ひよこのるるの自由研究

日本語で読める世界の文学作品と、外国語に翻訳されている日本語の文学作品を、対訳で引用しています。日本語訳が複数あるものは、読みやすさ重視で比較しておすすめを紹介しています。世界中の言語で書かれたもの・訳されたもののコレクションを目指しています。

堀辰雄『風立ちぬ』の英語版を日本語に訳してみる 4

今回はコメントを控えめにしてさくさく進んでいくことにする。

[英語版]"Father will be here in two or three days."

[英語版の日本語訳]「2、3日後にお父様がいらっしゃるわ」

[原文]「もう二三日したらお父様がいらつしやるわ」

する
12 〔時が経つ〕pass; elapse.
3年もすれば
in three years or so
1、2年もすると
in a year or two
ひと月もしないうちに
in less than [inside] a month; before a month has passed
あと10分したら焼きあがります。
It will be ⸢done [cooked] in (another) ten minutes.*1

[英語版]You spoke suddenly one morning as we strolled in the woods.

[英語版の日本語訳]ある朝私たちが林の中を散歩していると、お前が不意に言った。

[原文]或る朝のこと、私達が森の中をさまよつてゐるとき、突然お前がさう言ひ出した。

こと
16 〔時期を示す〕
それは去年のことだった。
It ⸢was [happened] last year.
彼女から電話があったのは今朝のことだ。
It was this morning that she phoned me.*2

「~のこと、」を副詞句として使う用法は辞書になかなか載っていない。

[英語版]I said nothing but showed my displeasure.

[英語版の日本語訳]私は何も言わなかったが、不満を表情に出した

[原文]私はなんだか不満さうに黙つてゐた

黙っていてもお互いに何を考えているのかわかる。
Even if we don't say anything, each of us knows what the other one is thinking.
なぜ今まで私に黙っていたのだ。
Why didn't you say anything to me about this before?*3

「不満さうに」は「私」の不満を内から語るのではなく、自分を外から眺めている。日本語でも若干違和感があるが、英語やフランス語ではさらに違和感が強いのかもしれない。両方とも「私」が不満を抱いていることを直接的に表現している。*4

文学上の特殊な表現だという気もするが、日本語では比較的違和感が薄くはあるのかもしれない。*5

[英語版]You looked at me there and spoke again, huskily.
"Well, then we won't be able to take these walks, will we?"

[英語版の日本語訳]するとお前は私を見て、しわがれた声で、
「そうするとこうしてお散歩することもできなくなるわね」

[原文]するとお前は、さういふ私の方を見ながら、すこししやがれたやうな声で再び口をきいた。
「さうしたらもう、こんな散歩も出来なくなるわね」

[英語版]"Any walk at all. If we think we want to walk, we can walk."

[英語版の日本語訳]「どんな散歩だって、したいと思えばできるさ」

[原文]「どんな散歩だつて、しようと思へば出来るさ」

ここはまた英訳を信頼せずに原文を当てにいこうとして訳してしまった。英語の訳として正しいのか自信がないが、原文とは似通った日本語にはなった。

「しようと思へば」を If we think we want to walk としているのはずれているかもしれない。「しようと思う」が単純に意志を持っていることを表すのに対して、we think we want は意志を持っている「気がする」というニュアンスにならないだろうか。

(1) お正月には温泉に行こうと思う。
  I think I'll go to a hot spring at New Year's.
(2) 来年はもっと頑張ろうと思う。
  I think I'll try harder next year.
(3) 今夜は早く寝ようと思っている。
  I'm thinking of going to bed early this evening.
(4) 今の仕事を辞めようかと思っている。
  I'm wondering whether I should quit my job.
(5) 外国に住もうとは思わない。
  I have no intention of living abroad.
(6) あなたは一生この仕事を続けようと思いますか。
  Do you think you'll do this job for life?*6

[英語版]Still disgruntled, I felt your anxious glance over my head, but it seemed rather that something stirring in the treetops above had drawn your attention.

