたが、ついには翡翠のブレスレットを外して何とか金を工面して、金華街のこの小さなアパートを買ったのだ。このアパートを買ったのは、すべて娟娟チユアンチユアンのためだった。

 娟娟はもともとラオ鼠仔シユツの下にいた子で、五月ウーユエホワに来て日も浅く、何度か顔を合わせただけで気にも留めていなかった。そもそも五月花の女の子たちは化粧をして身ごしらえをすると、みな同じに見える。一年余り前の冬の夜のこと、私は三階の三一三号室へ見回りに行った。ドアを開けるとすぐに娟娟が立って台湾歌曲を歌っているのが目に入った。テーブルの半分は日本人客で、麗君や心梅たち売れっ子ホステスの腰を抱いたり、乳房を触ったり、馬鹿騒ぎを繰り広げている。部屋じゅう煙草の煙が立ちこめ、酒と男たちの臭いが充満して、誰も娟娟の歌をまともに聞く者などいなかった。部屋の片隅に立った娟娟は黒い緞子のチャイナドレスに小さな白い肩掛けをはおり、長い髪が肩までかかって、腰は細く絞ってあった。背後を三人の楽師が取り囲んでいたが、リーダーのリン三郎サンラン(戦前から活躍した台湾歌謡曲の作曲家楊三郎がモデルか)は失明寸前なまでに爛れた目をしばたたかせながら、かなり古びて、喘ぐような哀しい音を発するアコーディオンを奏でて、娟娟の伴奏をしていた。娟娟が歌っていたのが「孤恋クーリエンコー」(周添旺作詞、楊三郎作曲家、一九五二年発表)である。彼女は首をかしげ、顔を上に向けて目を閉じ、眉間をぎゅっと寄せて、髪の毛が片方の肩にかかるのに任せて、細く震えるような声で、誰に向かってか、次のように歌っていた。

 

  月は西に傾く、西に傾く。心から思っているのに、あなたには分からない。

  この若い木を誰が愛してくれるだろう。落ち葉になってかなわぬ思いを育てよう。

 

 この歌はリン三郎サンランが自分で作曲したものだった。彼は日本統治時代に多少の名声のある楽師で、自分で歌を書いた。なんでも蓬󠄀莱閣(戦前からあった台北の有名な料理屋)の白玉パイユロウという酒場女を好きになったが、その女が癲癇の発作を起こして淡水河に落ちて溺れ死んだので、その女への思いを「孤恋クーリエンコー」に書いたのだそうだ。林三郎は鍵盤が油染みて黄ばむほど使い込んだアコーディオンを抱きかかえ、いっそう爛れて赤くなった目をしばたたかせながら、来る日も来る日も演奏を続けた。五月ウーユエホワの女の子たちがこの歌をうたうのを聞いた回数は数知れないが、娟娟チユアンチユアンほど痛ましい思いを込めて歌える者は他にいない。一声一声がまるで悲しみを訴えかけているように感じる。娟娟の様子を見ていると、なぜか突然五宝ウーパオのことを思い出す。といっても別に娟娟が五宝にそう似ているわけではなく、五宝の方が娟娟より容姿端麗だ。しかし五宝が京劇を歌う時、似たような痛ましい思いが感じられたのだ。昔私たちが一緒に酒席に出る時はいつも『再生ツアイシヨンユアン』(清代の恋愛語り物)をよく歌ったものだ。私がモン麗君リーチユンを、五宝がスー映雪インシユエ(孟麗君を助ける召使)を演じるのだが、彼女もやはり眉間に皺を寄せて叙情的に歌い上げ、胸に溢れる辛い思いをすべて吐き出すかのようであった。五宝も娟娟も三角顔で顎が小さく、頰が高くて目がやや窪んでいて、二人とも漂泊、薄命の相があった。

 歌い終えた娟娟チユアンチユアンはすぐにチビでデブで禿げ頭の日本人客に腰を摑まれて膝の上に座らされた。客はまず彼女に一杯注ぎ、飲み干させるとまた注ぎ、隣の客と飲み比べをさせようとした。娟娟は断らずにグラスを持ち上げ、ごくごくと一気に飲み干した。飲み終わると彼女は口元から滴り落ちる酒を手の甲で拭ってから、客の方を向いて微笑んだ。見れば彼女の青ざめた小さな三角顔に薄笑いが浮かんでいたが、それは泣き顔よりも悲哀に満ちていた。それまで私はあれほど客の言いなりになる酒場女を見たことがなかった。私の下にいる麗君リーチユン心梅シンメイなら、彼女たちに酒を一杯飲ませるのは客の腕次第だった。ところが娟娟はその数人の日本人客に右へ左へといいように扱われ、何度無理やり酒を飲まされても拒まず、黙って一杯飲み干すと、舌なめずりしながら悲しい笑みを見せるのである。テーブル・サービスが終わる頃には、娟娟は全部で七、八杯の紹興酒を飲まされて、顔もいくらか青ざめていた。部屋を出る時、立ち上がった彼女は酒を強要した客に頭を下げて「ごめんなさい」と言いながら、顔にぎこちない悲しい笑みを浮かべていた。

 その夜、私が仕事を片づけて帰宅しようとして、三階のトイレに行ったところ、ドアを開けるなり娟娟が酔いつぶれて床に仰向けに倒れているのを見てびっくりしてしまった。顔に血の気がなく、黒の緞子のチャイナドレスには点々と酒がこぼれた染みがついていた。洗面台の蛇口を閉めてなかったので、水が床に溢れ出し、娟娟の長髪をびしょびしょに濡らしている。急いで助け起こし、自分のオーバーを脱いで体をくるんでやった。その晩、私は娟娟を自分の家へ連れて帰った。その頃、私はまだ一人で寧波西街に住んでいた。

