世界文学全集のためのメモ 10 『カンディード あるいは最善説』 ヴォルテール

フランス語編 7

Voltaire
ヴォルテール
1694-1778

Candide, ou l’Optimisme
『カンディード あるいは最善説』
1759

日本語訳*1
①吉村正一郎訳『カンディード 或は楽天主義説』1956年(岩波文庫『カンディード』
②丸山熊雄・新倉俊一訳『カンディド または楽天主義』1960年(筑摩書房『世界文学大系16』 pp. 157-216)
③植田祐次訳『カンディードまたは最善説オプテイミスム』2005年(岩波文庫『カンディード 他五篇』 pp. 261-459)
④斉藤悦則訳『カンディード あるいは最善説』2015年(光文社古典新訳文庫『カンディード』
⑤堀茂樹訳『カンディード、あるいは最善説』2016年(晶文社『カンディード』

[Chapitre XXX]

Pendant cette conversation, la nouvelle s’était répandue qu’on venait d’étrangler à Constantinople deux vizirs du banc et le muphti, et qu’on avait empalé plusieurs de leurs amis. Cette catastrophe faisait partout un grand bruit pendant quelques heures. Pangloss, Candide, et Martin, en retournant à la petite métairie, rencontrèrent un bon vieillard qui prenait le frais à sa porte sous un berceau d’orangers. Pangloss, qui était aussi curieux que raisonneur, lui demanda comment se nommait le muphti qu’on venait d’étrangler. « Je n’en sais rien, répondit le bonhomme ; et je n’ai jamais su le nom d’aucun muphti ni d’aucun vizir. J’ignore absolument l’aventure dont vous me parlez ; je présume qu’en général ceux qui se mêlent des affaires publiques périssent quelquefois misérablement, et qu’ils le méritent ; mais je ne m’informe jamais de ce qu’on fait à Constantinople ; je me contente d’y envoyer vendre les fruits du jardin que je cultive. » Ayant dit ces mots, il fit entrer les étrangers dans sa maison ; ses deux filles et ses deux fils leur présentèrent plusieurs sortes de sorbets qu’ils faisaient eux-mêmes, du kaïmak piqué d’écorces de cédrat confit, des oranges, des citrons, des limons, des ananas, des dattes, des pistaches, du café de Moka qui n’était point mêlé avec le mauvais café de Batavia et des îles. Après quoi les deux filles de ce bon musulman parfumèrent les barbes de Candide, de Pangloss, et de Martin.

« Vous devez avoir, dit Candide au Turc, une vaste et magnifique terre ? – Je n’ai que vingt arpents, répondit le Turc ; je les cultive avec mes enfants ; le travail éloigne de nous trois grands maux, l’ennui, le vice, et le besoin. »

Candide en retournant dans sa métairie fit de profondes réflexions sur le discours du Turc. Il dit à Pangloss et à Martin : « Ce bon vieillard me paraît s’être fait un sort bien préférable à celui des six rois avec qui nous avons eu l’honneur de souper. – Les grandeurs, dit Pangloss, sont fort dangereuses, selon le rapport de tous les philosophes ; car enfin Églon, roi des Moabites, fut assassiné par Aod ; Absalon fut pendu par les cheveux et percé de trois dards ; le roi Nadab, fils de Jéroboam, fut tué par Baasa ; le roi Éla, par Zambri ; Ochosias, par Jéhu ; Athalie, par Joïada ; les rois Joachim, Jéchonias, Sédécias, furent esclaves. Vous savez comment périrent Crésus, Astyage, Darius, Denys de Syracuse, Pyrrhus, Persée, Annibal, Jugurtha, Arioviste, César, Pompée, Néron, Othon, Vitellius, Domitien, Richard II d’Angleterre, Édouard II, Henri VI, Richard III, Marie Stuart, Charles Ier, les trois Henri de France, l’empereur Henri IV ? Vous savez… – Je sais aussi, dit Candide, qu’il faut cultiver notre jardin. – Vous avez raison, dit Pangloss ; car, quand l’homme fut mis dans le jardin d’Éden, il y fut mis ut operaretur eum, pour qu’il travaillât : ce qui prouve que l’homme n’est pas né pour le repos. – Travaillons sans raisonner, dit Martin ; c’est le seul moyen de rendre la vie supportable. »