[英語版の日本語訳]私はまだむっとしていた。顔にお前の不安そうな視線を感じたが、木の頂でもぞもぞと動いている何かがお前の注意を引いたようだった。

[フランス語版]Toujours renfrongné, bien que je sentisse sur moi ton regard inquiet, je feignais d'être davantage absorbé par le bruit que, sans cause apparente, faisaient les cimes au-dessus de nos têtes...

[フランス語版の日本語訳]私はしかめっ面をしたまま、お前の不安そうな視線を感じていたが、それよりも頭上の木の頂から聞こえてくる得体の知れない物音の方に気を取られているふりをしていた

[原文]私はまだ不満らしく、お前のいくぶん気づかはしさうな視線を自分の上に感じながら、しかしそれよりももつと、私達の頭上の梢が何んとはなしにざわめいてゐるのに気をられてゐるやうな様子をしてゐた

ここはさすがに英訳がおかしい気がしたのでフランス語版からも訳してみた。案の定英語版は完全な誤訳だった。

またもや「不満らしく」と「様子をしてゐた」は、自分のことなのに他人事のように聞こえる。(だから your attention などと訳してしまったのも一応理解はできる。)

but と bien que を見てとっさに「が、」と訳してしまったが、逆接を全面に押し出さない「ながら、しかし」という呼吸はとても素敵だ。

[英語版]"Father never leaves me."

[英語版の日本語訳]「お父様が私を離してくださらないわ」

[原文]「お父様がなかなか私を離して下さらないわ」

[英語版]I looked back at you in irritation.

[英語版の日本語訳]私は苛立ってお前を振り返った。

[原文]私はとうとう焦れったいとでも云ふやうな目つきで、お前の方を見返した。

ここでも「私」の感情を「目つき」の形容で表現している。

[英語版]"Are you saying we have to separate?"

[英語版の日本語訳]「会えなくなると言ってるのか?」

[原文]「ぢやあ、僕達はもうこれでお別れだと云ふのかい?」

[英語版]"It can't be helped."

[英語版の日本語訳]「仕方ないじゃない」

[原文]「だつて仕方がないぢやないの」

(1) A: どうして外で遊ばないの。
    Why aren't you playing outside?
  B: だって寒いんだもん。
    Because it's cold.
(2) A: にんじん、残さずにちゃんと食べなさい。
    Eat all your carrots and don't leave any on your plate.
  B: だってきらいだもん。
    But I don't like them!*7

[英語版]You managed a smile and seemed to close the subject.

[英語版の日本語訳]お前は笑顔を作って見せて、この話は終わりにしたようだった。

[原文]さう言つてお前はいかにも諦め切つたやうに、私につとめて微笑んで見せようとした。

ここも英訳がよく分からない。

[英語版]The color of your face, the color even of your lips, turned pale!

[英語版の日本語訳]お前の顔色が、唇の色までもが、青くなった。

[原文]ああ、そのときのお前の顔色の、そしてその唇の色までも、何んと蒼ざめてゐたことつたら!

この大げさな詠嘆の調子は、いつか真似したくなる機会が来るかもしれない。

前回の最後に書いたように、やっぱり英訳はあてにならない部分が多すぎるので、次回からフランス語訳を使うことにする。英訳よりはずっと原文に忠実だが、それを訳してもやっぱり原文からは大きく離れた日本語になるはずで、そこから引き続きぼくの日本語入門のためのポイントを抽出していきたい。

*1:『新和英大辞典』第5版(研究社)。

*2:同上

*3:同上

*4:フランス語訳:Je gardai le silence, la mine renfrognée.

*5:「僕は 照れくさそうに カバンで顔を隠しながら 本当は とても とても 嬉しかったよ」(ZONE「secret base~君がくれたもの~」)

*6:『日本語文型辞典 英語版』(くろしお出版)、p. 659。

*7:同上、p. 213。