 体を洗って着替えさせ、私のベッドに寝かしつける段になっても、娟娟チユアンチユアンは酔いが醒めず、両肩をぶるぶる震わせて寒がった。そこで私は厚い布団を出して上に掛けてやり、布団の端を顎の下まで引っ張ってしっかりくるんでやった。その時、もう長いことそんな動作をしていないことにふと気がついた。昔五宝ウーパオと同じ部屋に寝泊りしていた頃、私はしょっちゅう夜中に起きて布団を掛けてやったものだ。五宝はせいぜい二杯くらいしか酒を飲めないので、外に呼び出されて客と酒を飲むと、家に戻る頃にはいつも意識がないほど酔っ払っていた。寝ている時に酔いのせいか、布団を蹴り出してしまう。そこでいつも私は布団を引っ張って五宝の体をしっかりくるんでやるのである。時には五宝が例の老いぼれ亀こと華三ホアサンに殴られて傷を負い、眠れるどころではないので、私が一晩に何度も起きては慰めることがあった。彼女は布団の中から腕を出して私の顔に突きつけ、冷たく笑って言った。

「これも定めなのよ、ねえさん」

 彼女の真っ白な腕に一列の銅銭大のやけどの水ぶくれがあり、それは華三がアヘンキセルを押しつけてできたものだった。あまりに彼女が痛がるので、いつも添い寝して揉んでやったりして、夜明けまで面倒を見てやったものだ。娟娟の額に手をやるとひんやり冷たく、冷や汗が流れ続けていた。娟娟は本当にひどく酔って一晩中苦しみ、とても寝られるどころの状態ではなかっ

 翌日、空がぼんやり白み始める頃、娟娟は目を覚ました。ひどい顔色で、瞳を炯炯と光らせて、頭が割れるように痛いと訴えた。私は生姜砂糖湯を煎󠄀じて、ベッドまで持っていて飲ませた。娟娟が起き上がったので、綿入れの服を掛けてやった。半分飲み干すと、もう要らないと言って、俯いて両手でこめかみをしきりに揉み、長い髪が前に垂れて顔を覆い隠した。しばらくすると俯いたまま突然言った。

「また母さんの夢を見たわ」娟娟の話し声は空ろで、語尾が消えがちで、風変わりだった。

「いまどこにいるの?」私は彼女のそばに腰を下ろした。

「知らない」彼女は顔を上げて長い髪を振り動かした。「まだ蘇澳スーアオの田舎にいるかもしれない。.....母さんは気が触れているの」

「まあ、そうなの」私は手を伸ばして額に滲み出ている冷たい汗を拭いてやった。娟娟の瞳が黒く奥深く、非常に独特であることに気がついた。ぼんやりしている時の眼差しには怯えが見え、瞳が黒いオタマジャクシのように絶えず動き回る。

「父さんは母さんの首に鎖をつけて豚小屋に縛り付けた。子供の頃はその人が自分の母親だと知らなかった。父さんが教えてくれなかったもの。それに近づいてはいけないと言われていた。豚に餌󠄀をやりに行くと、近所の子供が石を拾ってその人に投げつけているのをよく見かけた。石が当たるとその人は両手の爪を剝き出しにして、歯軋りしながら叫び声を上げるの。子供たちは笑い、私も一緒に笑ったものよ……」娟娟はそう言いながらフッフッと空笑いをすると、青ざめた小さな三角顔をわずかに傾けて言った。「ある日のこと、ほら見て……...」

 彼女は襟元を広げて喉の下の方を指差した。指ぐらいの太さの、ミミズ状の目立つ赤い痣がそこに付いていた。

「ある日、おばさんがやって来て、私を豚小屋へ連れていって、泣きながら『あれが、おまえの母ちゃんだよ!』って言ったの。その日の夜、私はこっそりご飯を持って豚小屋に忍び込み、母さんに渡した。母さんはご飯を受け取ると、しばらく私をじっと見つめてから、口を開けて笑い出した。私は近寄って母さんの顔を手で撫でた。手が触れた瞬間、母さんは突然身の毛のよだつような叫び声を上げ、茶碗を地面に叩きつけると、手を伸ばしてさっと私を抱え込んだ。私が声も上げられないでいるうちに、母さんは私の喉笛に嚙み付いた……...」

 娟娟チユアンチユアンはまた空笑いをして、黒いオタマジャクシのような瞳が跳ね回った。私は彼女の肩をぎゅっと抱きしめ、首の痣を撫でてやったが、ふとそのミミズ状の赤い痣がつるつるして、もぞもぞ動くように感じた。(pp. 131-138)

冬夜

  「欽磊——」

  余教授猛然立起身來,蹭著迎過去,吳柱國已經走上玄關來了。

  「我剛才還到巷子口去等你,怕你找不到。」余教授蹲下身去,在玄關的矮櫃裏摸索了一陣,才拿出一雙草拖鞋來,給吳柱國換上,有一隻卻破得張開了口。

  「臺北這些巷子真像迷宮,」吳柱國笑道,「比北平那些胡同還要亂多了。」他的頭髮淋得濕透,眼鏡上都是水珠。他脫下大衣,抖了兩下,交給余教授,他裏面卻穿著一件中國絲綿短襖。他坐下來時,忙掏出手帕,把頭上臉上揩拭了一番,他那一頭雪白的銀髮,都讓他揩得蓬鬆零亂起來。

  「我早就想去接你來了,」余教授將自己使用的那隻保暖杯拿出來泡了一杯龍井擱在吳柱國面前,他還記得吳柱國是不喝紅茶的,「看你這幾天那麼忙,我也就不趁熱鬧了。」

  「我們中國人還是那麼喜歡應酬,」吳柱國搖著頭笑道,「這幾天,天天有人請吃酒席,十幾道十幾道的菜——」

  「你再住下去,恐怕你的老胃病又要吃犯了呢。」余教授在吳柱國對面坐下來,笑道。

  「可不是?我已經吃不消了!今晚邵子奇請客,我根本沒有下箸——邵子奇告訴我,他也有好幾年沒見到你了。你們兩人——」吳柱國望著余教授,余教授摸了一摸他那光禿的頭,輕輕吁了一口氣,笑道:

  「他正在做官,又是個忙人。我們見了面,也沒什麼話說。我又不會講虛套,何況對他呢?所以還是不見面的好。你是記得的:我們當年參加『勵志社』,頭一條誓言是什麼?」

  吳柱國笑了一笑,答道:

  「二十年不做官。」

  「那天宣誓,還是邵子奇帶頭宣讀的呢!當然,當然,二十年的期限,早已過了——」余教授和吳柱國同時都笑了起來。吳柱國捧起那盅龍井,吹開浮面的茶葉,啜了一口,茶水的熱氣,把他的眼鏡子蒸得模糊了。他除下眼鏡,一面擦著,一面覷起眼睛,若有所思的嘆了一口氣,說道:

