ひよこのるるの自由研究

日本語で読める世界の文学作品と、外国語に翻訳されている日本語の文学作品を、対訳で引用しています。日本語訳が複数あるものは、読みやすさ重視で比較しておすすめを紹介しています。世界中の言語で書かれたもの・訳されたもののコレクションを目指しています。

堀辰雄『風立ちぬ』の英語版を日本語に訳してみる 2

前回に引き続き『風立ちぬ』の英語版を日本語に訳していく。英語の勉強ではなく、日本語を書く訓練のために。これが元々英語で書かれたものだとして、どれだけ自然で読みやすい良い日本語に訳せるかを試してみたい。もちろん翻訳には翻訳にふさわしい慎ましさというものがあるはずで、堀辰雄の原文がそのまま翻訳の練習の模範解答になるわけではない。そのあたりのことも、ただ読むだけでは大抵素通りしてしまうので、実際に『風立ちぬ』を書いてみることを通じて考えていこうと思う。

[英語版]One of those near-autumn afternoons, with your painting propped on its easel, we sprawled and nibbled fruit in the shade of that birch.

[英語版の日本語訳]秋も近づいたある日の午後、お前の絵が画架に立てかけられたまま、私たちはいつもの白樺の木陰に寝そべって果物をかじっていた。

[原文]そんな日の或る午後、(それはもう秋近い日だつた)私達はお前の描きかけの絵を画架に立てかけたまま、その白樺の木蔭に寝そべつて果物を齧じつてゐた。

前回の段落では、「それらの夏の日々」に繰り返されたことが書かれていたが、今回のこの文からは、それらの日々の中の特定のある一日の話になる。ぼくの訳では one of those near-autumn afternoonsthose を抜かしてしまったが、原文では「そんな」という日本語が2つの段落の関係を端的に伝えている。(もっとも、「そんな日の或る午後」ではなくて「そんな或る日の午後」と言う方が正確てはないだろうか。)

with your painting propped on its easel はうまい訳がどうしても思い浮かばなくて、「お前の絵が画架に立てかけられたまま」という不自然な書き方をしてしまった。受け身を使っているのが変だし、そもそも「~が……したまま」という構文はかなり厳しい。前回見たように、ふつう「まま」の前後で主語が変わるものではない。ぼくが原文のように「私達はお前の描きかけの絵を画架に立てかけたまま」と書けなかったのは、立てかけたのは「お前」であって「私達」ではないだろうと考えたからだった*1。しかしよく考えてみると、ここでの「私達は」は、「立てかけた」のが誰かではなくて、「立てかけたまま」にしようと判断したのが誰かを指している*2。だから原文のように書いて全く問題なかった。できるだけ同じ主語のまま長く続けるのが、読みやすい文章を書くコツの一つだという気がする(この話は後でもう一回出てくる)。

[英語版]Clouds like drifting sand slipped smoothly through the sky.

[英語版の日本語訳]漂う砂のような雲がなめらかに空を滑っていた。

[原文]砂のやうな雲が空をさらさらと流れてゐた。

原文の方が使っている言葉が平易で美しい。この「流れる」のような言葉が自分では思い浮かばない。

流れるような弁舌
eloquent [fluent] speech; a smooth tongue.
雲が東へ流れていく。
Clouds are drifting to(ward) the east.
煙が廊下を流れている。
Smoke is ⸢drifting [wafting] down the corridor*3

「さらさらと」は「雲」ではなく「砂」と結びつく言葉で、「砂のやうに」で始まる文にまとまりを与えている。ただ自分でこんな文を書こうとしても、ほとんどの場合格好つけすぎになってしまいそうだ。

「空をさらさらと」は原文のこの語順がいい。ぼくは「なめらかに空を」としたが、原文のように「空」を先にイメージさせてから「さらさらと」を読ませる方が、絵が豊かになる。

through the sky「空を」と訳したのは原文通りだった。こういう前置詞は多分このくらいあっさり処理するのがちょうどいいことも多い。

[英語版]Suddenly came a breeze from nowhere.

[英語版の日本語訳]突然、どこからともなく微風が吹いてきた。

[原文]そのとき不意に、何処からともなく風が立つた。

原文とぼくの訳を比べると、文から文への流れも原文の方がずっときれいだ。「不意に」の前についている「そのとき」にほとんど意味はなく、だからこそ英訳の訳者は省いてしまったのだろうけれど、この文章の調子にとってはなくてはならない言葉のように思えてくる。日本語に訳すときにこういう言葉をどれくらい勝手に入れていいかは、もっとたくさん例を集めてから考えたい。

[英語版]Through the leaves overhead we could see deep blue patches, swelling and shrinking.

