世界文学全集のためのメモ 4 『うたかたの日々』 ボリス・ヴィアン

フランス語編 3

Boris Vian
ボリス・ヴィアン
1920-1959

L’Écume des jours
『うたかたの日々』
1947

日本語訳*1
①曾根元吉訳『日々の泡』1970年(新潮文庫、1998年
②伊東守男訳『うたかたの日々』1979年(ハヤカワepi文庫、2002年
③野崎歓訳『うたかたの日々』2011年(光文社古典新訳文庫

Avant-propos

 

Dans la vie, l’essentiel est de porter sur tout des jugements a priori. Il apparaît en effet que les masses ont tort, et les individus toujours raison. Il faut se garder d’en déduire des règles de conduite : elles ne doivent pas avoir besoin d’être formulées pour qu’on les suive. Il y a seulement deux choses : c’est l’amour, de toutes les façons, avec des jolies filles, et la musique de la Nouvelle-Orléans ou de Duke Ellington. Le reste devrait disparaître, car le reste est laid, et les quelques pages de démonstration qui suivent tirent toute leur force du fait que l’histoire est entièrement vraie, puisque je l’ai imaginée d’un bout à l’autre. Sa réalisation matérielle proprement dite consiste essentiellement en une projection de la réalité, en atmosphère biaise et chauffée, sur un plan de référence irrégulièrement ondulé et présentant de la distorsion. On le voit, c’est un procédé avouable, s’il en fut.

La Nouvelle-Orléans.

10 mars 1946.

(pp. 17-18) *2

①曾根元吉訳

まえがき

 

 人生でだいじなのはどんなことにも先天的な判断をすることだ。まったくの話、ひとりひとりだといつもまっとうだが大勢になると見当ちがいをやる感じだ。でも、そこから身の処し方の規則なんかひきだすのは用心して避けねばならぬ。遵守じゆんしゆするための規則などこさえる必要もなかろう。ただ二つのものだけがある。どんな流儀でもいいが恋愛というもの、かわいい少女たちとの恋愛、それとニューオーリンズの、つまりデューク・エリントンの音楽。ほかのものはせたっていい、醜いんだから。その例証がここに展開する数ページで、お話は隅から隅までぼくが想像で作りあげたものだからこそ全部ほんとの物語になっているところが強みだ。物語のいわゆる現実化とは、傾斜した熱っぽい気分で、ムラ多く波だってねじれの見える平面上に現実を投影することだ。まあこれが打明けていい、ぎりぎり掛値なしの手ぐちだ。

 

ニューオーリンズで

一九四六年三月十日

(p. 5)

②伊東守男訳

はじめに

 

 人生では、大切なことは何ごとにかかわらず、すべてのことに対して先験的な判断を下すことである。そうすると、実際、大衆が間違っていて個人が常に正しいということがわかってくるのだ。そこから行動の指針を引き出すのは考えなければならない。何もわざわざことばにしなくても、黙ってそれに従ってればいい、二つのことがあるだけだ。それは、きれいな女の子との恋愛だ。それとニューオーリンズかデューク・エリントンの音楽だ。その他のものはみんな消えちまえばいい。なぜって、その他のものはみんな醜いからだ。以下に小説として挙げる論拠は全くそれが本当の話だというところに強味がある。第一それはわたしが初めから終りまででっちあげたことだ。それを具体的に文字にしてみることは、斜めに構えた、熱狂的な雰囲気の中で、不規則に波打ち歪曲したところもないではない、参照次元に現実を投影することなのだ。もしそれが一つの方法論だとすれば、声を大にして言っていいものだろう。

――ニューオーリンズ、一九四六年三月十日

(pp. 7-8)

③野崎歓訳

まえがき

 

 人生でもっとも大切なのは、何についてであれ、あらかじめ判断を下しておくことだ。実際の話、ひとは集団になると間違いを犯すものだが、個人はいつだって正しいように思える。ただし、そこから行動の規則など引き出さないようにしたほうがいい。規則を定めなくても、ちゃんと行動することはできる。大切なことは二つだけ。どんな流儀であれ、きれいな女の子相手の恋愛。そしてニューオーリンズの音楽、つまりデューク・エリントンの音楽。ほかのものは消えていい。なぜって醜いから。以下に続く少しばかりのページはそれを証明するものだが、強みはもっぱら、全部が本当にあった話だという点にある。なにしろそれは何から何まで、ぼくが想像した物語なのだ。物語のいわゆる物質的実現は、主として、斜めに傾いた熱い雰囲気の中、不規則に波打った歪みのある基準面に現実を投影することで可能となった。おわかりかと思うが、これは人に打ち明けても恥ずかしくない、なかなか立派なやり方ではないだろうか。

 

ニューオーリンズにて

一九四六年三月一〇日

(pp. 7-8)

[I]

Le couloir de la cuisine était clair, vitré des deux côtés, et un soleil brillait de chaque côté car Colin aimait la lumière. Il y avait des robinets de laiton soigneusement astiqués un peu partout. Les jeux des soleils sur les robinets produisaient des effets féeriques. Les souris de la cuisine aimaient danser au son des chocs des rayons de soleil sur les robinets, et couraient après les petites boules que formaient les rayons en achevant de se pulvériser sur le sol, comme des jets de mercure jaune. Colin caressa une des souris en passant –, elle avait de très longues moustaches noires, elle était grise et mince et lustrée à miracle –, le cuisinier les nourrissait très bien sans les laisser grossir trop. Les souris ne faisaient pas de bruit dans la journée et jouaient seulement dans le couloir. (p. 22)

①曾根元吉訳

 台所の廊下は明るく、両側はガラス戸で、どちらからも日が当っている。コランは明るい光が好きだったからだ。そこかしこに丹念にみがきたてた真鍮しんちゆうカランがいくつかある。それらの栓に日光がたわむれて夢幻のような印象をかもしだす。台所にいるハツカネズミたちは日光が栓にあたる衝撃音にあわせて踊るのが好きで、光線が床にぶつかって粉々になるときにできる黄水銀の噴出のような小さな光の球のあとを追いかけていく。通りすがりにコランはハツカネズミの一匹の相手になってやる。みごとに艶のいい華奢きやしやで灰色のコネズミで長い黒いひげがある。あまりふとりすぎぬよう料理人がじょうずに食事をあたえていた。一日中、ハツカネズミたちは物音をたてずに廊下でただ遊んでいるだけだった。 (p. 9)

②伊東守男訳

 キッチンの廊下は両方にガラスがはまっていて開かなかった。両側に太陽が輝いていた。なぜって、コランは明るいのが大好きだったからだ。よく磨いた真鍮の蛇口がやたらにあった。太陽が真鍮の蛇口にあたって御伽噺おとぎばなしのような効果をよんでいた。キッチンのハツカネズミは太陽の光線が蛇口にあたる音で踊っており、光線が床の上に霧のように飛び散って黄色い水銀のように小さな玉になるのを追いかけ回していた。コランは通りがかりにそんなネズミの一匹を撫でてやっていた。長い口髭をし、灰色で瘦せており、信じられないぐらい艶があった。コックは彼らにとても良い待遇をしていたが、ネズミをあんまり太らすようなことはしなかった。昼間中ハツカネズミたちは音もたてずに廊下で遊んでいた。 (pp. 11-12)

③野崎歓訳

 キッチンへの廊下は、両側ともガラス張りになっていて明るく、右からも左からも太陽が射していた。なにしろコランは日の光が好きだったのだ。念入りに磨かれた真鍮しんちゅうの蛇口がそこらじゅうにあった。蛇口に陽光が当たって夢のようにきれいだった。キッチンにいるハツカネズミたちは、蛇口に太陽光線がぶつかって立てる音に合わせて踊るのが好きだった。そして太陽光線が床で砕け散ったときにできる小さな玉のあとを追って駆けまわった。それはまるで黄色い水銀が飛び散ったみたいだった。通りすがりにコランはハツカネズミたちの一匹をでてやった。その子はとても長い黒の口ひげを生やし、体はグレーでほっそりとしていて、びっくりするほど光沢つやがあった。コックはハツカネズミたちに十分な栄養を与えながらも、太りすぎないよう気をくばっていた。ハツカネズミたちは昼間は音を立てず、廊下で遊んでいるだけだった。 (p. 12)

[VI]

– Faites, Nicolas, vous du fricandeau ce soir ? demanda Colin.

– Mon Dieu, dit Nicolas, Monsieur ne m’a pas prévenu. J’avais d’autres projets.

– Pourquoi, peste diable boufre, dit Colin, me parlez-vous toujours perpétuellement à la troisième personne ?

– Si Monsieur veut m’autoriser à lui en donner la raison, dit Nicolas, je trouve qu’une certaine familiarité n’est admissible que lorsque l’on a gardé les barrières ensemble, et ce n’est point le cas.

– Vous êtes hautain, Nicolas, dit Colin.

– J’ai l’orgueil de ma position, Monsieur, dit Nicolas, et vous ne sauriez m’en faire grief.

– Bien sûr ! dit Colin. Mais j’aimerais vous voir moins distant.

– Je porte à Monsieur une sincère, quoique dissimulée, affection, dit Nicolas.

– J’en suis fier et heureux, Nicolas, et je vous le rends bien. Ainsi, que faites-vous ce soir ? (p. 47)

①曾根元吉訳

「ニコラ、今夜はフリカンドーを作ってるのかね?」とコランはいた。

「これはしたり、あなた様から前もってお知らせ頂いておりませんでした。ほかの献立を進めております」とニコラは言った。

「どうしてなんだ、こん畜生のあんぽんたんめ。いつだってぼくにくそ丁寧な言葉づかいをするのは何故なぜかね」

「もしその理由を申し上げても苦しゅうないということでございましたら、れなれしい言葉づかいは、おたがいに境壁へだたりを尊重しあってから初めて許容されるべきものと存じますので、それとは事態がまるで違うわけです」

「それは尊大というもんだよ、ニコラ」

「わたくしは自分の立場に誇りをもっております。そのことで、あなた様がわたくしに文句をつけなさることはできないでございましょう」

「もちろんだ」とコランは言った。「だが、ぼくはもっと隔てなしにあなたと会えるほうが好きだな」

「わたくしは、あなた様に、表面に出しこそ致しませんが、心からの情愛を抱いておりますので」とニコラは答えた。

「それは嬉しいし得意にもなるね、ニコラ。お返しはするよ。そこで、今夜は何をこしらえているの?」 (pp. 33-34)

②伊東守男訳

「ニコラ、今晩はフリカンドーにするのかね?」と、コランが尋ねる。

「そんな突然言いだされても、旦那様はそんなことはおっしゃってませんでしたね。違うものを作る予定なんですがね」

「ちぇっ、ペストの悪魔にでも喰われてしまえ。一体またなんで、いつでもぼくには、旦那様なんて三人称でそんなていねいな口をきくんだね」

「旦那様は、理由をお知りになりたいのですか。まあ、ある程度までの、親しさは許されるでしょう。しかし、いろいろなけじめをちゃんとつけなくちゃいけませんがね。だが、今は、そういった状態ではございませんよ」

「君はおたかくとまってるね、ニコラ」と、コラン。

「私は、私の地位に誇りを持ってますからね。だからといって、旦那様は、文句を言ったりはなさらないでしょう」

「そりゃあそうだよ、だからもう少し、うちとけて欲しいんだがな」

「私は旦那様に対して心からの愛情を持っております。表には出しませんがね」と、ニコラ。

「それは有難いよ、また、誇らしいがね。ぼくも君に対して同様の感情を持っているんだよ。ところで、今晩は何を作るんだい?」 (pp. 34-35)

③野崎歓訳

「ニコラ、今夜はフリカンドーを作っているんでしょう?」コランが尋ねた。

「これは困った」とニコラ。「旦那様は何もおっしゃっていなかったではないですか。わたくし、別のプランを立ててしまいました」

「どうしてなんだ、まったくもう」とコランはいった。「どうしていつも、ぼくのことを旦那様呼ばわりするんです?」

「旦那様が説明をお許しくださるのであれば申しますが、親しげな口調というのは、お互いのあいだの壁を尊重し合って初めて許されるものだと存じます。いまの場合はそうではありませんので」

「お高くとまっているんですね、ニコラ」とコランはいった。

「旦那様、わたくしは自分の地位に誇りをもっております。それを非難なさるにはおよびませんよ」

「もちろんですとも。でもぼくは、もう少し打ち解けてほしいんですが」

「わたくしは旦那様に心から親愛の情を抱いておりますが、ただしそれを表には出さずにいるのでして」

「ニコラ、それはぼくにとって誇らしいし、嬉しいことです。同じ気持ちをお返ししますよ。ところで、今晩は何を作っているんです?」 (pp. 42-43)

[XII]

– Si on coupait le gâteau ? dit Chick.