  「這次回來,『勵志社』的老朋友,多半都不在了——」

  「賈宜生是上個月去世的,」余教授答道,「他的結局很悲慘。」

  「我在國外報上看到了,登得並不清楚。」

  「很悲慘的——」余教授又喃喃的加了一句。

  「他去世的前一天我還在學校看到他。他的脖子硬了,嘴巴也歪了——上半年他摔過一跤,摔破了血管——我看見他氣色很不好,勸他回家休息,他只苦笑了一下。我知道,他的環境困得厲害,太太又病在醫院裏。那晚他還去兼夜課,到了學校門口,一跤滑在陰溝裏,便完了——」余教授攤開雙手,乾笑了一聲。「賈宜生,就這麼完了。」

  「真是的——」吳柱國含糊應道。

  「我彷彿聽說陸沖也亡故了,你在外國大概知道得清楚些。」

  「只是人生的諷刺也未免太大了,」吳柱國唏噓道,「當年陸沖還是個打倒『孔家店』的人物呢。」

  「何嘗不是?」余教授也莫奈何的笑了一下,「就拿這幾個人來說:邵子奇、賈宜生、陸沖、你、我,還有我們那位給槍斃了的日本大漢奸陳雄——當年我們幾個人在北大,一起說過些什麼話?」

  吳柱國掏出煙斗,點上煙,深深吸了一口,吁著煙,若有所思的沉默了片刻,突然他搖著頭笑出了聲音來,歪過身去對余教授說道:

  「你知道,欽磊,我在國外大學開課,大多止於唐宋,民國史我是從來不開的。上學期,我在加州大學開了一門『唐代政治制度』。這陣子,美國大學的學潮鬧得厲害,加大的學生更不得了,他們把學校的房子也燒掉了,校長攆走了,教授也打跑了,他們那麼胡鬧,我實在看不慣。有一天下午,我在講『唐初的科舉制度』,學校裏,學生正在跟警察大打出手,到處放瓦斯,簡直不像話!你想想,那種情形,我在講第七世紀中國的考試制度,那些蓬頭赤足,躍躍欲試的美國學生,怎麼聽得進去?他們坐在教室裏,眼睛都瞅著窗外。我便放下了書,對他們說道:『你們這樣就算鬧學潮了嗎?四十多年前,中國學生在北京鬧學潮,比你們還要凶百十倍呢!』他們頓時動容起來,臉上一副半信半疑的神情,好像說:『中國學生也會鬧學潮嗎?』」吳柱國和余教授同時都笑了起來。

  「於是我便對他們說道:『一九一九年五月四日,一群北京大學領頭的學生,為了反日本,打到一個賣國求榮的政府官員家裏,燒掉了他的房子,把躲在裏面的一個駐日公使,揪了出來,痛揍了一頓——』那些美國學生聽得肅然起敬起來,他們口口聲聲反越戰,到底還不敢去燒他們的五角大廈呢。『後來這批學生都下了獄,被關在北京大學的法學院內,一共有一千多人——』我看見他們聽得全神貫注了,我才慢慢說道,『下監那群學生當中領頭打駐日公使的,便是在下。』他們哄堂大笑起來,頓足的頓足,拍手的拍手,外面警察放槍他們也聽不見了——」余教授笑得一顆光禿的頭顱前後亂晃起來。

  「他們都搶著問,我們當時怎樣打趙家樓的。我跟他們說,我們是疊羅漢爬進曹汝霖家裏去的。第一個爬進去的那個學生,把鞋子擠掉了。打著一雙赤足,滿院子亂跑,一邊放火。『那個學生現在在哪裏?』他們齊聲問道。我說:『他在臺灣一間大學教書,教拜侖。』那些美國學生一個個都笑得樂不可支起來——」

  余教授那張皺紋滿布的臉上,突然一紅,綻開了一個近乎童稚的笑容來,他訕訕的咧著嘴,低頭下去瞅了一下他那一雙腳,他沒有穿拖鞋,一雙粗絨線襪,後跟打了兩個黑布補釘,他不由得將一雙腳合攏在一起,搓了兩下。

  「我告訴他們:我們關在學校裏,有好多女學生來慰問,一個女師大的校花,還跟那位打赤足放火的朋友結成了姻緣,他們兩人,是當時中國的羅密歐與朱麗葉——」

  「柱國,你真會開玩笑。」余教授一面摸撫著他那光禿的頭頂,不勝唏噓的笑道。他看見吳柱國那杯茶已經涼了,便立起身,一拐一拐的,去拿了一隻暖水壺來,替吳柱國斟上滾水,一面反問他:

  「你為什麼不告訴你學生,那天領隊遊行扛大旗的那個學生,跟警察打架,把眼鏡也打掉了?」

  吳柱國也訕訕的笑了起來。

  「我倒是跟他們提起:賈宜生割開手指,在牆上寫下了『還我青島』的血書,陳雄卻穿了喪服,舉著『曹陸章遺臭萬年』的輓聯,在街上遊行——」

  「賈宜生——他倒是一直想做一番事業的——」余教授坐下來,喟然嘆道。「不知他那本《中國思想史》寫完了沒有?」吳柱國關懷的問道。「我正在替他校稿,才寫到宋明理學,而且——」余教授皺起眉頭說,「最後幾章寫得太潦草,他的思想大不如從前那樣敏銳過人了,現在我還沒找到人替他出版呢,連他的安葬費還是我們這幾個老朋友拼湊的。」「哦?」吳柱國驚異道,「他竟是這樣的——」余教授和吳柱國相對坐著,漸漸默然起來。吳柱國兩隻手伸到袖管裏去,余教授卻輕輕的在敲著他那隻僵痛的右腿。

  「柱國——」過了半晌,余教授抬起頭來望著吳柱國說道,「我們這夥人,總算你最有成就。」

  「我最有成就?」吳柱國驚愕的抬起頭來。

  「真的,柱國,」余教授的聲音變得有點激動起來,「這些年,我一事無成。每次在報紙上看見你揚名國外的消息,我就不禁又感慨、又欣慰,至少還有你一個人在學術界替我們爭一口氣——」余教授說著禁不住伸過手去,捏了一下吳柱國的膀子。「欽磊——」吳柱國突然掙開余教授的手叫道,余教授發覺他的聲音裏竟充滿了痛苦,「你這樣說,更是叫我無地自容了!」「柱國?」余教授縮回手,喃喃喚道。