Toute la petite société entra dans ce louable dessein ; chacun se mit à exercer ses talents. La petite terre rapporta beaucoup. Cunégonde était, à la vérité, bien laide ; mais elle devint une excellente pâtissière ; Paquette broda ; la vieille eut soin du linge. Il n’y eut pas jusqu’à frère Giroflée qui ne rendît service ; il fut un très-bon menuisier, et même devint honnête homme ; et Pangloss disait quelquefois à Candide : « Tous les événements sont enchaînés dans le meilleur des mondes possibles : car enfin si vous n’aviez pas été chassé d’un beau château à grands coups de pied dans le derrière pour l’amour de Mlle Cunégonde, si vous n’aviez pas été mis à l’Inquisition, si vous n’aviez pas couru l’Amérique à pied, si vous n’aviez pas donné un bon coup d’épée au baron, si vous n’aviez pas perdu tous vos moutons du bon pays d’Eldorado, vous ne mangeriez pas ici des cédrats confits et des pistaches. – Cela est bien dit, répondit Candide, mais il faut cultiver notre jardin. »*2

①吉村正一郎訳

 この会話のあいだに、コンスタンチノープルで二人の高官と一人の聖典僧がめ殺され、その友人たちが大ぜい串刺しにされたといううわさがひろまった。この惨事で数時間のあいだは、寄るとさわると大へんな騒ぎであった。

 パングロスとカソディードとマルチンは小さな農家へ帰る途中で、一人の人のよさそうな老人が、家の戸口の蜜柑の棚󠄁の下で涼んでいるのに出会った。

 パングフスは議論も好きだが好奇心も強い方で、絞め殺されたというその聖典僧は何という名かと老人にたずねた。

 「存じませんな、」とこの好人物は答えた。「聖典僧も高官も、わしは名前などついぞ知らんので。お話の事件もまったく存じませんな。お上の仕事に関係する人は、概していえば、ときにひどい死に方をするものです。それも身から出た錆と申しますかな。しかしわしは、コンスタンチノープルではどんなことがあるのか、皆目かいもく穿󠄀鑿せんさくしてみたこともない。わしは、そこへ自作の庭の果物を売りに出すだけで満足ですじゃ。」

 こういって、老人は三人の他国人を家の中へ請じ入れた。二人の娘と二人の息子が、手製のいろいろな種類のシャーベッ卜、砂糖漬の仏手柑ぶつしゆかんの皮で酸っぱくしたカイマック、オレンジ、シトロン、レモン、パインアップル、ピスタシュ、バタヴィアその他の島の悪いコーヒーのまじっていないモカのコーヒーなどを彼らに供した。その後で、この親切な回教徒の二人の娘はカンディードとパングロスとマルチンの髯に香料を塗ってくれた。

 「あなたはさぞかし広い立派な土地をお持ちでしょうね。」とカソディードはこのトルコ人にいった。

 「たった二十アルパンなんで。」とトルコ人は答えた。「それを伜たちといっしょにつくっております。働けば、わしらは三つの大きな不幸から遠ざかる。退屈と不身持と貧乏、この三つですじゃ。」

 カンディードは家に帰る途中、このトルコ人の話をつくづくと考えた。彼はパングロスとマルチンにいった、

 「あの親切な老人の方が、わたしたちが陪食ばいしよくの栄に浴したあの六人の王様よりも、よほどましな身の上のような気がする。」

  「栄耀󠄁えいよう栄華えいがというものは、すべての哲学者の立証するところによれば、はなはだあぶなっかしいものだよ。」とパングロスはいった。「その訳いかんとなれば、モアブの王エグロンは遂にエフードに刺され、アブサロムはその髮の毛で絞め殺され、三本の槍で突かれ、エロボアムの子ナダブ王はバーシャに殺され、エラー王はジムリに、アハジアはエフーに、アタリアはニホイアダに殺され、ヨアヒム、エホニアス、ゼデキアスの諸王は囚虜󠄀しゆうりよの身となった。クリーザス、アスターゲス、ダリウス、シラキューズのディニユシウス、ピルース、ペルシウス、ハンニバル、ユグルタ、アリオヴィストス、シーザー、ポンペイ、ネロ、オトー、ヴィテリウス、ドミシアン、イギリスのリチャードニ世、エドワードニ世、ヘソリー六世、リチャード三世、メリー・スチュアート、チャールズ一世、フランスの三人のアンリー王、それから皇帝アンリー四世などの最期は君らも知っていよう。してまた……」