Colin saisit un couteau d’argent et se mit à tracer une spirale sur la blancheur polie du gâteau. Il s’arrêta soudain et regarda son œuvre avec surprise.

– Je vais essayer quelque chose, dit-il.

Il prit une feuille de houx au bouquet de la table et saisit le gâteau d’une main. Le faisant tourner rapidement sur le bout du doigt, il plaça, de l’autre main, une des pointes du houx dans la spirale.

– Écoute !… dit-il.

Chick écouta. C’était Chloé, dans l’arrangement de Duke Ellington.

Chick regarda Colin. Il était tout pâle.

– Je… je n’ose pas le couper… dit Colin.

Chick lui prit le couteau des mains et le planta d’un geste ferme dans le gâteau. Il le fendit en deux. Et, dans le gâteau, il y avait un nouvel article de Partre pour Chick et un rendez-vous avec Chloé, pour Colin. (p. 74)

①曾根元吉訳

「ケーキを切ってみたら」とシックは言った。

 コランは銀のナイフを取り、ケーキのつるつるした白い表面に、渦巻うずまきの線を入れていった。と、突然に、彼は手を止め、驚いて自分の仕事を見つめた。

「ぼくは何ごとかをやってみようとしてるんだ」と彼は言って、テーブルの花束からヒイラギの葉を一枚とると、片手でケーキをつかんだ。指尖ゆびさきでケーキを迅速に回転させながら、一方の手で、ヒイラギの葉先を渦巻の線に乗せた。

「聴いてごらん!……」

 シックは耳をすました。デューク・エリントン編曲の『クロエ』だった。

 シックはコランを見守った。彼は真青だった。

 シックはナイフを取り上げて、力強い手つきでケーキに突きこんだ。まっ二つにケーキが割れると、その中には、シックのためにパルトルの新刊の評論が一冊と、コランのためにクロエと会う場所と時間の約束が入れられてあった。 (pp. 61-62)

②伊東守男訳

「ケーキを切ったらどうだい」とシック。

 コランは銀のナイフを取り上げると、ケーキのぴかぴかに磨かれた真白な表面にらせん形の模様を描き始めた。彼は突然止めると、驚いたように切り具合を眺めるのだった。

「ちょっと、面白いことをやってみよう」とコラン。

 彼は、ひいらぎの葉っぱを一枚ほど、テーブルの上に置かれた花束から取り出すと、片方の手でケーキをつかんだ。ケーキを指の端で回転させると、片方の手でひいらぎのとげをひとつ、らせん形の模様の方に差した。

「聞けよ」とコラン。

 シックは聞いた。デューク・エリントンの編曲になる〈クロエ〉だった。

 シックはコランを眺めやった。彼は真青になっていた。

 シックはコランの手からナイフを取り上げると、しっかりした手つきで、ケーキの中に突き刺した。ケーキを二つに割ると、ケーキの中には、シック用にパルトルの新論文が一つと、コラン用にクロエとのデートが入っていた。 (p. 62)

③野崎歓訳

「ケーキを切ってみたら?」シックがいった。

 コランは銀のナイフを取って、ケーキのなめらかな白い表面に渦巻きを描き始めた。不意に手を止めると、驚いたように自分のしわざを眺めた。

「ちょっとやってみたいことがある」と彼はいった。

 卓上の花束からヒイラギの葉っぱを一枚取り、ケーキを片手でもった。そしてケーキを指の上ですばやく回転させながら、もう一方の手で、ヒイラギの葉っぱのとがった先を渦巻きに触れさせた。

「聴いてごらん……!」

 シックは耳を澄ませた。それはデューク・エリントンの編曲による「クロエ」だった。

 シックはコランを見た。コランは真っ青になっていた。

 シックはコランの手からナイフを取って、ケーキにぐさりと突き刺した。ケーキが二つに割れた。するとその中には、シックのためにパルトルの新しい論文、コランのためにクロエとのデートの約束が入っていたのだった。 (pp. 76-77)

XXV

– Pourquoi sont-ils si méprisants ? demanda Chloé. Ce n’est pas tellement bien, de travailler.

– On leur a dit que c’est bien, dit Colin. En général, on trouve ça bien. En fait, personne ne le pense. On le fait par habitude et pour ne pas y penser, justement.

– En tout cas, c’est idiot de faire un travail que des machines pourraient faire.

– Il faut construire des machines, dit Colin. Qui le fera ?

– Oh, évidemment, dit Chloé, pour faire un œuf, il faut une poule, mais une fois qu’on a la poule, on peut avoir des tas d’œufs. Il vaut donc mieux commencer par la poule.

– Il faudrait savoir, dit Colin, qui empêche de faire des machines. C’est le temps qui doit manquer. Les gens perdent leur temps à vivre, alors il ne leur en reste plus pour travailler.

– Ce n’est pas plutôt le contraire ? demanda Chloé.

– Non, dit Colin. Si ils avaient le temps de construire les machines, après ils n’auraient plus besoin de rien faire. Ce que je veux dire, c’est qu’ils travaillent pour vivre au lieu de travailler à construire des machines qui les feraient vivre sans travailler.

– C’est compliqué, estima Chloé.

– Non, dit Colin. C’est très simple. Ça devrait, bien entendu, venir progressivement. Mais, on perd tellement de temps à faire des choses qui s’usent.

– Mais tu crois qu’ils n’aimeraient pas mieux rester chez eux et embrasser leur femme et aller à la piscine et aux divertissements ?

– Non, dit Colin, parce qu’ils n’y pensent pas.

– Mais est-ce que c’est leur faute si ils croient que c’est bien de travailler ?

– Non, dit Colin, ce n’est pas leur faute. C’est parce qu’on leur a dit : le travail, c’est sacré, c’est bien, c’est beau, c’est ce qui compte avant tout, et seuls les travailleurs ont droit à tout. Seulement, on s’arrange pour les faire travailler tout le temps et alors ils ne peuvent pas en profiter.

– Mais alors ils sont bêtes, dit Chloé.

– Oui, ils sont bêtes, dit Colin. C’est pour ça qu’ils sont d’accord avec ceux qui leur font croire que le travail, c’est ce qu’il y a de mieux. Ça leur évite de réfléchir et de chercher à progresser et à ne plus travailler.

– Parlons d’autre chose, dit Chloé. C’est épuisant, ces sujets-là. Dis-moi si tu aimes mes cheveux.

– Je t’ai déjà dit…

Il la prit sur ses genoux. De nouveau, il se sentait complètement heureux.

– Je t’ai déjà dit que je t’aimais bien, en gros et en détail.

– Alors, détaille, murmura Chloé, en se laissant aller dans les bras de Colin, câline comme une couleuvre. (pp. 123-125)

①曾根元吉訳

「あの人たち、どうしてあんなに人を小ばかにしてるの」とクロエはきいた。「労働してるからってそれがそんなに正しいとは思えないわ」

「労働は正しいと聞かされているんだな。一般には正しいと考えられているんだが、実際は、だれもそう思ってやしない。習慣でやっているわけだ。正確にいえば、そんなこと考えないぐらいだよ」

「どっちにしても機械でやれるような労働をするのはばからしいわ」

「その機械をこしらえる必要があるよ」とコランは言った。「だれがそれをつくる?」

「あたりまえじゃないの。卵をつくるには、めんどりが必要よ。めん鶏さえあれば、卵はいくらでも手に入るわよ。めん鶏からはじめるのが第一よ」

「なにが機械をつくることを妨げてるかを知る必要がある。まず時間が不足してるはずだ。人はみな生きるのに時間を浪費しているよ。だからもう労働するだけの時間が残っていないんだ」

「それはあべこべじゃないの?」とクロエは言った。

「そうじゃない」とコランは答えた。「もし機械をこしらえる時間があったとすれば、そのあとではもう何一つこしらえようとしなくなるだろう。ぼくの言いたいことは、彼らは労働せずに生きられる機械をこしらえる労働をしないで生きるために労働しているってことなんだ」

「ややこしいわね」

「そうじゃないよ。とても単純なことだ。もちろん、こいつはだんだん進歩してきてるはずだが、それほど人はすりへってしまう物をつくるのに時間を浪費してるんだよ……」

「でも、あの人たちが家庭にいて奥さんに接吻せつぷんしたりプールやいろんな楽しみごとに出かけたりするのを好かないと思う?」

「好かないだろうね。だってそんなこと考えないからだ」

「でも、労働が正しいことだと信じているとしたら、あの人たちの欠点じゃない?」

「そうじゃないよ。欠点じゃないんだ。だって《労働、それは神聖にして、正しく、美しいもの。それは何にもまして重んじられ、労働者だけがあらゆるものに権利を有する》と聞かされてるんだ。ただ、彼らを始終労働させるような手筈てはずになってあるので、時間を活用できないでいるんだ」

「だって、それなら、あの人たちはのろまなの」

「そうだ、のろまなんだ。労働こそ最善のものだと信じこませている連中と同調しているのは、そのためなんだ。それが彼らに熟考すること、進歩して、労働しなくなるのを求めることをはばんでいるんだよ」

「ほかのことを話しましょうよ」とクロエは言った。「げっそりしちゃうわ、こんなお話は。ねえ、あたしの髪は好きかどうか言って……」

「まえに言ったじゃない……」

 彼はクロエを膝にのせた。ふたたび、ふたりはすっかり幸福な感じになっていた。

「ぼくはあんたのどこもかしこも全体を愛してるんだって言ったじゃない」

「それなら、もっとこまかく、どこもかしこも愛してよ」とクロエは、蛇の子みたいに甘ったれて、コランの腕の中に身をすりよせながら言った。 (pp. 110-112)

②伊東守男訳

「なんであんな軽蔑しているような目つきしてんのかしら」とクロエ。「あんなふうに働いたってあんまりいいことないはずなのにねえ」

「なあに、いいことがあるって言われてるのさ」とコラン。「一般的に言うと悪くはないのさ。少なくとも誰も悪いとは思っちゃいない。習慣でやってるんだよ。それに誰もあまりそんなことを考えないんだ」

「だけどいずれにしたって機械でもやれる仕事を人間がやるなんて馬鹿みたいじゃない」

「だって機械だって誰かが作らなくちゃならないんだろう。誰が作るんだ」

「そんなことを言い出せばそれはそうよ。卵をつくるためにはニワトリをまずつくらなくてはならないわ。だけどニワトリをつくってしまえば、卵なんか沢山つくることができるわよ。だからニワトリから始めた方が利口じゃないの」

「まず第一に誰が機械を作るじゃまをしているか訊かなくちゃならないな。時間が足りないんだよ。みんな生きる時間がなくなってるんだ。働く時間なんかありゃしない」

「むしろその反対じゃないの」とクロエ。

「いや、そんなことはないよ。機械を作る時間さえあればあとはもう何もしなくていいんだ。ぼくの言ってるのはね、働かなくてもいいようになる機械を作るために働く代りに、食うために働いているんだよ、彼らは」

「ずいぶん複雑なのね」

「いや、別に複雑じゃないよ。むしろごく簡単なんだ。もちろん徐々にやらなくちゃならない。だけど下らないすり切れのためにさんざん時間を無駄にしているんだ」

「だけどあなた、あの人たちみんな家にいて、奥さんにキスでもして、プールや他のことをして楽しんでいた方がいいと思わない」

「そうは思わないな。だってそんなこと全然考えちゃいないんだからな」

「だけど労働するのはいいことだと思っているとしたら、間違いじゃないかしら」

「いや、そうは思わないよ。ただみんなから、〝労働は神聖だ。実に美しい、いいもんだ〟なんて言われてるからさ。〝労働者だけが全部のものに対して権利を持ってるんだ〟ってね。だけどうまくはめられてしょっちゅう働かせられているもんで、労働の果実を自分たちの自由にすることができないんだな」

「でも何よ、それじゃばかみたいじゃない」とクロエ。

「うん、ばかみたいだよ」とコラン。「だけどそういうわけだから、労働が世の中で一番いいものだと彼らに信じ込ませる奴らに反対しないんだ。考える必要や進歩しようと努力する必要や、これ以上働くまいと考える必要がなくなるからさ」

「他のお話をしましょうよ。うんざりするわ、その話題は。それよりあなた、私の髪の毛が好き」

「もう言ったじゃないか」

 彼は彼女を膝の上にのっけた。再び幸福いっぱいの気分になれた。

「もう言ったろ。君の大ざっぱなところも細かいところもすべて好きだって」

「それじゃ細かいところを頼むわよ」とクロエはコランの腕の中で身を任せて、まむしのようなしなをつくりながら言うのだった。 (pp. 109-111)