  「欽磊,我告訴你一件事,你就懂得這些年我在國外的心情了,」吳柱國把煙斗擱在茶几上,卸下了他那副銀絲邊的眼鏡,用手捏了一捏他那緊皺的眉心,「這些年,我都是在世界各地演講開會度過去的,看起來熱鬧得很。上年東方歷史學會在舊金山開會,我參加的那一組,有一個哈佛大學剛畢業的美國學生,宣讀他一篇論文,題目是:《五四運動的重新估價》。那個小夥子一上來便把『五四』批評得體無完膚,然後振振有詞的結論道:這批狂熱的中國知識青年,在一陣反傳統、打倒偶像的運動中,將在中國實行二千多年的孔制徹底推翻,這些青年,昧於中國國情,盲目崇拜西方文化,迷信西方民主科學,造成了中國思想界空前的大混亂。但是這批在父權中心社會成長的青年,既沒有獨立的思想體系,又沒有堅定的意志力,當孔制傳統一旦崩潰,他們頓時便失去了精神的依賴,於是彷惶、迷失,如同一群弒父的逆子——他們打倒了他們的精神之父——孔子,背負著重大的罪孽,開始了他們精神上的自我放逐,有的重新回頭擁抱他們早已殘破不堪的傳統,有的奔逃海外,做了明哲保身的隱士。他們的運動瓦解了、變質了。有些中國學者把『五四』比作中國的『文藝復興』,我認為,這只能算是一個流產了的『文藝復興』。他一念完,大家都很激動,尤其是幾個中國教授和學生,目光一齊投向我,以為我一定會起來發言。可是我一句話也沒有說,默默的離開了會場——」

  「噢,柱國——」

  「那個小夥子有些立論是不難辯倒的,可是,欽磊——」吳柱國的聲音都有些哽住了,他乾笑了一聲,「你想想看,我在國外做了幾十年的逃兵,在那種場合,還有什麼臉面挺身出來,為『五四』講話呢?所以這些年在外國,我總不願意講民國史,那次在加大提到『五四』,還是看見他們學生學潮鬧的熱鬧,引起我的話題來——也不過是逗著他們玩玩,當笑話講罷了。我們過去的光榮,到底容易講些,我可以毫不汗顏的對我的外國學生說:『李唐王朝,造就了當時世界上最強盛、文化最燦爛的大帝國。』——就是這樣,我在外國喊了幾十年,有時也不禁好笑,覺得自己真是像唐玄宗的白髮宮女,拚命在向外國人吹噓天寶遺事了——」

  「可是柱國,你寫了那麼多的著作!」余教授幾乎抗議的截斷吳柱國的話。

  「我寫了好幾本書:《唐代宰相的職權》、《唐末藩鎮制度》,我還寫過一本小冊子叫《唐明皇的梨園子弟》,一共幾十萬字——都是空話啊——」吳柱國搖著手喊道,然後他又冷笑了一聲,「那些書堆在圖書館裏,大概只有修博士的美國學生,才會去翻翻罷了。」

  「柱國,你的茶涼了,我給你去換一杯來。」余教授立起身來,吳柱國一把執住他的手,抬起頭望著他說道:

  「欽磊,我對你講老實話:我寫那些書,完全是為了應付美國大學,不出版著作,他們便要解聘,不能升級,所以隔兩年,我便擠出一本來,如果不必出版著作,我是一本也不會寫了的。」

  「我給你去弄杯熱茶來。」余教授喃喃的重複道,他看見吳柱國那張文雅的臉上,微微起著痙攣。他蹭到客廳一角的案邊,將吳柱國那杯涼茶倒進痰盂裏,重新沏上一杯龍井,他手捧著那隻保暖杯,十分吃力的拐回到座位上去,他覺得他那隻右腿,坐久了,愈來愈僵硬,一陣陣的麻痛,從骨節裏滲出來。他坐下後,又禁不住用手去捏搾了一下。

  「你的腿好像傷得不輕呢。」吳柱國接過熱茶去,關注著余教授說道。

  「那次給撞傷,總也沒好過,還沒殘廢,已是萬幸了。」余教授解嘲一般笑道。

  「你去徹底治療過沒有?」

  「別提了,」余教授擺手道,「我在台大醫院住了五個月。他們又給我開刀,又給我電療,東搞西搞,愈搞愈糟,索性癱掉了。我太太也不顧我反對,不知哪裏弄了一個打針灸的郎中來,戳了幾下,居然能下地走動了!」余教授說著,很無可奈何的攤開手笑了起來,「我看我們中國人的毛病,也特別古怪些,有時候,洋法子未必奏效,還得弄帖土藥秘方來治一治,像打金針,亂戳一下,作興還戳中了機關——」說著,吳柱國也跟著搖搖頭,很無奈的笑了起來,跟著他伸過手去,輕輕拍了一下余教授那條僵痛的右腿,說道:「你不知道,欽磊,我在國外,一想到你和賈宜生,就不禁覺得內愧。生活那麼清苦,你們還能在臺灣守在教育的崗位上,教導我們自己的青年——」吳柱國說著,聲音都微微顫抖了,他又輕輕的拍了余教授一下。

  「欽磊,你真不容易——」

  余教授默默的望著吳柱國,半晌沒有做聲,他搔了一搔他那光禿的頭頂,笑道:

  「現在我教的,都是女學生,上學期,一個男生也沒有了。」

  「你教『浪漫文學』,女孩子自然是喜歡的。」吳柱國笑著替余教授解說道。

  「有一個女學生問我:『拜侖真的那樣漂亮嗎?』我告訴她:『拜侖是個跛子,恐怕跛得比我還要厲害哩。』那個女孩子頓時一臉痛苦不堪的樣子,我只得安慰她:『拜侖的臉蛋兒還是十分英俊的』——」余教授和吳柱國同時笑了起來。「上學期大考,我出了一個題目要她們論『拜侖的浪漫精神』,有一個女孩子寫下了一大堆拜侖情婦的名字,連他的妹妹Augusta也寫上去了!」