 「わたしは自分の畑を耕すべきことも知っています。」とカンディードはいった。 「いかにもそのとおり。」とパングロスはいった。「というのは、人間がエデンの園におかれたのは働いてこれを耕さんがためであった。これすなわち、人は休息のために生れたるにはあらず、という証拠だ。」

  「理窟抜きで働きましょう。」とマルチンがいった。「人生を耐え得られるものにする途は、ただこれ一つです。」

 このささやかな社会全体が、かくして称讃すべき設計のなかに入れられた。各自その能力を発揮しはじめた。土地は小さいながらも収穫は多かった。キュネゴンドは実に何とも醜い姿であったが、しかし見事な菓子をつくるようになった。パケットは刺繡ししゆうをした。老婆は肌着の世話をした。僧ジロフレーにいたるまで、役に立たぬ力は一人もなかった。彼は腕のいい木工になり、人間もまじめになった。そしてパングロスはときどきカンディードにいうのであった。

 「能うかぎりのこの最善の世界では、すべての出来事が繫がっている。その訳いかんとなれば、そもそも君が、キュネゴンドを愛したがために、したたか尻を蹴られて美しい城から追放されなかったならば、してまた宗教裁判にかけられたり、アメリカ大陸をほっつき歩いたり、殿をぐさりと突き刺したり、あの楽土エルドラドーから連れてきた羊をすべて失ったりしなかったならば、君はいまここでこうして砂糖漬の仏手柑やピスタシュを食うことにはならなかったろう。」

 「いかにもおっしゃるとおりです。」とカソディードは答えた。「何はともあれ、わたしたちの畑を耕さればなりません。」(pp. 169-172)

②丸山熊雄・新倉俊一訳

 こうして話し合っている最中、コンスタンチノープルでは、枢密顧問官二人と、大僧正一人が絞首刑になり、仲間が何人か、串刺しにされたというので、その噂がぱっとひろまった。数時間というもの、どこへ行っても、この不祥事の話でもちきりという有様。パングロスと、カンディドと、マルチンは、小さな農地へ帰る途中、人のよさそうな老人が、自宅の戸口にあるオレンジの木の棚の下で、涼んでいるのを見かけた。パングロスは、理屈屋だが、好奇心も人一倍強いほうだから、この老人を捉えて、首を絞められた大僧正の名を、聞かずにはいられぬ。

 と、老人。

「知りませんね。いやはや、大僧正や顧問官の名前など、まだ一度も覚えたことがない。お話の事件は、まったくの初耳です。私の考えでは。政治に手を出すものは、とかく、哀れな最期さいごを遂げるし、それにまた、身から出たさびの場合が多い。が、コンスタンチノープルですることなど、調べてみる気もしません。庭を耕して、出来たものをこの町へ売りにやる。それだけで結構。」

 老人は、こういって、連中を、家へ招じ入れる。息子と娘が二人ずついて、手作りのシャーベッ卜を数種、砂糖潰のセドラの皮を添えたカイマック、オレンジ、シトロン、レモン、パイナップル、ピスタッシュ、コーヒー、それも、バタヴィヤやそこらの島でとれる、あのまずいのなど少しも入っていない、モカのコーヒー等等を、すすめるではないか。それから、この人のよい回教徒の娘二人が、カンディドと、パングロスと、マルチンのひげに香油を塗ってくれる。