③野崎歓訳

「あの人たち、どうしてわたしたちのことをあんなに軽蔑するの?」クロエが尋ねた。「働くのは、そんなに立派なことかしら……」

「連中は、働くのは立派なことだといわれて働いているんだよ」コランはいった。「一般論としては、働くことは立派なことなんだ。でも実際にはだれもそうは思っていない。ただ習慣から、そんなことを考えなくてすむように働いているだけさ」

「どちらにしても、機械にできる仕事をするのはばかげてるわ」

「でもまず機械を作らなくちゃならないだろ」とコラン。「だれがその仕事をするんだ?」

「もちろん、卵ができるにはメンドリがいなくちゃならないわ。でもメンドリさえいれば卵はたくさん手に入るでしょう。だから、まずメンドリから始めるべきなのよ」

「機械を作るのをじゃましているのは何なのかを突き止めなければね。きっと時間が足りないんだろうな。人々は暮らしに追われてばかりで、働く時間が残っていないんだ」

「それってむしろ逆じゃないの?」クロエが尋ねた。

「違うよ」とコラン。「機械を作る時間さえあれば、あとはもう何もしなくてすむだろう。ぼくがいいたいのは、連中は暮らしていくために働いているのであって、働かなくても暮らしていけるような機械を作るために働いているのではないということさ」

「ややこしいわね」

「そんなことないよ。とても単純なことさ。もちろん、少しずつ進歩してはいくんだろう。とはいうものの、人間はすり減っていくだけのものを作るのに時間を無駄にしすぎているよ」

「でもあの人たちだって、できるものなら自分の家にいて奥さんにキスしたり、プールや遊び場に行きたいはずだとは思わない?」

「思わないね。だってそんなこと、考えてもいないんだよ」

「でも、働くのは立派なことなんだって考えているのは、あの人たちが悪いのかしら?」

「そうじゃない。彼らが悪いわけじゃない。それは彼らが、労働は神聖で、善なる、美しいものであり、何よりも大事なもので、働く者だけがあらゆる権利を有するのだと吹き込まれているせいなんだ。ただし、連中はとにかく四六時中、働いていなければならないようになっているから、楽しむわけにはいかないんだよ」

「ということは、あの人たちはばかなのかしら」

「そうさ、ばかなのさ。だからこそ連中は、労働こそ最高のものなりと信じ込まされているんだ。そうすれば自分の頭で考えずにすむし、社会を進歩させて、仕事をしなくていいようにする必要もないからね」

「何か別のお話をしましょう」とクロエはいった。「もううんざりだわ、こういう話題は。ねえ、わたしの髪は好き?……」

「前にいったじゃないか……」

 コランはクロエをひざの上にのせた。するとコランはまた、自分は申し分なく幸せなのだという気持ちになった。

「前にいったじゃないか、君のことが大好きだって。大雑把おおざっぱにいっても、事細かにいってもさ」

「それじゃ、事細かにいってみてちょうだい」クロエは、蛇の子みたいに甘やかにコランの腕にすべり込みながらささやいた。(pp. 133-136)

[XLI]

Chloé était allongée sur son lit, vêtue d’un pyjama de soie mauve et d’une longue robe de chambre de satin piqué d’un léger beige orange.

Autour d’elle, il y avait beaucoup de fleurs et surtout des orchidées et des roses. Il y avait aussi des hortensias, des œillets, des camélias, de longues branches de fleurs de pêcher, et d’amandier, et des brassées de jasmin. Sa poitrine était découverte et une grosse corolle bleue tranchait sur l’ambre de son sein droit. Ses pommettes étaient un peu roses et ses yeux brillants, mais secs, et ses cheveux légers et électrisés comme des fils de soie.

– Tu vas prendre froid ! s’écria Alise. Couvre-toi !

– Non, murmura Chloé, il le faut, c’est le traitement.

– Quelles jolies fleurs ! dit Alise. Colin est en train de se ruiner, ajouta-t-elle gaiement, pour faire rire Chloé.

– Oui, murmura Chloé. Elle eut un pauvre sourire.

– Il cherche du travail, dit-elle à voix basse. C’est pour cela qu’il n’est pas là.

– Pourquoi parles-tu comme ça ? demanda Alise.

– J’ai soif… dit Chloé dans un souffle.

– Tu ne prends réellement que deux cuillerées par jour ? dit Alise.

– Oui… soupira Chloé.

Alise se pencha vers elle et l’embrassa.

– Tu vas bientôt être guérie.

– Oui, dit Chloé. Je pars demain avec Nicolas et la voiture.

– Et Colin ? demanda Alise.

– Il reste, dit Chloé. Il faut qu’il travaille, mon pauvre Colin. Il n’a plus de doublezons.

– Pourquoi ? demanda Alise.

– Les fleurs… dit Chloé.

– Est-ce qu’il grandit ? murmura Alise.

– Le nénuphar ? dit Chloé, tout bas. Non, je crois qu’il va partir…

– Alors, tu es contente ?

– Oui, dit Chloé, mais j’ai si soif.

– Pourquoi n’allumes-tu pas ? demanda Alise. Il fait très sombre ici.

– C’est depuis quelques temps, dit Chloé. Il n’y a rien à faire. Essaye.

Alise manœuvra le commutateur et un léger halo se produisit autour de la lampe.

– Les lampes meurent… dit Chloé. Les murs se rétrécissent aussi. Et la fenêtre, ici, aussi.

– C’est vrai ? demanda Alise.

– Regarde…

La grande baie vitrée qui courait sur toute la largeur du mur n’occupait plus que deux rectangles oblongs, arrondis aux extrémités. Une sorte de pédoncule s’était formé au milieu de la baie, reliant les deux bords, et barrant la route au soleil. Le plafond avait baissé notablement et la plate-forme où reposait le lit de Colin et Chloé n’était plus très loin du plancher.

– Comment est-ce que cela peut se faire ? demanda Alise.

– Je ne sais pas… dit Chloé. Tiens, voilà un peu de lumière.

La souris à moustaches noires venait d’entrer, portant un petit fragment d’un des carreaux du couloir de la cuisine, qui répandait une vive lueur.

– Sitôt qu’il fait trop noir, expliqua Chloé, elle m’en apporte un peu.

Elle caressa la petite bête qui déposa son butin sur la table de chevet. (pp. 194-197)

①曾根元吉訳

 クロエは藤紫の絹のパジャマと淡いオレンジ・ベージュのサテンに刺繍ししゆう入りの部屋着の長いのを身につけて、ベッドに寝そべっていた。彼女の周囲には、おびただしい花のかずかずが、とくにらんの花、薔薇ばらの花が多く、さらにまたあじさい、カーネーション、椿つばきの花々があり、桃やはたんきょうの長い枝に咲いた花々、いくかかえあるとも知れぬジャスミンの花々があった。クロエの胸部はむきだしになっていて、右の乳房の琥珀色こはくいろにはきわだって大きな水いろの花冠がくっきりと見えていた。彼女の頰骨にはうっすら赤みがさし、眼はぎらぎらしながらもどことなく干乾ひからびた感じで、髪の毛は重みがなく絹糸のように電気を帯びていた。

「風邪をひくわよ!」とアリーズは言った。

「なにか上に掛けたらどう……」

「だめよ」クロエはささやいた。「こうしていなくちゃ。これが療法なのよ」

「ほんとにみごとなお花ばかり」とアリーズは言った。そしてクロエを笑わせようと、おもしろそうに言葉をつづけた。「いまやコランは破産しつつあるってわけね」

「そうなの」クロエはささやいた。弱々しい微笑だった。

「あのひと、仕事さがしてるの」と彼女は小声で言った。「それで今うちにいないの」

「どうしてそんな話し方をするのよ」とアリーズはたずねた。

「のどが乾いてるの……」彼女は吐息をついて言った。

「一日にさじ二杯しか飲めないってほんとなの?」とアリーズは言った。

「ほんと……」とクロエは溜息ためいきをついた。

 アリーズはクロエに身をかがめて接吻せつぷんした。

「もうすぐよくなるわよ」

「そうね」とクロエは言った。「あたし明日ニコラと出ていくのよ、車で」

「コランはどうするの」アリーズはきいた。

「残るのよ。彼は働かなきゃならないの。コランにはもう大してお金がないの……」

「どうしてなの」

「花がたくさん必要なの」

「あれは大きくなってくるの?」アリーズはつぶやいた。

「睡蓮のこと?」クロエはうんと小さな声で言った。「あれは出ていってしまいそうよ」

「それならうれしいでしょ」

「ええ。でものどがからからだわ」

「どうして電燈でんとうをつけないの。ここはとても薄暗いわよ」

「すこし前からよ」とクロエは言った。「すこし前からなの。どうもしようがないの。やってみて」

 アリーズはスイッチを押してみた。わずかな光のかさが電燈のまわりに浮び出た。

「電燈はみな死んでいるのよ」とクロエは言った。「壁がみな縮んで狭くなってきているの。それにここの窓も、そうよ」

「ほんと?」

「よくごらんなさいよ……」

 部屋全体をぐるりと一周していた大きなガラス張りの出窓が今ではもう四隅をまるくした長方形の一対いつついでしかないのだった。出窓の中央には、窓の両端を結びあわせて太陽に通せんぼをする一種の花梗かこうのようなものができているのだ。天井は目だって低くなっていて、コランとクロエのベッドを置いてあった台座は床にぐっと近づいていた。

「どうしてこんなふうになったのかしら」とアリーズはたずねた。

「わからないのよ……」とクロエは言った。「おや、ちょっと明るくなったわ」

 黒ひげのハツカネズミが、台所の廊下のタイルの小さな破片かけらを運んできたところなのだが、その破片が生き生きした微光を放っているのだった。

「あんまり暗くなるとじきに、あの子がちょっぴり持ってきてくれるのよ」とクロエは説明した。

 枕もとのテーブルに分捕品を置いた小ちゃな生き物を彼女はでてやった。(pp. 182-185)

②伊東守男訳

 クロエはベッドに横たわっていた。モーヴ色の寝間きを着、上からピケ織のサテンの軽いオレンジがかったベージュ色の長い部屋着をはおっていた。彼女は周りをグルッと花に取り囲まれており、中でも蘭とバラが多かった。その他にもあじさいとかカーネーションとか椿とか、桃やアーモンドの花がついた長い枝やいく抱えものジャスミンなどもあった。胸ははだけており、右の乳房のアンバー色の上に青い大きな花冠が浮き出ていた。頰骨のところはポーと赤く、眼は輝いていたが乾いていた。そうして彼女の軽い髪の毛はシルクの糸のように電気を帯びていた。

「風邪をひいちゃうわよ。布団をかけていなさいよ」

「そうはいかないのよ。これも治療法の一つだから」

「まあなんてきれいな花なんでしょう。きっとコラン、破産しちゃうわ」とクロエを笑わせようと思って、わざと陽気に言う彼女。

「そうなのよ」と口ごもるクロエ。彼女は見るも哀れな微笑を浮かべた。

「彼、仕事を探してるのよ」と小さな声でクロエ。「だから、いまいないのよ」

「なんで、そんな口調でしゃべるのよ」と尋ねるアリーズ。

「喉が渇いたのよ……」とささやくように言う彼女。

「本当に一日に匙に二杯しか水を飲んじゃいけないの」とアリーズ。

「そうよ」とため息をつくクロエ。

 アリーズが彼女の方にこごむとキスをした。「すぐ治るわよ」

「そうね。明日ニコラと一緒に車で発つのよ」

「で、コランは」

「彼は残るのよ。働かなくちゃならないもの。可哀相に……もうお金がなくなっちゃったのよ」

「あら、どうして」と尋ねるアリーズ。

「花のせいよ……」とクロエ。

「また大きくなっちゃったの」と口ごもるアリーズ。

「睡蓮のこと」と小声で言うクロエ。「睡蓮は枯れてしまいそうよ」

「そう、それじゃよかったじゃないの」

「そうね。だけど喉が渇いて」

「なぜ明りをつけないの。ずいぶん暗いじゃないの」

「しばらく前からそうなのよ。しばらく前からね。どうしようもないわ。電気をつけてみて」

 アリーズがスイッチを入れると、ランプの周りがわずかにポーと明るくなった。

「電気の光はもう瀕死なのよ。壁はせばまってきているわ。窓もよ」

「本当に」と尋ねるアリーズ。

「見てごらんなさいよ」

 壁の一面全体に当っている大きなガラス窓は、いまではもう端が丸くなった二つの長方形の矩形にすぎなくなっていた。一種の花梗かこうのようなものがガラスの真中にでき、二つを結び合わし、太陽を遮っているのだ。天井ははっきりと、それとわかるほど下がってきており、コランとクロエのベッドが置いてあった台は地面から遠くないところに近づいてきていた。