  「教教女學生也很有意思的。」吳柱國笑得低下頭去,「你譯的那部《拜侖詩集》,在這裏一定很暢銷了?」

  「《拜侖詩集》我並沒有譯完。」

  「哦——」

  「其實只還差〈Don Juan〉』最後幾章,這七八年,我沒譯過一個字,就是把拜侖譯出來,恐怕現在也不會有多少人看了——」余教授頗為落寞了的嘆了一口氣,定定的注視著吳柱國,「柱國,這些年,我並沒有你想像那樣,並沒有想『守住崗位』,這些年,我一直在設法出國——」

  「欽磊——你——」

  「我不但想出國,而且還用盡了手段去爭取機會。每一年,我一打聽到我們文學院有外國贈送的獎金,我總是搶先去申請。前五年,我好不容易爭到了哈佛大學給的福特獎金,去研究兩年,每年有九千多美金。出國手續全部我都辦妥了,那天我到美國領事館去簽證,領事還跟我握手道賀。哪曉得一出領事館門口,一個台大學生騎著一輛機器腳踏車過來,一撞,便把我的腿撞斷了。」

  「哎,欽磊。」吳柱國曖昧的嘆道。

  「我病在醫院裏,應該馬上宣布放棄那項獎金的,可是我沒有,我寫信給哈佛,說我的腿只受了外傷,治癒後馬上出去。我在醫院裏躺了五個月,哈佛便取消了那項獎金。要是我早讓出來,也許賈宜生便得到了——」

  「賈宜生嗎?」吳柱國驚嘆道。

  「賈宜生也申請了的,所以他過世,我特別難過,覺得對不起他。要是他得到那項獎金,能到美國去,也許就不會病死了。他過世,我到處奔走替他去籌治喪費及撫恤金,他太太也病得很厲害。我寫信給邵子奇,邵子奇派了一個人,只送了一千塊台市來——」

  「唉,唉。」吳柱國連聲嘆道。

  「可是柱國,」余教授愀然望著吳柱國,「我自己實在也很需要那筆獎金。雅馨去世的時候,我的兩個兒子都很小,雅馨臨終要我答應,一定撫養他們成人,給他們受最好的教育。我的大兒子出國學工程,沒有申請到獎學金,我替他籌了一筆錢,數目相當可觀,我還了好幾年都還不清。所以我那時想,要是我得到那筆獎金,在國外省用一點,就可以償清我的債務了。沒想到——」余教授聳一聳肩膀,乾笑了兩聲。吳柱國舉起手來,想說什麼,可是他的嘴唇動了一下,又默然了。過了片刻,他才強笑道:

  「雅馨——她真是一個叫人懷念的女人。」(第296~310頁)

嶔磊チンレイ……」

 ユー教授がすぐに立ち上がり、足を引き摺りながら迎えに出ていくと、呉柱国はすでに玄関まで来ていた。

「家が見つからないかもしれないと思って、さっき路地の入り口まで行って待っていたんだ」余教授は玄関の低い戸棚をごそごそ探って、ようやく藁で編んだスリッパを取り出すと、呉柱国に履き代えてもらったが、片方の爪先が破れていた。

「台北のこの辺りの路地はまるで迷路だな」呉柱国は笑って言った。「北平ペイピンの胡同より分かりにくい」彼の髪はびしょ濡れで、眼鏡も水滴がいっぱいついている。オーバーを脱ぎ、二振りすると余教授に渡した。下には中国式の絹地の綿入れ上着を着ていた。腰を下ろすと、急いでハンカチを取り出し、頭や顔を拭った。そのため真っ白な銀髪がくしゃくしゃになった。

「最初は迎えに行こうと思っていたんだ」余教授は自分が使っている保温カップを取り出して、龍井ロンチン(浙江省杭州産の緑茶)を入れて呉柱国の前に置いた。呉柱国が紅茶を飲まないことを覚えていた。「ここ二、三日は忙しそうだから、余計な邪魔をしないようにと思ってね」

「我々中国人はやっぱり社交好きだからな」呉柱国は首を振って笑った。「ここ数日は毎日招待の宴会ばかりで、毎回十数種類の料理の連続だよ……...」

「そんなことを続けていたら、持病の胃病がまたぶり返すぞ」

「もちろんさ。もう我慢の限界だよ。今晩はシヤオ子奇ツーチーの招待だったけど、箸もつけなかった。……邵子奇がもう何年も君に会っていないと言っていたけど、君たち二人は……」ウー柱国チユクオは余教授を見つめた。ユー教授は禿げた頭を撫でながら、軽くため息をついて笑った。

「あいつは政府の役人になって忙しい人間なんだ。顔を合わせても話すことがない。と言ってこちらは世間話が得意じゃないし、そもそもあいつには必要ないだろう。だから会わないのがいいのさ。昔我々が励志リーチーシヨに参加した時の誓いの第一条を覚えているか」

 呉柱国はちょっと笑って答えた。

「今後二十年間は役人にならない」

「宣誓した日、先頭に立って読み上げたのは邵子奇なんだぞ。もちろん、二十年間の期限はとっくに過ぎているがな……」余教授と呉柱国はいっしょに笑った。呉柱国は龍井ロンチンの茶碗を取り上げると、表面の葉を吹いて一口啜った。茶の湯気のせいで眼鏡が曇った。彼は眼鏡を外すと、それを拭きながら目を細め、何やら思案げにため息をついて言った。

「今回戻ってみると、励志社の旧友は大半がみな亡くなって……」

チア宜生イーシヨンは先月亡くなったが」余教授が答えた。「最後は悲惨だった」

「海外の新聞で読んだけど、詳細は書いてなかった」

「悲惨だった……」余教授は呟くように付け加えた。

「亡くなる前日、校内で見かけたんだ。首が硬直して、口も曲がっていた。半年前に転んで血管が破れたとか。顔色がひどく悪いので、家に帰って休むよう言ったんだが、苦笑いするばかりでね。暮らし向きにひどく困っていて、奥さんが入院していることも知ってはいた。その夜も時間講師として夜間クラスへ教えに行く途中、学校の正門まで来たところで足を滑らせて側溝に落ちて、それでおしまいだ……」ユー教授は両手を広げて作り笑いをした。「チア宜生イーシヨンの人生は、そうやっておしまいになった」