[英語版の日本語訳]頭上の木の葉から覗くまだら状の紺色の空が、大きくなったり小さくなったりするのが見えた。

[原文]私達の頭の上では、木の葉の間からちらつと覗いてゐる藍色が伸びたり縮んだりした。

ここでも「藍色が」伸びたり縮んだりしたというのは格好よすぎて自分で書けなくても仕方ないと思うが、「まだら状の」は説明的すぎた。「ちらっと」は使いこなしたい。

車で通り過ぎるとき彼女の姿がちらっと見えた
I caught a glimpse of her when I drove past.
刑事は犯行現場の入口でちらっと警察バッジを見せた
The detective flashed his badge as he walked through the door to the scene of crime.*4

原文の「私達の頭の上では」が、ぼくの訳では「頭上の」となっている。ぼくは名詞への修飾を長くしすぎる癖があるかもしれない。前回も「一面に薄の生ひ茂つた草原の中で」に当たる部分を名詞への修飾で訳していた。

この文から何よりも学び取りたいのは、英語で we could see と書いてあっても、日本語では「のが見えた」などと書く必要がないということだ。「伸びたり縮んだりした。」と単純に書けば、それが「私達」の近くを通じて描かれていることは伝わる。

[英語版]We heard a plop onto the grass, like something toppling, the painting and the easel failing to the ground.

[英語版の日本語訳]草原に何かがよろめいたようなばたりという音がして、絵と画架が地面に倒れた。

[原文]それと殆んど同時に、草むらの中に何かがばつたりと倒れる物音を私達は耳にした。それは私達がそこに置きつぱなしにしてあつた絵が、画架と共に、倒れた音らしかつた。

we could see を訳出しなくていいと書いた直後に、今度は全く逆に、ぼくが省いた we heard が、原文ではしっかりと「私達は耳にした」となっている。「物音がした」で十分な気もするが、あえて言うなら、「私達」にスポットライトを当て直す効果だろうか。

「私達がそこに置きつぱなしにしてあつた絵」は文法的に変な気がする。「私達が」をつけるならぼくなら「置きっぱなしにしていた絵」と言う。

failing は falling の誤植と判断して訳した。倒れた音「らしかつた」というのは、音だけ聞いてまだ見ていないから確信はないということだが、英訳では無視されている。

[英語版]You started up to set it right, but I held you back, not to lose the moment. You did not leave. You let me do it.

[英語版の日本語訳]お前は立ち上がってそれを直そうとしたが、私はこの瞬間を逃すまいとお前を押しとどめた。お前は離れずに、私になされるがままになっていた。

[原文]すぐ立ち上つて行かうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失ふまいとするかのやうに無理に引き留めて、私のそばから離さないでゐた。お前は私のするがままにさせてゐた。

ここでも日本語では主語をころころ変えない方がいいということが確かめられる。英語版では you, I, you, you と主語が4つ出てくる。ぼくの訳では「お前は」「私は」「お前は」の3つだが、原文では「私は」「お前は」の2つだけだ。最初の「お前は」がない代わりに、「すぐ立ち上つて行かうとするお前を」となっている。これはとても日本語らしい表現だ。英語で you who started up などとはまず言わないはずなので、自然な日本語で出てくるこういう形を、翻訳でもうまく使えるようにしたい。

「いまの一瞬の何物をも失ふまいとするかのやうに」は今回の中で一番好きな一節だが、英訳の not to lose the moment はさすがに乱暴すぎる気がする*5。ただ、「かのやうに」は考えるとよく意味が分からなくなってくる。自分の行動の意図くらい自分で分かっとけよ、と英語の訳者が思ったとしても不思議はないのかもしれないが、ここで「かのやうに」を取って「失ふまいと」とだけ書いてしまうと、なんだか力強くて、『風立ちぬ』の語り手のイメージからちょっとずれてしまう。

最後の「お前は私のするがままにさせてゐた」はちょっとぎこちない文だと感じる。ぼくは最初「くれる」を使って訳そうとしたが、うまく詩的に仕上げられなかったので「私になされるがままになっていた」とした。まだぎこちなさはあるかもしれないが、原文よりは自然で、訳文としては悪くない表現かもしれない。

今回はここまで。最初のうちはどうしても苦しい一般化が多くなったりしてしまうけれど、少しずつデータを溜めていって、いろいろ裏付けとかもして、自信を持って語れるようになればいいなと思う。

*1:フランス語訳は nous avions laissé la toile que tu venais de fixer au chevalet(私たちはお前が画架に載せた絵をそのままにして)となっており、立てかけたのは「お前」で、立てかけたままにしたのは「私達」だということを厳密に表現している。

*2:「電気をつけたまま寝てしまった」などというとき、電気をつけたのが誰かはどうでもいい。

*3:『新和英大辞典』第5版(研究社)。

*4:『ウィズダム和英辞典』第2版(三省堂)。

*5:フランス語訳は例によってもっと忠実に、comme pour ne rien perdre du moment que nous étions en train de vivre としている。