「なんでこんなふうになっちゃったのよ」と尋ねるアリーズ。

「わかんないわ。ほら、すこし明るくなったでしょう」

 真黒な口髭をしたハツカネズミが一匹、台所の廊下のタイルの破片を一枚持ってやって来、お陰で周りがポーと明るくなった。

「あんまり暗くなりすぎると、光を持って来てくれるのよ」と説明するクロエ。

 彼女がネズミを撫でてやると、ネズミは枕元のテーブルの上に、持って来たものを置いて行った。(pp. 183-186)

③野崎歓訳

 クロエはベッドに横になっていた。薄紫の絹のパジャマに、薄いオレンジがかったベージュのサテンキルトで仕立てた、長いドレッシングガウンを着ていた。

 彼女のまわりには山ほど花があり、とりわけ蘭やバラが多かった。アジサイ、カーネーション、椿、長い枝に咲いた桃の花やアーモンドの花、そしてジャスミンの花も何抱え分もあった。彼女は胸元をはだけていて、琥珀色をした右の乳房が、青い花の大きな花冠と鮮やかなコントラストを見せていた。両頰はうっすらピンク色を帯び、目はきらきらと輝いていたが、瞳に潤いがなかった。髪は絹糸のように軽やかで電気を帯びていた。

「風邪を引いちゃうわよ!」アリーズは叫んだ。「ちゃんと着てなくちゃ」

「違うのよ」クロエがつぶやいた。「こうしておかなければならないの。治療法なのよ」

「なんてきれいな花でしょう!」アリーズがいった。「これじゃコランは破産しちゃうわね」アリーズはクロエを笑わそうとして陽気に付け加えた。

「ええ」とクロエはささやき、寂しそうな微笑みを浮かべた。

「あの人、仕事を探しているのよ」彼女は小さな声でいった。「だからいまいないの」

「どうしてそんな風に話すの?」アリーズが尋ねた。

「喉が渇いてるの……」クロエは声をひそめていった。

「毎日、本当にスプーン二さじ分の水しか飲んでいないの?」

「そうよ……」クロエはため息をもらした。

 アリーズは彼女の上に身をかがめてキスした。

「じきに治るわよ」

「ええ。わたし、明日ニコラと車で旅立つの」

「それで、コランは?」アリーズが尋ねた。

「あの人は残るわ。仕事をしなければならないから。かわいそうなコラン……。もうドゥブルゾンがなくなってしまったの……」

「どうして?」

「花にお金がかかるから……」

「あれ、大きくなっているの?」アリーズが小声で訊いた。

「睡蓮?」クロエはほんのささやき声でいった。「いいえ。もうすぐ出ていってくれると思うわ……」

「それならよかったじゃない」

「ええ。でもわたし、喉が渇いて」

「どうして明かりをつけないの? この部屋、とっても暗いわよ」

「しばらく前からこうなの。どうしようもないのよ。やってごらんなさい」

 アリーズはスイッチをいじってみたが、ランプのまわりにかすかな光の輪が生じるばかりだった。

「ランプが死にそうなの」クロエがいった。「壁も縮んでいるわ。そしてここの窓もそうよ」

「本当?」

「ごらんなさい……」

 壁いっぱいの幅に広がっていた大きな窓ガラスは、二個の細長い長方形に分かれてしまい、角も丸くなっていた。ガラスの真ん中に植物の茎のようなものが生えて上下の辺をつなぎあわせ、日の光が入ってくる邪魔をしていた。天井はいちじるしく低くなり、コランとクロエのベッドがのっていた台座も床からさほど高くはなくなっていた。

「どうしてこんなことが起こるのかしら?」アリーズが尋ねた。

「わからない……」クロエがいった。「ほら、少し光が来たわ」

 黒い口ひげを生やしたハツカネズミが入ってきたところだった。ハツカネズミの運んできたキッチンの色つきタイルの小さなかけらが、強力な光を放っていた。

「あんまり暗くなってしまうと、この子が少し運んできてくれるのよ」クロエが説明した。

 ハツカネズミは獲物を枕元のテーブルに置き、クロエはその頭をでてやった。(pp. 221-224)

*1:一冊選ぶなら③野崎歓訳。ややあっさりしすぎているきらいもあるが、圧倒的に読みやすく、注も充実している。①曾根元吉訳は、直訳的すぎたり、正確さに欠けたりする部分もあるが、ニコラの口調の魅力は捨てがたい。

*2:引用は Boris Vian, L’Écume des jours (Paris: Pauvert, 1996) による。

世界文学全集のためのメモ 3 『愛、ファンタジア』 アシア・ジェバール

フランス語編 2

Assia Djebar
アシア・ジェバール
1936-2015

L’Amour, la fantasia
『愛、ファンタジア』
1985

日本語訳
『愛、ファンタジア』石川清子訳、みすず書房、2011年

Il faut partir, l’odeur est trop forte. Le souvenir, comment s’en débarrasser ? Les corps exposés au soleil ; les voici devenus mots. Les mots voyagent. Mots, entre autres, du rapport trop long de Pélissier ; parvenus à Paris et lus en séance parlementaire, ils déclenchent la polémique : insultes de l’opposition, gêne du gouvernement, rage des bellicistes, honte éparpillée dans Paris où germent les prodromes de la révolution de 48…

Canrobert, lieutenant-colonel en garnison dans ce même Dahra, livrera son jugement plus tart :

« Pélissier n’eut qu’un tort : comme il écrivait fort bien et qu’il le savait, il fit dans son rapport une description éloquente et réaliste, beaucoup trop réaliste, des souffrances des Arabes… »

Laisson là la controverse : le bruit à Paris autour des morts du rapport serait-il simple péripétie politique ? Pélissier, grâce à son écriture « trop réaliste », ressuscite soudain sous mes yeux les morts de cette nuit du 19 au 20 juin 45, dans les grottes des Ouled Riah.

Corps de la femme trouvée au-dessous de l’homme qui la protégeait du bœuf hurlant. Pélissier, pris par le remords, empêche cette mort de sécher au soleil, et ses mots, ceux d’un compte rendu de routine, préservent de l’oubli ces morts islamiques, frustrés des cérémonies rituelles. Un siècle de silence les a simplement congelés.

Asphyxiés du Dahra que les mots exposent, que la mémoire déterre. L’écriture du rapport de Pélissier, du témoignage dénonciateur de l’officier espagnol, de la lettre de l’anonyme troublé, cette écriture est devenue graphie de fer et d’acier inscrite contre les falaises de Nacmaria. (pp. 109-110) *1

 立ち去らねばならない。腐臭は強烈だから。だが、記憶はどのように追い払えよう。太陽にさらされた死人の身体。身体は言葉になる。そして言葉は移動する。とりわけ、ペリシエの長い報告書の言葉はパリに到達し、議会で読まれ、論戦を引き起こす。罵る野党、困惑する政府、激怒する好戦論者――パリ中に恥と不名誉がばらまかれ、四八年の革命〔七月王政を倒し第二共和政の道を開いた二月革命〕の兆しが芽生えようとしていた…

 同じダフラの駐屯部隊の中佐カンロベールは後にこう判断する。

 「ペリシエは間違いを犯した。名文家の彼自身よく知っているように、報告書に書かれたアラブ人の苦悶のさまは表現力豊かで、あまりにもリアルにすぎる…」

 論争は放っておこう。報告書の死者が引き起こしたパリでの騒ぎは、政局の変化だけだったろうか。ペリシエの「あまりにもリアル」な文のおかげで、四五年六月十九日から二〇日の夜にかけて、ウレド・リヤーフの洞窟の死者は、突然私の目の前で生き返る。

 女の身体のうえに男が覆いかぶさっている。男は、鳴き狂う牛から女を守ろうとした。ペリシエは良心の呵責ゆえに、この女の屍体を日にさらすことはしなかった。それを記す彼の言葉はいつもの報告書の文体だが、慣例の儀式の機会を奪われたイスラーム教徒の死者たちを忘却から守っている。一世紀の沈黙が死者たちを凍らせている。

 言葉があばき、記憶が掘り起こすダフラの窒息死した人たち。ペリシエの報告書、スペイン人士官の告発的証言、動揺した匿名兵士の手紙――これらの書きものは、ナクマリーヤの断崖を鉄とはがねで引っ搔いて書く文字となる。(pp. 102-103)

Mon premier émoi religieux remonte à plus loin : dans le village, trois ou quatre années de suite, le jour de la « fête du mouton » débute par la « complainte d’Abraham ».

Aubes d’hiver frileuses, où ma mère, levée plus tôt que d’habitude, allumait le poste de radio. Le programme arabe comportait invariablement, en l’honneur de la fête, le même disque : un ténor célèbre chantait une mélopée dont une dizaine de couplets mettait en scène Abraham et son fils.

Cette écoute, dont la régularité annuelle a scandé mon jeune âge, modela, je crois, en moi une sensibilité islamique.

Dans la pénombre de l’aurore, je me réveille sous la tendresse de la voix du chanteur, un ténor que Saint-Saëns finissant sa vie à Alger, avait encouragé, alors qu’il débutait comme muezzin. L’artiste, déroulant les couplets, interprétait tous les personnages : Abraham qui, dans un rêve lancinant ses nuits, voyait l’ange Gabriel exiger, au nom de Dieu, le sacrifice du fils ; l’épouse d’Abraham ignorant que son garçon, paré de sa djellaba de fête, était emmené à la mort ; Isaac lui-même qui avance dans la montagne avec innocence, étonné que le corbeau sur la branche lui parle de trépas…

Suspendue au drame biblique qui commençait, je ne sais pourquoi ce chant me plongeait dans une émotion si riche : la progression du récit à la fin miraculeuse, chaque personnage dont la parole rendait la présence immédiate, le poids de la fatalité et de son horreur qui pesait sur Abraham, contraint de voiler sa peine… Autant que la tristesse du timbre (mon corps, entre les draps, se recroquevillait davantage), la texture même du chant, sa diaprure me transportaient : termes rares, pudiques, palpitants d’images du dialecte arabe. Cette langue que le ténor savait rendre simple, frissonnait de gravité primitive.

La femme d’Abraham, Sarah, intervenait dans le couplet, comme ma mère, quand elle nous décrivait ses joies ou ses craintes, ses pressentiments. Abraham aurait pu être mon père, qui, lui, ne parlait jamais pour livrer son émotion, mais qui, me semblait-il, aurait pu… L’émoi me saisissait aussi devant la soumission du fils ; sa vénération, sa délicatesse dans le poids de la peine et cette perfection même me plongeaient dans un autre âge, à la fois plus naïf et plus grand :

 

« Puisque tu devais me tuer, ô mon père,
Pourquoi ne me l’as-tu pas dit ?
J’aurais pu étreindre ma mère
à satiété !…
Prends garde, en te baissant pour me sacrifier,
de ne pas tacher, de mon sang, le pan de ta toge !
Ma mère, quand tu lui reviendras, risquerait
de comprendre trop vite ! »

 

J’aimais la fraîcheur du chant d’Isaac qui déroulait en strophes lentes la dramaturgie du récit. Palpitation de cette musique…

A la même époque, le récit d’une tante qui débitait en multiples variations une biographie du Prophète, me rapprocha de cette émotion…

Le Prophète, au début de ses visions, revenait de la grotte tellement troublé qu’il « en pleurait », affirmait-elle, troublée elle-même. Lalla Khadidja, son épouse, pour le réconforter, le mettait « sur ses genoux », précisait la tante, comme si elle y avait assisté. Ainsi, concluait-elle toujours de la même manière, la première des musulmanes et des musulmans était une femme, peut-être même avant le Prophète lui-même, qu’Allah l’ait en sa sauvegarde ! Une femme avait adhéré à la foi islamique, historiquement la première, « par amour conjugal », affirmait ma parente.

D’une voix triomphante elle faisait revivre maintes fois cette scène ; j’avais dix, onze ans peut-être. Auditrice réticente soudain, car je n’avais vu de manifestation d’amour conjugal que dans la société européenne :

— Est-ce donc cela un Prophète ? m’offusquais-je. Un homme que sa femme met sur ses genoux ?