「なんてことだ……」ウー柱国チユクオは呟いた。

陸冲ルーチヨンも亡くなったと聞いたような気がするけれど、君は外国にいるから詳しく知っているだろう」

「陸冲の最後は最初から予測がついていた」呉柱国は嘆いた。「共産党の『百花斉放』(一九五六年の中国共産党による言論政策)期間、北京大学学生が陸冲を攻撃して、著書の『中国哲学史』が儒教の手先を務めるものだと批判して、自白書を書いて過ちを認めるよう求めた。陸冲の性格からしてそんなことは耐えられない。その場で北京大学の建物から飛び降りたんだ」

「いい、それでいいんだ!」余教授は突然興奮して太腿を二回ぴしゃりと叩いた。「さすが陸冲だ。尊敬に値する。弘毅の士たるに恥じない」

「しかし人生とは皮肉だと思わざるを得ない」呉柱国は嘆き悲しんで言った。「昔陸冲は『孔家店』打倒(五四時期の儒教批判スローガン)を唱えた人間なのに」

「それだけじゃないさ」余教授もやるせない笑みを浮かべた。「自分たちを見ろよ。シヤオ子奇ツーチーチア宜生イーシヨン陸冲ルーチヨン、君、私、それに日本の走狗となって銃殺された陳雄チエンシオンを含めて、当時北京大学在学中の我々が、集まってどんな話をしていたか」

 ウー柱国チユクオはパイプを取り出して火をつけ、深く一口吸うと、ゆっくり煙を吐き出し、しばらく黙って考え込んでいたが、急に首を振って笑い出すと、ユー教授の方へ体を傾けて言った。

「知っているか、嶔磊チンレイ。私は外国の大学で教えているが、たいてい唐代、宋代止まりだ。民国史の授業など一度も開講したことがない。先学期はカリフォルニア大学で唐代政治制度について講義を行った。最近アメリカの大学は学生運動が盛んで、とりわけカリフォルニア大学の学生がひどい。学校の建物を焼き払うは、学長を追い掛け回すは、教授も殴られて逃げ出す有様だ。彼らの無軌道ぶりには本当に我慢がならない。ある日の午後、唐代初期の科挙制度について講義をしていると、キャンパス内で学生が警察と衝突して、至る所で催涙ガスが放たれ、まったく無茶苦茶だった。考えてもみろよ。そんな状況の中で七世紀中国の試験制度について講義しているんだぞ。ぼさぼさ頭で裸足で、血気盛んなアメリカの学生が聞く気になるはずがない。教室の中に座ってはいるが、目はずっと窓の外を見ている。そこで私は本を置いて、『君らはこれが学生運動だと思っているのか。四十数年前、中国の学生は北京で学生運動を展開したが、君らより何十倍、何百倍も激しかった」と学生に言った。するとみな即座に心を動かされて、半信半疑の表情を浮かべて、『中国の学生も運動するのだろうか』と言わんばかりの反応だった」呉柱国と余教授はいっしょに笑った。

「そこで私は学生に言ってやった。『一九一九年五月四日、北京大学を先頭とする一群の学生が、日本に反対するため、売国蓄財虚栄の政府高官の家へ押しかけ、屋敷を焼き払い、中に隠れていた駐日公使を引き摺りだすと、こっぴどく殴りつけた……』アメリカ人学生はそれを聞いて粛然と襟を正した。彼らは何かというとベトナム反戦を唱えるが、ペンタゴンを焼き払うまでの勇気はない。『後でその学生たちはみな逮捕されて、北京大学法学部内に拘禁された。全部で千数百人いた……』学生がみな神経を集中して聞いているのを見て、私はゆっくりこう続けた。『拘禁された学生の中で先頭に立って駐日公使を殴りつけた学生が、いま目の前にいるこの私だ』学生たちはどっと笑い、足を踏み鳴らしたり、拍手をしたりして、外で警察が発砲している音など聞こえなかった……」ユー教授は禿げた頭を前後に揺らして笑った。

「当時どうやって趙家チアオチアロウ(曹汝霖の邸宅)を攻撃したか、学生たちがすぐに質問をぶつけてくるので、こう言ってやった。我々は肩車して塀をよじ登ってツアオ汝霖{ルーリン}(北洋軍閥政府の親日派官僚)の屋敷に入り込んだ。最初に邸内へ入った学生は靴が脱げてしまい、裸足のまま走り回って火を放った。『その学生はいまどこにいるんですか』と学生が声を揃󠄀えて聞くから、『いまは台湾の大学でバイロンを教えている』と答えると、アメリカ人学生はみなおかしくて笑い転げた……」

 余教授の皺だらけの顔にさっと赤みがさし、あどけないと言っていい笑みがこぼれた。彼は決まり悪そうに歯を見せて笑うと、俯いて自分の足を眺めた。スリッパを履いておらず、太い毛糸で編んだ靴下は踵に黒い接ぎが当ててある。無意識のうちに両足を合わせると手で二度揉んだ。

「学生に言ってやったんだ。我々が学内に閉じ込められている間、大勢の女子学生が慰問に来てくれた。その中の女子師範大学一番の美人学生が、裸足で火を放った例の友人と結ばれた。二人は当時の中国のロミオとジュリエットなんだってね……」

柱国チユクオ、君は人をからかうのが得意なんだな」ユー教授は禿げた頭を撫でながら、感慨に耐えない面持ちで笑った。ウー柱国チユクオの茶が冷えてしまったのを見ると、立ち上がって、足を引き摺りながら魔法瓶を取りに行った。呉柱国のカップに湯を足してやりながら、逆に質問した。

「どうして学生たちに言ってやらなかったんだ。あの日、大きな旗を担いでデモ隊を率いていた学生は、警察と殴り合いになって眼鏡を叩き落されてしまったことを」

 呉柱国は恥ずかしそうに笑った。

「それどころか、こう教えてやった。チア宜生イーシヨンは指を切って、壁に『青島チンタオを返せ」と血で書き記し、陳雄チエンシオンは喪服を着て、『曹・陸・章(親日派官僚の曹汝霖、陸宗與、章宗祥)の悪名後世に残る』と書いた追悼文を掲げて街をデモした……」