 カンディドは、このトルコ人にいった、

「りっぱな土地を、ずいぶんお持ちなのでしょうね。」

 と、トルコ人、

 「なに、二十エーカーそこそこです。それを、子供たちと一緒に耕す。働いていると、三つの大きな不幸、つまり、退屈や、不行跡や、貧乏など、どこかへ行ってしまいます。」

 カンディドは、家へ帰るみちみち、トルコ人のいったことを、とくと考えてみた。そして、パングロスとマルチンにいう、

 「あの人のよい老人は、心がけがよいのだろうが、いつかお相伴しようばんをさせてくれた六人の王様などより、ずっと幸せらしい。」

 と、パングロス、

 「哲学者はみないっているが、栄華ほど危険なものはない。いいかね、モアブの王エグロンは、アオドに殺された。アブサロンは、髪の毛で吊されながら、三本のやりで刺された。ジェロボアムの息子のナダブ王は、バアサの手にかかってたおれるし、エラ王はザンブリに、オコシアスはイエフウに、また、アタリはジョイアダに殺害された。ヨアヒム、イエシヨニアス、セディキアス、この三人の王は、奴隷になった。それから、皆さんもご承知だろうが、クロイソス、アスチヤゲス、ダリウス、シラクサのディオニシウス、ピュロス、ペルセウス、ユグルタ、アリオウィストス、シーザー、ポムベウス、ネロ、オトー、ウィテリウス、ドミシアン、イギリスのリチャードニ世、エドワードニ世、ヘンリー六世、リチャード三世、マリー・スチュアート、チャールズ一世、フランスの王でアンリを名乗る三人、皇帝になったアンリ四世らが、どんな最期を遂げたか。それからまた、これもご承知だろうが……」

 と、カンディド、

「承知していますよ、庭を耕さなければいけない……」

 パングロス、

「そのとおり。人間が、エデンの園におかれたのは、『働くためウト・オペラントウル・エウム』だったから。いいかえると、人は、休むために、生まれたのではない。」

 マルチン、

「理屈ぬきに働きましょう、何とか我慢して暮らしてゆくには、これしか方法がありません。」

 小人数ながら、全員一致で、この結構な計画の実現を決意。各自。自分の才能を、活用しはじめる。土地は狭いが、収穫は多かった。キュネゴンドは、なるほど、たいそう醜い。が、菓子を作るのに、あっぱれな腕前を見せるようになった。パケットは刺繡ししゆうをする。老婆は肌着を担当。ジロフレェでさえ、役に立つのだから面白い。奴さん、腕利きの指物さしものになり、人柄まで一変した。で、パングロスは、ときどき、カンディドに向っていう。

 「この能う限りよい世界では。何も彼も鎖のように結びついています。つまり、もし。あなたが、キュネゴンドに懸想けそうし、そのため、お尻をしたたかに蹴って、りっぱなお館から追い出されなかったら、もし、異端裁判にかけられなかったら、もし、アメリカを、てくてく歩き廻らなかったら、もし、男爵に、ぐさりと、ひと太刀お見舞い申さなかったら、もし、あの楽土ともいうべきエルドラドの羊を、すっかりなくしてしまわなかったら、ここで、こうして、砂糖漬のセドラや、ピスタッシュを喰べるわけにはゆきますまい。」

 カンディドが答える、

 「いかにも、そのとおり、だが、庭を、耕さなければいけない。」(pp. 211-212)

③植田祐次訳

 そんな話をしている間にも、今し方コンスタンチノープルで二人の大臣ワジール法学者ムフテイーが絞殺され、彼らの数人の友人が串刺しにされたという知らせが広まっていた。数時間のあいだは、どこでもそんな結末の噂でもちきりだった。パングロスとカンディードとマルチンは、ちっぽけな農場に帰る途中、家のすぐ近くのアーチのようになったオレンジの木立の下で涼をとる一人の善良な老人に出会った。パングロスは議論好きであるばかりか好奇心も旺盛だったから、老人に向かって、先ほど絞殺された法学者の名を尋ねた。

 「さっぱり知りませんね」と、その農民は答えた。「それに、どんな法学者の名も大臣の名も、これまで覚えたことがないのです。あなたがお話しの事件もいっこうに知りません。わたしが思うに、総じて国事に関わる人たちが非業の死を遂げるのは珍しくありませんが、それも自業自得なのです。しかしわたしは、コンスタンチノープルでなにが行なわれているか、決して尋ねたりいたしません。自分の耕す畑で取れる収穫物を、あの町へ売りにやるだけで満足しているのです」