La tante avait un sourire discrètement attendri… Des années plus tard, je m’attendris à mon tour : pour un autre détail qu’elle rapportait. Bien après la mort de Khadidja, Mohamed ne pouvait dominer son trouble en une circonstance particulière : quand la sœur de sa femme morte approchait de la tente, le Prophète, bouleversé, disait que la sœur avait le même bruit de pas que la défunte. A ce son qui ressuscitait Khadidja, le Prophète se retenait mal de pleurer…

L’évocation de ce bruit de sandales me donne-rait par bouffées un désir d’Islam. Y entrer comme en amour, un bruissement griffant le cœur : avec ferveur et tous les risques du blasphème. (pp. 241-243)

 私が初めて宗教的感情を経験したのはずっと前に遡る。村にいた頃、三、四年続けて「羊の祭」が「アブラハムの哀歌」で始まったことがある。

 冬の寒い夜明け、いつもより早く起きた母がラジオをつける。アラビア語の番組は祭日を記念して、変わることなく同じ曲をかけていた。名高いテノール歌手が十番ほどもあるアブラハムとその息子の物語の歌を歌う。

 少女時代、毎年この曲を聴くことでイスラームに対する感性が培われていったのだと思う。

 夜明けの薄明りのなか、歌手の甘い声で目が覚める。そのテノール歌手は礼拝呼びかけ人ムアッジンを始めた頃、アルジェで生涯を終えようとしていたサン゠サーンスに見出されて歌手になったという。歌の番ごとに、歌手は登場人物をすべて歌ってみせた。アブラハムは夜毎彼を悩ます夢を見るが、ある夢のなかで、天使ガブリエルが神の名において息子を犠牲に捧げよと命じる。アブラハムの妻は、祭り用のジェラバ〔広い袖とフード付きのゆったりした外衣〕を着た息子が死へと導かれるとはつゆとも知らない。イサクは無邪気に山道を行き、途中、木の枝のカラスに死を告げられてびっくりする…

 この聖書物語に私はじっと耳を傾け、この歌を聴くとなぜだか分からないが深い感動に浸されるのだった。物語が少しずつ進み、そして奇蹟による結末。まるで実在するかのようなそれぞれの人物の言葉。運命の重さと苦悩をひた隠さねばならないアブラハムにのしかかる恐怖… 悲しげな声の響き(私の身体はシーツのなかでよりいっそう縮こまった)、歌詞の筋立て、その多彩さに私はうっとりした。方言アラビア語のあまり使わない言い回し、控えめな言葉、光景が目に浮かぶような表現… テノール歌手がいとも簡素に歌うこの豊かな言語は、素朴な荘重さを響きわたらせていた。

 歌のところどころに登場して喜びや恐れ、悪い予感を語るアブラハムの妻サラは、さながら私の母といったところか。するとアブラハムは父で、感情にまかせる言葉は決して発しない。だが私が思うに彼だってやはり… 私は服従する息子にも心を揺り動かされた。苦悩の重圧のなかで見せる父への敬意、繊細なやさしい心。その完璧さはもっと素朴でもっと偉大な時代へと私を導いていった。

 私をあやめねばならないなら、ああ、お父様、

 なぜ、それをおっしゃらなかったのです?

 お母様を力のかぎり、嫌というほど

 抱きしめられたでしょうに…

 私を犠牲に献げるとき、お気をつけください、

 長衣の裾を私の血で汚さないように!

 お父様が家に戻られたとき、お母様は

 一瞬のうちに気づいてしまうでしょうから…

 

 とりわけ、物語の劇的展開をゆっくり進めていくイサクの歌詞が好きだった。この部分を聴くと胸が高鳴ってくる…

 同じ時期に、叔母の一人が大預言者ムハンマドの生い立ちをいろいろな語り口で話してくれたが、この時も似たような感情の昂りを覚えた…

 幻を見たばかりの大預言者は洞窟から戻ると、困惑のあまり「泣いてしまった」と、叔母はきっぱり言ったが、叔母もまた混乱していたのだろう。預言者の妻、ラッラ・ハディージャは夫を慰めようとその頭を「膝のうえに」のせた、と実際に見たかのように話したのだった。こんなふうに、いつも同じやり方で叔母はお話を終えた。一番最初のイスラーム教徒は女だった、おそらくムハンマド以前にもそうだった、どうぞアッラーの庇護がありますように、と! 歴史上初めて、「夫婦の愛の絆によって」女の人がイスラームの信仰に従ったのだと、いつも言っていた。

 勝ち誇ったような声で、叔母はこの場面を何度も何度も話してくれた。私は十歳か十一歳くらいだった。しかし突然、私は熱中できなくなってしまう。というのも、夫婦の愛情を表に出すなど西欧にしかあり得ないことだから。

 「預言者ってそんな人なの?」私はむっとして聞いた。「奥さんの膝のなかに頭をうずめるような男の人なの?」

 叔母は控えめにやさしく微笑んだ… 数年後、叔母がしてくれた別の話で、私もまた微笑むことになる。ハディージャに先立たれて数年後、ムハンマドはある状況のなかで不安を感ぜずにはいられなかった。死んだ妻の妹が彼の天幕に近づいてきた時、その足音も妻と同じだと気づいておおいに取り乱した。それはハディージャを思い出させた。大預言者はまたもや、涙を抑えることができなかった…

 叔母の話のこの履物の音を想像すると、私のなかに突発的にイスラームに対する欲求がわいてくるのだった。まるで恋愛のなかへ入っていくような、心を引っ搔くようなこのざわめき。想像すると胸が熱くなり、どんな冒瀆を冒してもよいと思うくらいに。(pp. 244-247)

Je me souviens combien ce savoir coranique, dans la progression de son acquisition, se liait au corps.

La portion de verset sacré inscrite sur les deux faces de la planche de noyer, devait, au moins une fois par semaine, après la récitation de contrôle de chacun, être effacée. Nous lavions la planche à grande eau comme d’autres lavent leur linge ; le temps qu’elle sèche semblait assurer un délai à la mémoire qui venait de tout avaler…

Le savoir retournait aux doigts, aux bras, à l’effort physique. Effacer la tablette, c’était comme si, après coup, l’on ingérait une portion du texte coranique. L’écrit ne pouvait continuer à se dévider devant nous, lui-même copie d’un écrit censé immuable, qu’en s’étayant, pause après pause, sur cette absorption…

Quand la main trace l’écriture-liane, la bouche s’ouvre pour la scansion et la répétition, pour la tension mnémonique autant que musculaire… Monte la voix lancinante des enfants qui s’endorment au sein de la mélopée collective.

 

Anonner en se balançant, veiller à l’accent tonique, à l’observance des voyelles longues et brèves, à la rythmique du chant ; les muscles du larynx autant que du torse se meuvent et se soumettent à la fois. La respiration se maîtrise pour un oral qui s’écoule et l’intelligence chemine en position d’équilibriste. Le respect de la grammaire, par la vocalise, s’inscrit dans le chant.

Cette langue que j’apprends nécessite un corps en posture, une mémoire qui y prend appui. La main enfantine, comme dans un entraînement sportif, se met, par volonté quasi adulte, à inscrire. « Lis ! » Les doigts œuvrant sur la planche renvoient les signes au corps, à la fois lecteur et serviteur. Les lèvres ayant fini de marmonner, de nouveau la main fera sa lessive, procédera à l’effacement sur la planche — instant purificateur comme un frôlement du linge de la mort. L’écriture réintervient et le cercle se referme.

Quand j’étudie ainsi, mon corps s’enroule, re-trouve quelle secrète architecture de la cité et jusqu’à sa durée. Quand j’écris et lis la langue étrangère : il voyage, il va et vient dans l’espace subversif, malgré les voisins et les matrones soupçonneuses ; pour peu, il s’envolerait !

 

Ces apprentissages simultanés, mais de mode si différent, m’installent, tandis que j’approche de l’âge nubile (le choix paternel tranchera pour moi : la lumière plutôt que l’ombre) dans une dichotomie de l’espace. Je ne perçois pas que se joue l’option définitive : le dehors et le risque, au lieu de la prison de mes semblables. Cette chance me propulse à la frontière d’une sournoise hystérie.

J’écris et je parle français au-dehors : mes mots ne se chargent pas de réalité charnelle. J’apprends des noms d’oiseaux que je n’ai jamais vus, des noms d’arbres que je mettrai dix ans ou davantage à identifier ensuite, des glossaires de fleurs et de plantes que je ne humerai jamais avant de voyager au nord de la Méditerranée. En ce sens, tout vocabulaire me devient absence, exotisme sans mystère, avec comme une mortification de l’œil qu’il ne sied pas d’avouer… Les scènes des livres d’enfant, leurs situations me sont purs scénarios ; dans la famille française, la mère vient chercher sa fille ou son fils à l’école ; dans la rue française, les parents marchent tout naturellement côte à côte… Ainsi, le monde de l’école est expurgé du quotidien de ma ville natale tout comme de celui de ma famille. A ce dernier est dénié tout rôle référentiel.

Et mon attention se recroqueville au plus profond de l’ombre, contre les jupes de ma mère qui ne sort pas de l’appartement. Ailleurs se trouve l’aire de l’école ; ailleurs s’ancrent ma recherche, mon regard. Je ne m’aperçois pas, nul autour de moi ne s’en aperçoit, que, dans cet écartèlement, s’introduit un début de vertige. (pp. 259-261)

 私は想い出す。コーランを順々に覚えていくことは何と身体に結びついていることか。

 少なくとも一週間に一度、胡桃材の書板の両面に聖なる章句の一部が書かれ、それを暗唱したか教師が確認したあと、その章句を消す。大人が下着や敷布を洗うように、私達は書板をたっぷりの水で洗う。板が乾くまでの時間は、とりあえず吞み込んだものをしっかり自分のものにする消化の時間のように思えた…

 身体を使うことで知識は指に、腕にしみこんでいく。書板を消すことは、口に入れたコーランの一部分をあとからゆっくり嚥下するようなものだ。コーランはそれ自体不変と考えられている書きものの写しだが、一度休んだらまた休みを置きゆっくり身体に浸透させることで、初めて私たちの前にその全体が明らかになっていくのだろう…

 蔓草のような文字を手がたどるとき、口は何度も音節を区切って発音し、記憶力と筋力の両方を緊張させる… 集団で繰り返す単調な旋律のさなかで、まどろみを始める子どもたちの執拗な声が上昇していく。

 

 たどたどしく章句を読みあげながら身体を揺らしバランスをとる。抑揚の強弱、長母音と短母音の区別、朗唱のリズムに気を配る。喉と上半身の筋肉は動くと同時に意志に従う。息づかいは口から出る言葉のために抑制され、知性の獲得は綱渡り師の姿勢で少しずつ先に進んでいく。

 私が学ぶこの言語は、意識的に姿勢を作る身体とその身体に支えられる記憶を必要とした。子供の手はスポーツの練習時のように大人と同じ意志をもって文字を書き始める。「め!」すると書板のうえで動く手が、同時に誦み手でもあり書き手でもある身体に文字を送り返す。つぶやき終えた唇を閉ざすと、手は再び板を洗い文字を消す――それはそっと屍衣に触れるような浄めのひととき。そしてまた文字が書かれ、円環は閉ざされる。

 こんなふうにしてコーランの言葉を学習するとき、私の身体は内部に螺旋を描き、何と神秘にみちた都市の構築物を、堅牢に聳える建築を見出すことか。外国語を読み書きするときには身体は旅をし、隣人や疑い深い女たちなどお構いなしに秩序を破壊する空間を行ったり来たりする。何かのはずみに飛んでいってしまいそうだ!

 

 これら二つの言語はその習得方法をまったく違えて同時進行しながら私のなかに根を下ろしていったが、年頃になるにつれて空間の二分割を経験することになる(私の場合、影よりも光を選ぶ父の選択がそれを解決した)。最終的な決定が関わっているなどとは思ってもいなかった。同じ年頃の娘たちが閉じ込められる牢獄のかわりに外部と危険を選んだのだ。この可能性は陰険なヒステリーすれすれまで私を追いつめていった。

 外ではフランス語を書き、話す。発する言葉にはいかなる生身の現実も反映されない。一度も見たことのない鳥の名を覚え、木の名を習ってもその木だと実際に分かるのに十年以上もかかった。地中海の向う側に行ってはじめてその匂いを嗅いだ花や草の名が何とたくさんあったことか。この意味で、どんな語彙も私にとっては欠如となり、謎など一つもないエキゾチシズムであり、他言すべきではない眼への屈辱のようなものを感じていた… 子どもの絵本の情景、絵のなかの子どもたちの姿は純然たる絵空事以外の何物でもなかった。フランス人の家庭の母親が娘や息子を学校に迎えに来る、フランスの町の通りを両親がごく自然に並んで歩く… こんなふうに学校の世界は、私の生まれた町の日常から、そして私の家族の日常から削除されてしまった。言葉が現実の何かを指すという役割が否認されてしまうのだ。

 そして私の意識は最も奥深い影のなか、アパルトマンの外へ出ることのない母のスカートにぴったりくっついて縮こまっていた。それ以外の他所に学校という活動の場があった。それ以外の場所に私の追求するもの、私のまなざしは定まっていった。この乖離が裂け目となって眩暈が始まるなどと私は、そして周囲の人間の誰も気づかなかった。(pp. 263-266)

Après cinq siècles d’occupation romaine, un Algérien, nommé Augustin, entreprend sa biographie en latin. Parle de son enfance, déclare son amour pour sa mère et pour sa concubine, regrette ses aventures de jeunesse, s’abîme enfin dans sa passion d’un Dieu chrétien. Et son écriture déroule, en toute innocence, la même langue que celle de César, ou de Sylla, écrivains et généraux d’une « guerre d’Afrique » révolue.