チア宜生イーシヨンか……彼はずっと大きな仕事を成し遂げたいと望んでいた……」余教授は腰を下ろすと、大きくため息をついた。

「あいつは『中国思想史』を書き終えただろうか」呉柱国は気にしたように尋ねた。

「ちょうどいま校正をしてやっているところだ。宋明理学までしか書いていないし、それに……」余教授は眉をしかめた。「最後の数章はかなりいい加減に書いてある。あいつの思考には昔ほど卓越した鋭敏さがもはやない。目下のところ、出版してくれるところも見つからない。葬式代だって我々旧友が工面する始末だ」

「そうなのか」呉柱国は驚いた。「あいつはそこまで……」

 ユー教授とウー柱国チユクオは向かい合って座ったまま、次第にものを言わなくなった。呉柱国は両手を袖の中に突っ込み、余教授は痛む右足をそっと叩いた。

柱国チユクオ……」しばらくしてから余教授は顔を上げて呉柱国を見つめながら言った。「我々の中で、君が一番成功したと言えるな」

「一番成功しただって?」呉柱国はびっくりして顔を上げた。

「ほんとうだ。柱国」余教授の声は興奮した響きに変わった。「長い間、私は何も業績を上げていない。新聞で君が外国で名を上げているニュースを読むたびに、感慨を禁じえないし、一方で慰められる。少なくとも君だけは我々に代わって学術界で気を吐いている……」余教授はそう言いながら、思わず手を伸ばして呉柱国の腕を掴んだ。

嶔磊チンレイ……」呉柱国は突然余教授の手を払いのけて叫んだ。彼の声が苦痛に満ちていることに余教授は気がついた。「君からそう言われると、いっそういたたまれなくなる!」

「柱国、どうしたんだ」余教授は手を引っ込めると、小さな声で呼びかけた。

「嶔磊、君に話しておこう。私がこの年月外国でどんな気持ちでいたか分かってもらうために」呉柱国はパイプを茶卓に置き、銀縁眼鏡を外すと、皺を寄せた眉間を揉んだ。「この年月というもの、私は世界各地での講演や会議で日々を送ってきた。傍から見れば華々しく見えることだろうね。去年、サンフランシスコで東方歴史学会が開かれた時、私が参加した分科会でハーバード大学を卒業したばかりのアメリカ人学生が論文を読み上げた。タイトルは『五四運動の再評価』だ。その若者は始めから五四運動を完膚なきまで批判して、その後もったいぶってこう結論付けた。『これらの熱狂的な中国の青年知識人は、反伝統、偶像打倒の運動の中で、二千年にわたって中国で行われてきた儒教制度を根底から覆そうとした。これらの青年は中国の国情を顧みず、西洋文化を盲目的に崇拝し、西洋の民主主義や科学を迷信して、中国思想界に空前の大混乱を引き起こした。だがこれら父権中心社会で育った青年は、独立した思想体系もなければ、堅固な意思もなく、儒教制度の伝統が一旦崩壊するや、俄かに精神的拠り所を失った。そこで彷徨い、方向を失い、父殺しの親不孝息子の如く――彼らは精神的な父親である孔子を打倒したのだ――重大な罪を背負い、精神的な自己放逐を始めた。ある者は全体主義の下に身を投じ、ある者はかつて自分たちが徹底的に破壊した伝統の下に再度回帰し、ある者は海外に逃亡して自己保身的な隠者となった。彼らの運動は瓦解し、変質した。一部の中国の学者は五四運動を中国のルネッサンスに喩えるが、私の考えでは、流産したルネッサンスにすぎない』と。読み終わるや否や、みなとても心を動かされた。とりわけ何人かの中国人教授と学生は、一斉にこちらに視線を向けて、きっと私が立ち上がって発言するものと思っただろう。けれど私はひと言も言わずに、黙って会場を離れた……」

「そうなのか、柱国チユクオ……」

「その若者の立論のいくつかに反論するのは簡単だ。しかし、嶔磊チンレイ……」ウー柱国チユクオは少し声を詰まらせて、作り笑いを浮かべた。「考えてもみてくれ。外国で何十年も逃亡兵生活を続けている身なのに、そんな場面で立ち上がって五四運動の弁護ができる立場かどうか。だから外国暮らしをしている間は民国史を語りたくはなかった。あの時、カリフォルニア大学で五四運動について話したのは、学生運動に対する学生たちの熱狂振りを見て、そのことを話す気になったまでで……、冗談を言って彼らを面白がらせ、笑い話にしたにすぎない。過去の栄光について語るのは簡単だ。外国人学生に向かって『唐王朝は当時世界最強で、文化が最も栄えた大帝国だった』と全く恥じらいもなく言える。……そういうことだ。外国で何十年もそうして叫び続けて、時には滑稽に思えてしまう。自分が本当に唐の玄宗皇帝の白髪の女官となって、外国人に向かって天宝テイエンパオ(玄宗統治期最後の年号)の事跡を懸命に吹聴しているように思えてしまう……」

「だが、柱国チユクオ、君にはあんなにたくさんの著作があるじゃないか」ユー教授は抗議するようにウー柱国チユクオの話を遮った。

「ああ、たくさん書いたよ。『唐代宰相の職権』、『唐代末期の藩鎮制度』、それに『唐玄宗の梨園の子弟』なる薄い書物まで、全部で数十万字書いた……みな空論だよ……」呉柱国は手を振りながら大きな声をあげ、その後冷たく笑った。「あんな本は図書館に積み上げられて、博士号を取得したいアメリカ人学生が捲るくらいのものさ」

「柱国、お茶が冷えたようだから、新しいのを入れてこよう」余教授が立ち上がると、呉柱国がその手をすばやく摑み、顔を上げて彼の顔を見つめた。

嶔磊チンレイ、正直を言えば、ああいう本を書いたのはアメリカの大学の要求を満たすためなんだ。著作を出版しないと首を切られるし、昇格もできない。だから二年ごとに何とか一冊書いた。著作を出版する必要がなければ、一冊だって書かなかった」