 老人はそう言うと、異国人たちを家の中に招き入れた。老人の二人の娘と二人の息子は、手ずから作ったいく種類ものシャーベット、砂糖漬けのレモンの皮を入れた飲み物、オレンジ、レモン、酸味の強い別種のレモン、パイナップル、ピスタチオ、それにバタビアやアンティル諸島のまずいコーヒーが少しも混じっていないモカのコーヒーを一同に振舞った。それから、その善良なイスラム教徒の二人の娘は、カンディードとパングロスとマルチンのあごひげに香水をつけてくれた。

 「あなたはきっと広大ですばらしい土地をお持ちなのでしょうね」と、カンディードはそのトルコ人に言った。

 「わたしの土地はわずか二十アルパンにすぎません」と、トルコ人は答えた。「その土地を子どもたちと耕しております。労働はわたしたちから三つの大きな不幸、つまり退屈と不品行と貧乏を遠ざけてくれますからね」

 カンディードは自分の農家に帰る途中、トルコ人がした話について深く考え込んだ。彼はパングロスとマルチンに向かって言った。

 「あの善良な老人は、ぼくたちが光栄にも夕食をともにしたあの六人の国王より、はるかに好ましい境遇を切り開いているように見えます」

 「あらゆる哲学者の報告によれば」と、パングロスは言った。「権勢は命にも関わるはなはだ危険なものなのだ。なんとなれば、とにかくモアブ人の王エグロンはエホドに暗殺され、アブサロムは髪の毛か木に引っかかって吊り下がったところを三本の投げ槍で突き刺され、ヤロブアムの息子のナダブ王は将軍パシャによって殺され、エラ王はジムリに、アハズヤはイエフに、アタルヤはヨヤダによって殺された。ヨヤキム、エコンヤ、ゼデキヤといった王たちは奴隷になった。古代リディア王クロイソス、メディア王アステュアゲス、ペルシアの王ダレイオス、シラクサの僭王ディオニュシオス、エペイロス王ピュロス、マケドニア王ペルセウス、カルタゴの将軍ハンニバル、ヌミディア王ユグルタ、ゲルマンの一族の王アリオウィストゥス、カエサル、ローマの将軍ポンペイウス、皇帝ネロ、皇帝オト、皇帝ウィテリウス、皇帝ドミティアヌス、イギリスのリチャード二世、エドワード二世、ヘンリー六世、リチャード三世、メアリ・スチュアート、チャールズ一世、フランス王の三人のアンリ、ドイツ王ハインリヒ四世の死にざまは、君が知ってのとおりだ。君もまた知っているように……」

 「ぼくはまた、ぼくたちの庭を耕さなければならないことも知っています」と、カンディードは言った。

 「いかにもそのとおり」と、パングロスは言った。「なんとなれば、人間がエデンの園におかれたのは、ウト・オペラトゥル・エウム、すなわち働くためであったのだからな。このことこそ、人間が休息のために生まれたのではないことをいみじくも証明しているではないか」

 「理屈をこねずに働こう」と、マルチンが言った。「人生を耐えられるものにする手立ては、これしかありません」

 小さな共同体の仲間は、こぞってその賞賛すべき計画に加わった。それぞれが自分の才能を発揮しはじめた。ささやかな土地は、多くの収穫をもたらした。確かに、キュネゴンドはひどく醜かったが、しかし菓子作りの名人になった。パケットは刺繡ししゆうをし、老婆は下着類の手入れをした。ジロフレー修道士にいたるまで、役に立たない者はいなかった。彼は腕っこきの指物師だったばかりでなく、礼儀をわきまえた人物になった。そしてパングロスは、時折カンディードにこう言うのだった。

 「ありとあらゆる世界の中の最善の世界では、出来事はすべてつながっているのだ。なんとなれば、要するに、もし君がキュネゴンド嬢への愛ゆえにしたたかお尻を足蹴にされ、美しい城から追い出されていなかったなら、もし君が宗教裁判にかけられていなかったなら、もし君がアメリカ大陸を駆け抜けていなかったなら、もし君が男爵にぐさりと剣の一突きをお見舞いしていなかったなら、もし君がうまし国エルドラードから連れ出した羊をごっそり失っていなかったなら、君はここでこうしてレモンの砂糖漬けやピスタチオを食べてはいないだろう」