La même langue est passée des conquérants aux assimilés ; s’est assouplie après que les mots ont enveloppé les cadavres du passé… Le style de saint Augustin est emporté par l’élan de sa quête de Dieu. Sans cette passion, il se retrouverait nu : « Je suis devenu à moi-même la contrée du dénuement ». Si cet amour ne le maintenait pas en état de transe jubilatoire, il écrirait comme on se lacère !

 

Après l’évêque d’Hippone, mille ans s’écoulent au Maghreb. Cortège d’autres invasions, d’autres occupations… Peu après le tournant fatal que représente la saignée à blanc de la dévastation hilalienne, Ibn Khaldoun, de la même stature qu’Augustin, termine une vie d’aventures et de méditation par la rédaction de son autobiographie. Il l’intitule « Ta’arif », c’est-à-dire « Identité ».

Comme Augustin, peu lui importe qu’il écrive, lui, l’auteur novateur de « l’Histoire des Berbères », une langue installée sur la terre ancestrale dans des effusions de sang ! Langue imposée dans le viol autant que dans l’amour…

Ibn Khaldoun a alors près de soixante-dix ans ; après un face à face avec Tamerlan — sa dernière aventure —, il s’apprête à mourir dans un exil égyptien. Il obéit soudain à un désir de retour sur soi : le voici, à lui-même, objet et sujet d’une froide autopsie.

 

 

Pour ma part, tandis que j’inscris la plus banale des phrases, aussitôt la guerre ancienne entre deux peuples entrecroise ses signes au creux de mon écriture. Celle-ci, tel un oscillographe, va des images de guerre — conquête ou libération, mais toujours d’hier — à la formulation d’un amour contradictoire, équivoque.

Ma mémoire s’enfouit dans un terreau noir ; la rumeur qui la porte vrille au-delà de ma plume. « J’écris, dit Michaux, pour me parcourir. » Me parcourir par le désir de l’ennemi d’hier, celui dont j’ai volé la langue…

L’autobiographie pratiquée dans la langue adverse se tisse comme fiction, du moins tant que l’oubli des morts charriés par l’écriture n’opère pas son anesthésie. Croyant « me parcourir », je ne fais que choisir un autre voile. Voulant, à chaque pas, parvenir à la transparence, je m’engloutis davantage dans l’anonymat des aïeules !

 

Une constatation étrange s’impose : je suis née en dix-huit cent quarante-deux, lorsque le commandant de Saint-Arnaud vient détruire la zaouia des Beni Ménacer, ma tribu d’origine, et qu’il s’extasie sur les vergers, sur les oliviers disparus, « les plus beaux de la terre d’Afrique », précise-t-il dans une lettre à son frère.

C’est aux lueurs de cet incendie que je parvins, un siècle après, à sortir du harem ; c’est parce qu’il m’éclaire encore que je trouve la force de parler. Avant d’entendre ma propre voix, je perçois les râles, les gémissements des emmurés du Dahra, des prisonniers de Sainte Marguerite ; ils assurent l’orchestration nécessaire. Ils m’interpellent, ils me soutiennent pour qu’au signal donné, mon chant solitaire démarre.

 

La langue encore coagulée des Autres m’a enveloppée, dès l’enfance, en tunique de Nessus, don d’amour de mon père qui, chaque matin, me tenait par la main sur le chemin de l’école. Fillette arabe, dans un village du Sahel algérien… (pp. 300-302)

 ローマの占領から五世紀後、アウグスティヌスという名のアルジェリア人はラテン語で自伝を試みる。幼少時を語り、母への愛、内縁の妻への愛を打ち明け、若い頃の無軌道な恋愛を悔やみ、最後にキリスト教の神への情熱に身を焼き尽くす。そして彼はまったく悪意なしにカエサルヤスッラ、さらに「アフリカ遠征」を記した作家や回想する将軍たちが用いるのと同じ言語を磨きあげる。

 同じ一つの言語が征服者から同化された人々へとわたってゆく。無数の言葉が過去の屍体の山に覆いをかけたあとは、言語はしなやかに変貌をとげる… 聖アウグスティヌスの文体には神の探求の情熱が取り憑いている。この激情なしでは彼は何もまとっていないと感じただろう。「自分は何もない窮迫の国土になってしまった」と。もし、この神への愛をもって法悦のトランス状態を保てないならば、彼は自らを引き裂くように苦悩のうちに書いただろう!

 

 ヒッポ・レギウスの司教のあと、千年の月日が北アフリカに流れる。侵略の、占領の隊列、また隊列… バヌー・ヒラールによる壊滅的な破壊に象徴される決定的転換期から少し経って、アウグスティヌスと比肩すべき人物、イブン・ハルドゥーンが自伝をしたため、数々の偉業達成と瞑想の生涯を閉じる。

 革新的書物『ベルベル人史』の著者にとって、アウグスティヌス同様、祖先の地に流血の果てに居座った者の言語で書くということは何ら問題ではなかった! 愛と強姦のうちに強いられた言語であろうとも…

 イブン・ハルドゥーンは齢七〇になろうとしていた。チムールとの会見後――これが彼の最後の功績となる――、故国から遠いエジプトの地で死を迎える。その時突然、自分自身に戻りたいという欲求に身を任せるのだ。自分で自分を冷徹に解剖してゆくことになる。

 

 

 私はと言うと、ごくありきたりな文を書いていても、その隙間に対立する二つの人々の昔の戦争の余韻が忍び込む。私の書きものはオシログラフのように、戦争のイマージュ――征服であっても解放であっても思いつくのはついこの前の戦争だ――から、矛盾したどっちつかずの愛の表現へと揺れ動く。

 私の記憶は黒い腐植土のなかに潜り込む。それはざわめきに乗り、手にするペンの届かないところに錐で穿つような穴をあける。「私は私自身を踏破するために書く」とミショーは言っている。昨日の敵の、私が言語を盗んだ相手の欲望をもって自分を踏み歩くこととは…

 敵の言語で記された自伝はフィクションのように織られてゆく。少なくとも、書くことによって息づいた死者たちが忘却されまいと、効かない麻酔をかけ続けている限りは。

 「私自身を踏破するために」と信じていたのに、結局はもう一枚の別のヴェールを選んでいるだけだ。人の眼に見えない透明さを獲得しようとして、歩けば歩くほど祖母たちの無名の深みに吞み込まれてゆく!

 

 奇妙な事実を確認しなくてはならない。私は「一八四二年」に生まれた。サンタルノー指揮官が私の出身部族、ベニ・メナーセルの修道場ザーウィヤを破壊しに来て、そこで今はない果樹園やオリーヴの林にうっとりしながら、「アフリカの地で最も美しいところ」と兄への手紙に記した時に。

 この焼き討ちの火の輝きのおかげで、一世紀後に私はハーレムから出ることができた。この火は今なお私を照らし、話す力を与えてくれる。自分の声を聞くまえに、ダフラの洞窟に閉じ込められた人々の、サント・マルグリット島の囚人の喘ぎとうめき声が聞こえてくる。彼らは欠くべからざるオーケストラの演奏を支えてくれる。私に呼びかけ励ましてくれる。そしてひとたび合図が出れば、私の独唱が始まるのだ。

 

 いまだ凝固したままの「他者」の言語は、幼年時代から私をネッソスのチュニックでくるんだ。それは、毎朝私の手をつなぎ学校へ行く父の愛の贈り物。アルジェリア、サヘルのある村に住むアラブ人の女の子…(pp. 308-310)

世界文学全集のためのメモ 2 『猫を抱いて象と泳ぐ』 小川洋子

日本語編 1

小川洋子
1962-

『猫を抱いて象と泳ぐ』
2008

フランス語訳
Yôko Ogawa, Le petit joueur d’échecs (traduit par Rose-Marie Makino-Fayolle, Arles: Actes Sud, 2015)

「あなたに初めてチェスを教えたのがどんな人物だったか、私にはよく分かりますよ」

 ある日、対局の途中で不意に老婆令嬢が口を開いた。喋り方は令嬢の名のとおり上品だったが、その声は彼が付けたあだ名の〝老婆〟に相応しく老いていた。

「駒の並べ方、動き方を教えてくれたのが誰だったか、それはその後のチェス人生に大きく関わってくると思いません? チェスをする人にとっての指紋みたいなものね」

 話を続けながら老婆令嬢は、ナイトをc3に跳ね出した。

「一度刻まれたら一生消えない、他の誰とも違うその人だけの印になるんです。自分では思うがままに指しているつもりでも、最初に持たせてもらった駒の感触からは逃れられない。それは指紋のように染み付いて、無意識のうちにチェス観の土台を成しているのよ。勇敢な指紋は勇敢なチェスを、麗々しい指紋は麗々しいチェスを、冷徹な指紋は冷徹なチェスを指すのです」

 リトル・アリョーヒンはビショップをb4へ展開した。

「あなたの先生はきっと耳のいい方ね。辛抱強くいつまでも、駒の声にじっと耳を傾けていられる方。自分の声よりも駒の声を大事にできる方。あなたのチェスを見ていれば分かります」

 そうなんです、マスターはそういう人だったんです、と思わずリトル・アリョーヒンは声を上げそうになり、慌てて両手を口で覆い、唇をきつく閉じた。レバーが傾き、〝リトル・アリョーヒン〟の左手がテーブルの縁でコツンと音を立てた。一瞬、ミイラのハッとする気配が暗闇の中にも伝わってきたが、老婆令嬢は平然とポーンをe3に進めた。

 マスターはいつまででも待つことができる人なんです。かしたりうんざりしたりしないんです。こんな僕の数歩先に立って、じっと待って、道しるべになってくれる人。俺はここにいるぞと決して叫ばない人。自分の気持は全部自分の中に押しとどめて、それがあふれ出さないようにおやつを一杯食べて、それで死んじゃった人……。リトル・アリョーヒンは産声を上げなかった時の唇をよみがえらせるようにして、言葉を呑み込んだ。

「人形にだってやはり、最初にチェスを教えてくれた人はいるはずよね」

 相変わらず老婆令嬢は落ち着いていた。リトル・アリョーヒンはズボンのポケットに右手を突っ込み、ポーンの駒袋を握り締め、気持が鎮まるのを待った。チェスをするたび、盤上にマスターの面影が映し出されていたなんて、自分の指にマスターが刻んでくれた指紋が残っているなんて、どうして今まで気づかなかったのだろうと彼は思った。甘い匂いに包まれた回送バスの中でマスターにチェスを教えてもらえた幸運を、神様に感謝した。

「できれば私も、あなたの先生のような方にチェスを教わりたかった。あなたのチェスは、相手にそう思わせるようなチェスね」

 リトル・アリョーヒンは老婆令嬢にマスターの話をしたかった。テーブルチェス盤やポーンや回送バスについて教えてあげたかった。老婆令嬢の先生がどんな人だったか、聞いてみたかった。しかし彼の願いは何一つ叶わないのだった。話し掛ける代わりにリトル・アリョーヒンは、ルークでa3のポーンを取った。ミイラのワンピースのひだが、さっと揺らめく音が聞こえた。

「まあ、何て凄い手なの」

 老婆令嬢はつぶやいた。(pp. 171-174)*1

― Je vois très bien le genre de personne qui vous a initié aux échecs, vous savez, lui dit-elle un soir au cours du jeu.

Son élocution, en véritable demoiselle, était distinguée, mais sa voix était bien celle d’une demoiselle, comme le garçon l’avait surnommée en son cœur.

― Vous ne croyez pas que celui qui vous a enseigné la manière d’aligner ou de déplacer les pièces influe grandement sur votre vie de joueur d’échecs ? Pour celui qui pratique les échecs, c’est comme une empreinte digitale.

Tout en continuant à parler, la vielle demoiselle fit bondir son cavalier en c3.

― Une fois qu’elle est imprimée, l’empreinte ne disparaît pas de toute la vie, elle est différent des autres et devient la marque unique de cette personne. Même si l’on pense jouer à sa fantaisie, on ne peut échapper à la sensation des pièces telle qu’on nous l’a fait découvrir. Cette empreinte gravée au fond de nous constitue à notre insu la base de notre idée des échecs. Courageuse, elle donne un jeu courageux, émouvante un jeu émouvant, et perspicace un jeu perspicace.