「熱いお茶を入れてきてやろう」余教授は口ごもって繰り返した。見れば、呉柱国のその上品な顔が微かに引き攣っている。客間の隅の長机まで足を引き摺って来ると、ウー柱国チユクオの冷めた茶を痰壺の中に捨てて、新しく龍井茶を入れ直すと、保温カップを両手で持って、苦労しながら元の席によろよろと戻った。右足は長く座っているといっそう硬直して、関節から痺れるような痛みが波のように襲ってくる。腰を下ろすと、思わず揉まずにはいられなかった。

「足の怪我がひどいようだね」呉柱国は熱い茶を受け取ると、ユー教授を気遣って言った。

「ぶつけられて怪我してからずっと治らない。動かなくなったわけじゃないのが、せめてもの幸せだよ」余教授は照れ隠しに言った。

「徹底的に治療したのか」

「言わんでくれ」余教授は手を振った。「台湾大学付属病院に五ヶ月入院して、手術をして、電気治療をして、あれこれ治療はしてみたものの、やればやるほど悪化して、全く半身不随だ。女房がわしの反対を無視してどこからか鍼灸の漢方医を見つけてきて、何度か鍼治療したところ、思いがけず地に足をつけて歩けるようになったんだ!」余教授はそう言うと、困ったものだと手を広げて笑った。「我々中国人の病気は摩訶不思議で、時には西洋医学が効果なく、民間療法の秘方で治療する必要がある。例えば鍼治療で、適当に刺したら、うまくつぼに当たるかもしれない」呉柱国もつられて頭を振って困ったものだと笑った。それに続いて、呉柱国は手を伸ばして余教授の強張って痛む右足をそっと叩いて言った。

「君は知らないだろうが、私は外国にいて、君やチア宜生イーシヨンのことを考えると、後ろめたくてしょうがない。こんなに生活が苦しいのに、君たちは国内で教育の場を守り、我が国の若者を教え導いている……」ウー柱国チユクオの声は微かに震えていた。彼はユー教授をそっと叩いて言った。

嶔磊チンレイ、君は立派だよ」

 余教授は黙って呉柱国を見つめ、しばらく無言であった。それから彼は禿げた頭を搔きながら言った。

「いま私が教えているのはみな女子学生でね。先学期、男子学生は一人もいなかった」

「君はロマン派文学を教えているから、女子学生がそれを好むのも当然だ」呉柱国は笑いながら余教授に代わって分析した。

「ある女子学生が『バイロンは本当に美男子だったんですか』と訊くから、『バイロンは足が不自由で、たぶん私よりひどかったと思う』と言ってやった。するとその女子学生がひどくショックを受けた様子だったので、『けれどバイロンの顔はかなりの男前だった』と慰めざるを得なかった……」余教授と呉柱国は同時に笑った。「先学期の期末試験で『バイロンのロマン精神』というテーマについて論じさせたら、ある女子学生がバイロンの愛人の名前を山ほど書き連ね、果ては妹のAugustaの名前まで書く始末だ!」

「女子学生を教えるのも面白いじゃないか」呉柱国は体を折って笑った。「君の訳したバイロン詩集の売れ行きは、ここではきっと大したものだろう」

「『バイロン詩集』はまだ訳し終わっていないんだ」

「ほう……」

「実際には『ドン・ジュアン』の最後の数章が残っているだけなんだが、ここ七、八年一字も訳していない。バイロンを訳しても、いまでは読む人間がそうたくさんいるとは思えないからね……」ユー教授はとても寂しそうにため息をつくと、ウー柱国チユクオをじっと見つめた。「柱国、これまでずっと私は君が想像するような人間じゃなかった。『場を守る』ことは考えずに、いつも出国の機会を狙っていたんだ……」

嶔磊チンレイ……君は……」

「国を出たいと考えただけじゃなく、その機会を得るためにありとあらゆる手段を使った。毎年のように、外国から提供される研究助成金が文学院にあると聞けば、先を争って申請した。五年前、やっとハーバード大学のフォード財団助成金を手に入れた。二年間研究できて、毎年九千ドル余りもらえる。出国手続きを全部済ませて、アメリカ領事館へヴィザ申請に行くと、領事が握手までしてくれた。ところが領事館の門を出たところで、台湾大学の学生が乗るオートバイが走ってきてぶつかり、私の足を折ってしまったというわけさ」

「そうだったのか、嶔磊」呉柱国は口を濁して嘆いた。

「病院に入院しているわけだから、当然その助成金を辞退すると申し出るべきなのに、私はそうしなかった。足に外傷を負っただけだから、治り次第すぐに行くとハーバード大学へ手紙を書いた。病院に五ヶ月いた間にハーバード大学は助成金を取り消してしまった。もしそれ以前に私が他の者に譲っていたら、チア宜生イーシヨンがそれをもらえたかもしれない……」

「賈宜生が?」呉柱国は驚いた。

「賈宜生も申請していたんだ。だから賈宜生が亡くなって、私は特に悲しいし、彼に申し訳ないと思う。もし彼が助成金を手にして、アメリカへ行くことができれば、死ぬことはなかったかもしれない。彼が亡くなると、私はあちこち走り回って葬儀代と弔慰金を集めた。彼の奥さんも重い病気だからな。シヤオ子奇ツーチーに手紙を書いたら、人をよこして千元くれただけだ……」

「ああ、なんてことだ。ああ」ウー柱国チユクオは何度も嘆いた。

「だがな、柱国」ユー教授は憂い顔で呉柱国を見つめた。「私だって本当にその助成金が必要だったんだ。雅馨ヤーシンが亡くなった時、息子は二人ともまだ小さかった。雅馨が臨終の際、二人をきちんと成人になるまで育て、一番よい教育を受けさせることを約束させられたんだ。長男は留学して工学を勉強したかったが、奨学金の申請に受からなかったので、相当の金額を工面しなければいけなかった。もう何年も返済しているが、まだ返し終わっていない。だからその時考えたんだ。もしその助成金をもらえて、国外で倹約したら、借金を返済できるんじゃないかとね。だが思いがけず……」余教授は肩を露やかして空笑いした。呉柱国は手を上げて何か言おうとしたが、唇が動いただけで、また黙ってしまった。しばらくして彼は無理に笑ってみせた。

「雅響……彼女は本当に忘れられない女性だ」(pp. 226-238)

*1:引用は白先勇《臺北人》(臺北:爾雅出版社,1983)による。