 「お説ごもっともです」と、カンディードは答えた。「しかし、ぼくたちの庭を耕さなければなりません」(pp. 455-459)

④斉藤悦則訳

 さて、こうしたことばのやりとりがなされているとき、世間ではこんなうわさが拡がっていた。コンスタンチノープルで国務大臣二名とイスラム法学者ムフティ一名が絞め殺され、かれらの友人数名が串刺しにされたというのである。この惨事のうわさは、いたるところで数時間、大騒ぎをひきおこした。

 パングロス、カンディード、マルチンは、自分たちの小さな農地に帰る途中、善良そうな老人に出会った。老人は家の戸口にあるオレンジの木陰で涼んでいた。パングロスは、議論も好きだが好奇心も強いほうなので、絞め殺された法学者は何という名前なのか、その老人に尋ねてみた。

 「私は何も知りません」老人は答えた。「そもそも私は、法学者とか大臣の名前などひとつも知りません。いま話された事件のことも、ぜんぜん知りません。まあ、私が思うに、だいたい国の政治にかかわるようなひとは、しばしばみじめな死に方をするものですし、また、それも自業自得でしょう。とにかく私は、コンスタンチノープルで起きていることには、まったく興味がありません。私はただ、自分が育てた畑の果物をコンスタンチノープルヘ売りに出す、それだけで満足なんです」

 そう言って、老人はよそ者たちを家のなかへ招き入れた。老人の二人の娘と二人の息子が、みんなにいろんな種類の自家製シャーベットを差し出す。さらに、砂糖漬けしたシトロンの皮を刺したカイマク、それからオレンジ、シトロン、レモン、パイナップル、ピスタチオ、そして、モカのコーヒーを出してくれた。このコーヒーには、バタヴィアや西インド諸島の粗悪な豆は混じっていなかった。最後に、この善良なムスリムの二人の娘は、カンディードとパングロスとマルチンのひげにすてきな香料を塗ってくれた。

 「あなたはさぞかし広大ですばらしい土地をお持ちなんでしょうね」と、カンディードはこのトルコ人に言った。

 「広さは二〇アルパンにすぎません」トルコ人は答えた。「その土地を子どもたちといっしょに耕しております。慟くことは、私たちを三つの大きな不幸から遠ざけてくれます。三つの不幸とは、退屈と堕落と貧乏です」

 カンディードは、自分の農家へ帰るとちゅう、このトルコ人のことばを深く考え込んだ。そして、パングロスとマルチンにこう言った。

 「あの善良な老人は、ぼくたちが以前いっしょにお食事をした六人の国王よりも、はるかに好ましい境遇を自力でつくりだしたみたいだなあ」

 「すべての哲学者が語っているように」パングロスが言った。「高い身分につくことはきわめて危険なことなのです。その証拠に、モアブの王エグロンはエフドに暗殺され、アブサロムは髪が木の枝にひっかかったとき三本の槍で刺され、ヤロブアムの子ナダブ王はバシャに殺され、エラ王はジムリに、アハズヤ王はイエフに、アタルヤ王はヨヤダに殺され、ヨアキム王とエコンヤ王とゼデキヤ王は奴隷になりました。また、ご存じのとおり、古代リュディア王のクロイソス、メディア王のアステュアゲス、ペルシア王のダレイオス、シュラクサイの僭主ディオニュシオス、エペイロス王のピュロス、マケドニア王のペルセウス、カルタゴの将軍ハンニバル、ヌミディアの王ユグルタ、ゲルマン人の族長アリオウィストゥス、ローマのカエサル、ポンペイウス、ネロ、オト、ウィテリウス、ドミティアヌス、それから、イギリスのリチャードニ世、エドワードニ世、ヘンリー六世、リチャード三世、メアリー・ステュアート、チャールズ一世、そしてフランス国王の三人のアンリ、ドイツ国王のハインリッヒ四世。そこで、おわかりのとおり……」

 「ぼくにわかっていることは」と、カンディードは言った。「ひとは自分の畑を耕さねばならない、ということ」

 「そう、そのとおり」パングロスは言った。「人間がエデンの園においてもらったのは、聖書にもあるとおり、そこを耕すため、つまり、労働をするためなのです。聖書が証明しているように、人間は休息をするために生まれてきたわけではありません」