Le petit joueur d’échecs se lança avec le fou en b4.

― Votre professeur devait avoir une bonne oreille. Il était certainement capable d’écouter avec persévérance la voix des pièces. Il devait leur accorder plus d’importance qu’à sa propre voix. Je le sais à vous voir jouer.

C’est exact, le maître était ainsi, faillit crier le petit jouerur d’échecs, qui porta précipitamment ses mains à sa bouche en serrant les lèvres. Le triple levier s’inclina, la main gauche de “Little Alekhine” vint heurter le bord de la table. Sur le moment, il sentit dans l’obscurité le sursaut de Miira mais la vielle demoiselle imperturbable fit avancer le pion en e3.

Le maître est capable d’attendre indéfiniment. Il ne se précipite pas, ne se lasse pas. Debout à quelques pas de moi, il attend patiemment et c’est ainsi qu’il devient un repère. Il ne crie jamais pour montrer où il se trouve. Il garde tout ce qu’il ressent à l’intérieur de lui, mange beaucoup de choses sucrées pour ne pas se faire déborder et c’est pour cette raison qu’il est mort... Le petit joueur d’échecs ravala ses paroles en serrant les lèvres comme à sa naissance quand il avait été incapable de pousser son premier cri.

―Cette poupée a certainement été elle aussi initiée aux échecs.

La demoiselle était toujours aussi paisible. Le petit joueur d’échecs plongea la main dans la poche de son pantalon, serra le sac de pièces, attendit de se calmer. Chaque fois qu’il jouait aux échecs, l’ombre du maître planait sur l’échiquer, et le maître avait laissé son empreinte sur les doigts du garçon. Comment ne s’en était-il pas aperçu plus tôt ? Il remercia Dieu de lui avoir accordé le bonheur d’apprendre les échecs dans l’autobus saturé d’odeurs sucrées.

― Moi aussi j’aurais aimé, si cela avait été possible, apprendre les échecs avec votre professeur. Votre jeu est tel qu’il donne cette envie aux autres.

Le petit joueur d’échecs aurait bien voulu lui parler du maître, tout lui dire au sujet de la table d’échecs, Pion et l’autobus dans l’arrière-cour du dépôt. Il aurait voulu lui demander qui avait été son professeur. Mais aucun de ses souhaits ne pouvait être exaucé. Au lieu de lui parler, avec la tour il prit le pion en a3. Il perçut le mouvement vif de la robe de Miira.

― Eh bien, quel coup terrible ! murmura la vielle demoiselle. (pp. 157-159)

「ねえ、前から一度、聞いておきたいと思っていたんだけど……」

 紙ナプキンを白衣の胸元に引っ掛けながら総婦長さんは言った。

「もっと別なところでチェスを指してみたいと考えることはない?」

「別なところ、とは……」

「つまり、もっと強い人を相手にするってことよ」

 リトル・アリョーヒンはどう答えていいか分からず口ごもり、総婦長さんは勢いよくロールキャベツにかぶりついた。

「いつか来た、ほら、何とかっていう国際マスターみたいな人」

「ええ、でも……」

「だってここじゃあ、お年寄りとしかできないもの」

 総婦長さんは口をもぐもぐさせた。相変わらず白衣の中にはたっぷりと肉が詰まり、キャップは身体の一部のように頭と馴染んでいた。

「あなたなら相当高いレベルの試合にも当然出られる、って国際マスターが言ってたじゃない」

「入居者から何か苦情があったのでしょうか。僕のチェスについて……」

 心配になって彼は尋ねた。

「馬鹿ねえ。そんなわけないでしょう。ただ、もしあなたが物足りなく感じていたら気の毒だと思ったの。まだ若いんだし、人生最強の時をこんな山奥で……」

「物足りないなんて考えたこともありません」

 空のお盆を抱えた手に力を込め、慌てて彼は否定した。

「そう?」

 その間もずっと総婦長さんはロールキャベツを頰張っていた。トマトソースの匂いが二人の間に立ちこめていた。

「はい。世界のあらゆる場所に、チェスをやりたい人はいるんです。世界チャンピオンを決定する試合会場にも、町のチェス倶楽部にも、老人マンションにも、〝リトル・アリョーヒン〟の中にも。皆、自分に一番相応しい場所でチェスを指しているんです。ああ、自分の居場所はここだなあ、と思えるところで」

「身体のサイズに関係なく?」

「僕は小さいから人形に入っているわけじゃありません。チェス盤の下でしかチェスが指せないでいたら、いつの間にか小さくなっただけです。ずっと昔からチェス盤の下が僕の居場所なんです」

「なるほど……」

 総婦長さんはスプーンで皿の中をかき回し、しばらく視線を宙に漂わせて何か考えたあと、最後の一個のロールキャベツに取り掛かった。

「人形を出たら、きっと僕はチェスを指せませんよ。そういう構造になっているんです、頭も身体も。国際マスターとの対局はもちろん素晴らしい体験でした。でも僕にその素晴らしさを映し出して見せてくれるのは、盤上じゃなく、盤下なんです。僕はもう、盤の下からは出られません。いくら願ってもビショップが、斜め以外、真っ直ぐには動けないのと、あるいは、屋上に取り残された象が地面に降りてこられないのと、同じです」

「象?」

「はい、象です」

 すっかり部屋を出て行くタイミングを逃したうえに、余計なことを喋りすぎてしまった気がして、リトル・アリョーヒンはうつむいた。(pp. 345-348)

― Dites-moi, il y a une question que je voulais vous poser depuis longtemps... lui demanda-t-elle en accrochant la serviette en papier à sa blouse blanche. Vous n’avez jamais eu envie d’aller jouer aux échecs dans un autre endroit ?

― Un autre endroit ?...

― Je veux dire, de jouer avec des partenaires plus forts.

Ne sachant quoi répondre, il bredouilla, tandis que l’infirmière en chef attaquait avec entrain ses feuilles de chou farcies.

― Comme celui qui est venu un jour, vous vous souvenez ? Ce soi-disant maître international dont je ne me rappelle plus le nom.

― Oui, mais...

― Enfin, ici vous ne pouvez jouer qu’avec des viellards.

L’infirmière en chef remuait ses mâchoires avec conviction. Comme d’habitude, sa chair plantureuse débordait de sa blouse blanche et sa coiffe adhérait à sa tête comme si elle faisait partie de son corps.

― Le maître international n’a-t-il pas dit qu’un joueur tel que vous devait pouvoir tout naturellement participer à des tournois d’un niveau supérieur ?

― Avez-vous eu des réclamations ? Au sujet des échecs... lui demanda-t-il, inquiet.

― Non. Vous savez bien que non. Je pensais seulement que ce serait dommage si vous pensiez que le niveau est insuffisant. Vous êtes encore jeune, et au plus fort de votre vie, au fond de ces montagnes...

― Je n’ai jamais pensé que c’était insuffisant, l’interrompit-il précipitamment en mettant toute sa force dans ses mains qui serraient le plateau vide.

― Vraiment ?

Pendant ce temps-là, l’infirmière en chef avait toujours la bouche pleine de feuilles de chou farcies. Une odeur de sauce tomate s’élevait entre eux.

― Oui. Partout il existe des gens qui veulent jouer aux échecs. Dans les salles de tournois où l’on détermine qui sera le champion du monde, comme dans les clubs d’échecs en ville, les résidences seniors, dans “Little Alekhine” aussi. Chacun joue aux échecs à l’endroit qui lui convient. Là où il pense que c’est sa place.

― Indépendamment de sa taille ?

― Ce n’est pas à cause de ma taille que je rentre dans l’automate. Je ne pouvais jouer aux échecs ailleurs que sous une table, c’est ainsi que j’ai fini par ne pas grandir, c’est tout. Ma place a toujours été sous l’échiquier.

― Je vois...

L’infirmière en chef, tournant sa cuillère dans son assiette, resta pensive un moment, les yeux au ciel, avant de s’attaquer au dernier rouleau de chou.

― À l’extérieur de l’automate, je serais sans doute incapable de jouer aux échecs, vous savez. C’est ainsi depuis toujours, pour ma tête comme pour mon corps. Bien sûr, jouer une partie avec un maître international a été une expérience merveilleuse. Mais pour moi, le merveilleux était dessous, pas dessus. Il ne m’est déjà plus possible d’en sortir. C’est comme pour le fou qui, même s’il le souhaite, ne peut se déplacer en ligne droite : il ne peu le faire qu’en diagonale ; ou comme pour l’éléphante laissée sur la terrasse et qui n’a jamais pu redescendre sur terre.

― L’éléphante ?

― Oui, l’éléphante.

Ayant l’impression que non seulement il avait laissé passer le moment de s’en aller, mais qu’en plus il avait trop parlé de chose superflues, le garçon baissa la tête. (pp. 315-317)

*1:引用は小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』(文春文庫、2011年)による。

世界文学全集のためのメモ 1 『ドラ・ブリュデール』 パトリック・モディアノ

文学全集の配本が定期的に届く生活に憧れて、ひとりで世界文学全集の企画を始めてみることにした。

いろいろな場所で、いろいろな時代に、いろいろな言語で書かれた、強度のある言葉に触れてみたい。それが続いて、ぼくの世界文学のコレクションができればいい。

とりあえず第1期フランス語編として、8ヶ月かけて、フランス語の作品8つと、フランス語訳のある日本語の作品4つを読んでみようと思う。日本語で読みながら、何ヶ所かずつ日本語とフランス語で引用していく。

このブログを始めたとき最初に引いた立原道造の戒めに従い、今回はまたひたすら引用だけをすることにしたい。


フランス語編 1

Patrick Modiano
パトリック・モディアノ
1945-

Dora Bruder
『ドラ・ブリュデール』
1997

日本語訳
『1941年。パリの尋ね人』白井成雄訳、作品社、1998年

Ce sont des personnes qui laissent peu de traces derrière elles. Presque des anonymes. Elles ne se détachent pas de certaines rues de Paris, de certains paysages de banlieue, où j'ai découvert, par hasard, qu'elles avaient habité. Ce que l'on sait d'elles se résume souvent à une simple adresse. Et cette précision topographique contraste avec ce que l'on ignorera pour toujours de leur vie — ce blanc, ce bloc d'inconnu et de silence. (p. 28) *1

 彼らはこの世に生きた証拠などろくに残していない人たちだ。ほとんど無名と言ってよい。私は彼らが住んでいた場所を偶然見つけたが、そうした場所、つまりパリのいくつかの通りや、二、三の郊外の風景から切り離して浮かび上がらせることができない人たちだ。多くの場合、彼らについてわかることと言えば、せいぜい住所くらいだ。だが地理的には正確にわかっても、それと対照的に、彼らの生活は永遠にわからずじまいだろう――この空白、未知と沈黙のこの厚い壁。(p. 36)

J'ai écrit ces pages en novembre 1996. Les journées sont souvent pluvieuses. Demain nous entrerons dans le mois de décembre et cinquante-cinq ans auront passé depuis la fugue de Dora. La nuit tombe tôt et cela vaut mieux : elle efface la grisaille et la monotonie de ces jours de pluie où l'on se demande s'il fait vraiment jour et si l'on ne traverse pas un état intermédiaire, une sorte d'éclipse morne, qui se prolonge jusqu'à la fin de l'après-midi. Alors, les lampadaires, les vitrines, les cafés s'allument, l'air du soir est plus vif, le contour des choses plus net, il y a des embouteillages aux carrefours, les gens se pressent dans les rues. Et au milieu de toutes ces lumières et de cette agitation, j'ai peine à croire que je suis dans la même ville que celle où se trouvaient Dora Bruder et ses parents, et aussi mon père quand il avait vingt ans de moins que moi. J'ai l'impression d'être tout seul à faire le lien entre le Paris de ce temps-là et celui d'aujourd'hui, le seul à me souvenir de tous ces détails. Par moments, le lien s'amenuise et risque de se rompre, d'autres soirs la ville d'hier m'apparaît en reflets furtifs derrière celle d'aujourd'hui. (pp. 50-51)

 私は一九九六年十一月にここまで書き上げた。日中は雨模様のことが多い。明日は十二月で、ドラの脱走から五十五年が経ったことになる。夜のとばりが早く降りるが、その方が都合がよい。雨降りの日の陰鬱な単調さを、夜が消し去ってくれるからだ。雨の日は、いま本当に昼間なのだろうか、どんよりと暗い日食のような、昼とも夜ともつかない空模様が夕方までつづくのではなかろうか、と思えてくる。やがて、街灯やショーウインドーやカフェに明かりがともる。夕暮れの空気は肌を刺し、ものの輪郭がくっきりと浮き上がってくる。交差点は渋滞し、人々は急ぎ足で街をゆく。こうした多様な光と雑踏に囲まれていると、ドラとその両親がいた都会、今の私より二十歳若いときに父がいた同じ都会に私がいるのだとは、とても信じられない。あの時代のパリと今日のパリをつなぎ、当時の細々こまごました出来事をあれこれ想い出そうとするのは私一人ではないかと思えてしまう。時にこのひもは細くなり、切れそうになる。昨日のパリが今日のパリの陰に隠れ、ちらりとしかほの見えなくなるような夜もある。 (p. 62)

L'été 1941, l'un des films tournés depuis le début de l'Occupation est sorti au Normandie et ensuite dans les salles de cinéma de quartier. Il s'agissait d'une aimable comédie : Premier rendez-vous. La dernière fois que je l'ai vue, elle m'a causé une impression étrange, que ne justifiaient pas la légèreté de l'intrigue ni le ton enjoué des protagonistes. Je me disais que Dora Bruder avait peut-être assisté, un dimanche, à une séance de ce film dont le sujet est la fugue d'une fille de son âge. Elle s'échappe d'un pensionnat comme le Saint-Cœur-de-Marie. Au cours de cette fugue, elle rencontre ce que l'on appelle, dans les contes de fées et les romances, le prince charmant.