 「議論とかするひまがあったら働きましょう」マルチンが言った。「それのみが人生を我慢できるものにする唯一の方法なのです」

 この小さな共同体の仲間は、こぞってこの賞賛すべき計画に加わった。みんながそれぞれに自分の才能を発揮し始めた。小さな土地がたくさんの収穫をもたらした。クネゴンデは、正直な話、とても醜いままだったけれども、とてもすてきなお菓子をつくる職人になった。パケットは刺繡をし、婆やは洗濯をした。修道士ジロフレーにいたるまで役にたたない者はいなかった。ジロフレーは腕ききの木工職人になり、人間としても誠実になった。そして、パングロスはときどきカンディードに、こんなことを言うのだった。

 「ありうる世界のうちで最善の世界、すなわち、この現実の社会において、できごとはすべてつながっております。と言うのも、けっきょく、あなたがクネゴンデさんを愛したために、尻を思いっきり蹴飛ばされて、美しい城を追い出されたからこそ、そしてまた、宗教裁判にかけられたからこそ、また、アメリカ大陸をうろついたからこそ、また、男爵を突き刺したからこそ、また、楽天地エルドラドでもらった羊をすべて失ったからこそ、ほら、いまここでこうして砂糖漬けのシトロンやピスタチオを、のんびり食べていられるわけですよ」

 「お話はけっこうですが」カンディードは答えた。「とにかく、ぼくたち、自分の畑を耕さなきゃ」(pp. 224-229)

⑤堀茂樹訳

 この会話の間に、ニュースが広まっていた。コンスタンチノープルで大臣二人とイスラム教指導者一人が絞殺され、彼らの友人たちが数名串刺しにされたというのだった。それからの数時間はどこもかしこも、この惨事の話題で持ちきりとなった。パングロス、カンディード、マルティンは、小さな農地へ引き返す道すがら、人のよさそうな老人が一名、自分の家の戸口の蜜柑の棚の下で涼んでいるのを見かけた。理窟も好きだが好奇心も旺盛なパングロスがその老人に、絞殺されたイスラム教指導者の名前を訊ねた。

「存じませんなあ」とその好人物は返事した。「なにしろ、どんな宗教指導者の名前も、どんな大臣の名前も、憶えたことがないのでね。おっしゃっている事件も皆目存じません。思うに、一般論としましてね、国事に関わる人たちは時にひどい死に方をすることがありますが、まあ身から出たさびでしょう。いずれにせよ、コンスタンチノープルで何がおこなわれているのか、私が知ろうとすることは絶えてありません。あそこへは、自分で庭を耕して収穫した果物を輸送して売るだけで満足しちょります」

 こう話すと、老人は異国人たちを家の中に招き入れた。二人の娘と二人の息子が、手製のいろいろな種類のシャーベット、砂糖漬けのレモンの皮を入れた乳製品カイマツク、オレンジ、レモン、別種のレモン、パイナップル、ピスタチオ、そして、バタビアやアンティル諸島のまずい珈琲が少しも混ざっていない生粋のモカを振る舞った。そのあと、この善良なイスラム教徒の二人の娘は、カンディード、パングロス、マルティンの顎髭に香料を塗った。

「さぞかし広大なすばらしい土地をお持ちなのでしょうね」カンディードがそのトルコ人に言った。

「いや、二十アルパン〔七~十ヘクタール〕しか持っていません。その土地を子供たちといっしよに耕しております。労働は私どもを、三つの大きな不幸から遠ざけてくれます。退屈と、身持ちの悪さと、貧困、この三つです」

 カンディードは自分の農地へと帰路を辿りながら、トルコ人がした話について深く考えた。そして、パングロスとマルティンに言った。

 「あの善良な老人は、あの考え方と生き方のおかげで、われわれが陪食ばいしょくの光栄に浴したあの六名の王さまよりもずっとマシな人生を歩んでいるように見える」

 するとパングロスは話し始めた。

 「じつにじつに、栄耀えいよう栄華えいがとははなはだ危険なものである。哲学者たちはこぞってそう述べておる。なんとなればそもそも、モアブ人の王エグロンはエホドに暗殺された。アブサロムはその頭髪で吊され、三本の投げ槍を突き刺された。ヤロブアムの息子ナダフ王はバシャに殺された。エラ王はジムリに殺された。アハズヤはイエフに殺された。アタルヤはヨダヤに殺された。いずれも王位にあったヨアキム、エコンヤ、ゼデキヤらは奴隷にされてしまった〔以上に列挙されたのは旧約聖書に登場する人物たち〕。諸君も知っておるであろう、古代リディアの王クロイソス、メディア王アステュアゲス、ペルシャの王だったダレイオス、シラクサの僣王ディオニュシオス、エペイロス王ピュロス、マケドニア王ペルセウス、そしてカルタゴの将軍ハンニバル、ヌミディア王ユグルタ、ゲルマン民族の王アリオウィストゥス、かのカエサル、ローマの将軍ポンペイウス、皇帝ネロ、皇帝オト、皇帝ウィテリウス、皇帝ドミティアヌス〔以上、古代の人物たちの列挙。年代順〕がどんな死に方をしたか。また、イギリスのリチャードニ世、エドワードニ世、ヘンリー六世、リチャード三世、メアリ・スチュアート、チャールズー世、また、フランス王の三人のアンリ、すなわちアンリニ世、三世、四世、そしてドイツ王ハインリヒ四世〔以上、近世の人物たちの列挙〕の最期がどんなふうであったか。諸君はまた知っておるであろう……」

 「ぼくはまた知っていますよ」とカンディードが言った。「ぼくらの庭を耕さなくちゃならないってことをね」

 「いかにも、いかにも!」パングロスは応じた。「なんとなればそもそも、人がエデンの園に導かれたとき、それは、ウト・オペラトゥル・エウム〔原文ラテン語〕、すなわち働くためであったのだからね。これすなわち、人は休むために生まれてきたのではないということの証明である」

 「理窟を言うのはやめて、とにかく働きましょう」。こう言ったのはマルティンだった。「それだけが、人生をなんとか辛抱できるものにする手立てです」

 小さな共同体の仲間がこぞって、この殊勝なる構想に同意した。メンバーそれぞれが自分の能力を活かし始めた。小さな土地から多くのものがもたらされた。キュネゴンドは、実のところすっかり醜くなっていた。が、見事な菓子を作るようになった。パケットは刺繡をした。老婆は肌着類をつくろった。誰ひとりとして、役に立たない者はいなかった。ジロフレー修道士も例外ではなかった。彼はすこぶる腕のいい指物師になり、節度ある振る舞いをする真面目な人物になった。かくしてパングロスは何回か、カンディードに言った。

 「この世界は、およそあり得べきすべての世界のうちで最善の世界である。ここではすべての事件がつながっておる。なんとなればそもそも、考えてみたまえ、もしきみがキュネゴンド姫に恋したがゆえに尻を蹴飛ばされて美しい城館から追い出されなかったら、もしきみが宗教裁判にかけられなかったなら、もしきみがアメリカ大陸を歩き回っていなかったら、もしきみが男爵に剣で一突きお見舞いしていなかったら、もしきみがあのうまし国エルドラドでもらい受けた羊たちを全部失っていなかったら、きみは今ここで、砂糖漬けのレモンやピスタチオを食してはいないであろうよ」

 「なるほど、なるほど、お見事な表現です」とカンディードは言った。「しかし、ぼくらの庭を耕さなくちゃなりません」(pp. 231-235)

*1:④斉藤悦則訳が一番気に入った。読みやすい分、「古典的名著」らしい格調高さはないが、もともとかなりぶっ飛んだ話なのでむしろ相応しいといえるかもしれない。解説も非常に充実している良い一冊だ。格式を求めるなら、①吉村正一郎訳もそこそこ明快な訳文でバランスがいい。③植田祐次訳は精確さを期した跡が見られるが、一般の読者に薦められるものではない気がする。⑤堀茂樹訳と②丸山熊雄・新倉俊一訳は訳者の癖が強くて、個人的には馴染めなかった。

*2:引用は Wikisource による。