Ce film présentait la version rose et anodine de ce qui était arrivé à Dora dans la vraie vie. Lui avait-il donné l'idée de sa fugue ? Je concentrais mon attention sur les détails : le dortoir, les couloirs de l'internat, l'uniforme des pensionnaires, le café où attendait l'héroïne quand la nuit était tombée... Je n'y trouvais rien qui pût correspondre à la réalité, et d'ailleurs la plupart des scènes avaient été tournées en studio. Pourtant, je ressentais un malaise. Il venait de la luminosité particulière du film, du grain même de la pellicule. Un voile semblait recouvrir toutes les images, accentuait les contrastes et parfois les effaçait, dans une blancheur boréale. La lumière était à la fois claire et trop sombre, étouffant les voix ou rendant leur timbre plus fort et plus inquiétant.

J'ai compris brusquement que ce film était imprégné par les regards des spectateurs du temps de l'Occupation – spectateurs de toutes sortes dont un grand nombre n'avaient pas survécu à la guerre. Ils avaient été emmenés vers l'inconnu, après avoir vu ce film, un samedi soir qui avait été une trêve pour eux. On oubliait, le temps d'une séance, la guerre et les menaces du dehors. Dans l'obscurité d'une salle de cinéma, on était serrés les uns contre les autres, à suivre le flot des images de l'écran, et plus rien ne pouvait arriver. Et tous ces regards, par une sorte de processus chimique, avaient modifié la substance même de la pellicule, la lumière, la voix des comédiens. Voilà ce que j'avais ressenti, en pensant à Dora Bruder, devant les images en apparence futiles de Premier rendez-vous. (pp. 79-80)

 一九四一年夏、占領の当初から撮影がつづいていた映画が「ノルマンディー館」で封切られ、それから町の一般の映画館で上映された。『初めての逢いびき』[アンリ・ドゥコワン監督、一九四一年八月封切り、ダニエル・ダリュー主演]という愛らしいコメディーだった。前回この映画をたとき、軽妙な筋立てや主役の陽気な調子からは説明のつかない不思議な印象を受けた。映画の主題はドラと同じ年頃の娘の脱走の話だが、ドラはひょっとしたら、とある日曜日、この映画を観に行ったのではなかろうか。映画の主人公は聖心マリア学院を思わせる寄宿学校から逃げ出す。逃亡の途中で、おとぎ話やロマンスにでてくるあの美しい王子さまに出会う。

 この映画はドラの実人生で起きたことを、甘ったるく毒にも薬にもならない形に仕立て直したものであった。この映画がドラに脱走を思いつかせたのだろうか? 私は映画の隅々まで目を凝らした。共同寝室、寄宿舎の廊下、寄宿生の制服、夜のとばりが降りた頃ヒロインが待ち合わせをしているカフェ……。だが現実と一致するものは何も見つけられなかった。それもそのはずで、大部分のシーンはスタジオで撮影されたのだ。だが私の感じる不安は強かった。不安感はこの映画特有の明度、雨の降っているフィルムの状態そのものからきていた。映像すべてにヴェールがかかっているようで、寒々と白っぽく、画面上のコントラストは時に強く、時に弱かった。明るすぎると同時に暗すぎ、音声は押し殺されたようになったり、あるいは逆に、強く、不安をそそるように響いたりした。

 突然、この映画には占領下の時代の観客の眼差しが深く刺し通っているのだ、と自覚した。観客はあらゆる層にわたり、その多くは大戦後まで生き延びることはなかったのだ。ひとときの息抜きであった土曜日の夕べ、彼らはこの映画をたあとで、どこか未知の世界へと連れていかれたのだ。上映中の時間だけは、戦争のことも外部の脅威も忘れていた。映画館の暗闇の中で、すし詰めになりながら、スクリーンいっぱいに映し出される映像を追いかけるのだった。もう怖いことは何も起こりはしないのだ。そしてこの皆の眼差しが、一種の化学変化の作用でフィルムの材質そのもの、光、役者の声音を変質させてしまったのだ。『初めての逢いびき』の一見軽薄そうな映像を前にし、ドラ・ブリュデールに思いをせながら、私が強く感じたのはこんなことだった。 (pp. 97-98)

On se demande pourquoi la foudre les a frappés plutôt que d'autres. Pendant que j'écris ces lignes, je pense brusquement à quelques-uns de ceux qui faisaient le même métier que moi. Aujourd'hui, le souvenir d'un écrivain allemand est venu me visiter. Il s'appelait Friedo Lampe.

C'était son nom qui avait d'abord attiré mon attention, et le titre de l'un de ses livres : Au bord de la nuit, traduit en français il y a plus de vingt-cinq ans et dont j'avais découvert, à cette époque-là, un exemplaire dans une librairie des Champs-Élysées. Je ne savais rien de cet écrivain. Mais avant même d'ouvrir le livre, je devinais son ton et son atmosphère, comme si je l'avais déjà lu dans une autre vie.

Friedo Lampe. Au bord de la nuit. Ce nom et ce titre m'évoquaient les fenêtres éclairées dont vous ne pouvez pas détacher le regard. Vous vous dites que, derrière elles, quelqu'un que vous avez oublié attend votre retour depuis des années ou bien qu'il n'y a plus personne. Sauf une lampe qui est restée allumée dans l'appartement vide.

Friedo Lampe était né à Brême en 1899, la même année qu'Ernest Bruder. Il avait fréquenté l'université d'Heidelberg. Il avait travaillé à Hambourg en qualité de bibliothécaire et commencé là son premier roman, Au bord de la nuit. Plus tard, il avait été employé chez un éditeur à Berlin. Il était indifférent à la politique. Lui, ce qui l'intéressait, c'était de décrire le crépuscule qui tombe sur le port de Brême, la lumière blanc et lilas des lampes à arc, les matelots, les catcheurs, les orchestres, la sonnerie des trams, le pont de chemin de fer, la sirène du steamer, et tous ces gens qui se cherchent dans la nuit... Son roman était paru en octobre 1933, alors qu'Hitler était déjà au pouvoir. Au bord de la nuit avait été retiré des librairies et des bibliothèques et mis au pilon, tandis que son auteur était déclaré « suspect ». Il n'était même pas juif. Qu'est-ce qu'on pouvait bien lui reprocher ? Tout simplement la grâce et la mélancolie de son livre. Sa seule ambition ― confiait-il dans une lettre - avait été de « rendre sensibles quelques heures, le soir, entre huit heures et minuit, aux abords d'un port ; je pense ici au quartier de Brême où j'ai passé ma jeunesse. De brèves scènes défilant comme dans un film, entrelaçant des vies. Le tout léger et fluide, lié de façon très lâche, picturale, lyrique, avec beaucoup d'atmosphère ».

À la fin de la guerre, au moment de l'avance des troupes soviétiques, il habitait la banlieue de Berlin. Le 2 mai 1945, dans la rue, deux soldats russes lui avaient demandé ses papiers, puis ils l'avaient entraîné dans un jardin. Et ils l'avaient abattu, sans avoir pris le temps de faire la différence entre les gentils et les méchants. Des voisins l'avaient inhumé, un peu plus loin, à l'ombre d'un bouleau, et avaient fait parvenir à la police ce qui restait de lui : ses papiers et son chapeau. (pp. 92-94)

 なぜ災難はほかの人たちではなくこの人たちに降りかかったのだろう。筆をすすめながらも、不意に同じ作家仲間の人たちに想いをはせることがある。今日はドイツのある作家の想い出が浮かんだ。その名は、フリード・ランペ。

 最初、私の注意を惹いたのは彼の名前であり、それから『夜の果てに』という彼の一冊の本の題名だった。この本は二十五年以上前に仏訳され、当時、シャンゼリゼの本屋に一冊あるのを見つけた。この作家のことは何も知らなかった。だが本を開く前から、その語り口と雰囲気が想像できた。まるで前世でもう読んだことがあるかのようだった。

 フリード・ランペ。『夜の果てに』。この名前と題名は明かりのともった窓を想像させた。そこから人は目を離すことができない。窓の後ろには、あなたが忘れてしまった誰かが何年もあなたの帰りを待っているようにも思える。また逆に、もう誰もいず、がらんとした家にランプだけが点されているようでもある。

 フリード・ランペは、一八九九年、エルネスト・ブリュデールと同じ年に、ブレーメンに生まれた。ハイデルベルク大学に通い、ハンブルクで司書として働き、そこで最初の小説『夜の果てに』を書きはじめる。その後ベルリンの出版社で働いた。政治には無関心だった。彼の興味を惹いたのは、ブレーメン港の黄昏たそがれ時、白色あるいは藤色に輝くアーク燈、水夫たち、プロレスラー、オーケストラ、市街電車の警笛、鉄道橋、蒸気船の汽笛、夜の闇の内に相手を探し求める人たち……、を描写することであった。

 一九三三年十月、小説が発表されたとき、ヒトラーはすでに権力の座にあった。『夜の果てに』は書店や図書館から回収され廃棄処分にされた。そして作者は「要注意」のレッテルを貼られた。彼はユダヤ人でさえなかった。なにがいったい非難の対象になったのだろう? ようするにこの本のもつ魅力と憂愁がいけなかったのだ。作者の唯一の願いは(これは手紙の中で打ち明けられているのだが)、「港のあたりの夜の数時間、八時から真夜中までの感じを出す」ことだった。「私は今、青春時代を過ごしたブレーメンの街を想っています。映画のように短い場面が次々と現われ、いろいろな人の人生が絡みあいます。全体として軽やかで流れるようで、絵画的、叙情的にごく緩やかに結ばれ、豊かな雰囲気をかもし出します」。

 大戦末期、ソ連軍進軍の際、彼はベルリン郊外に住んでいた。一九四五年五月二日、町中で二名のソ連兵に身分証明書の提示を求められた。そして近くの庭に連れ込まれた。良い奴か悪い奴か区別もされないまま殺されてしまった。近所の人たちが少し離れた一本の白樺の木蔭に彼を埋葬した。そして警察に身分証明書と帽子を遺品として届け出た。 (pp. 112-115)

堀辰雄『風立ちぬ』のフランス語版を日本語に訳してみる 8

[フランス語版]Une dizaine de minutes plus tard je sortais du bois et, parvenant soudain à un endroit découvert, pénétrai dans une prairie qui, recouverte d'une herbe drue, s'étirait sous mes yeux jusqu'à la ligne lointaine de l'horizon.

[フランス語版の日本語訳]10分ほどして森から出ると、急に視界が開けて、遥か彼方の地平線まで草が生い茂る草原に出た。

[原文]私はそれから十数分後、一つの林の尽きたところ、そこから急に打ちひらけて、遠い地平線までも一帯に眺められる、一面に薄の生ひ茂つた草原の中に、足を踏み入れてゐた。

読みやすい日本語にしようと思って文の構造をつづめたりした結果、原文の半分くらいの長さの文になり、全く違う息づかいになった。長い文を味わい楽しませるような原文も決して読みにくくはない。

作品の冒頭と同じ風景に戻ってきた。「一面」という言葉をもう一度思い出そう。

庭は一面雪におおわれていた
Le jardin était recouvert de neige.
家は一面火の海である
La maison est toute en feu [en flammes].
一面の水〔火;麦畑〕
une nappe d'eau [de feu; de blés]*1

さらに「一帯」という言葉も出てきている。

その辺り一帯に
dans tout le voisinage
関西地方一帯に
sur toute la région du Kansai*2

[フランス語版]Je m'étendis non loin de là à l'ombre d'un bouleau dont les feuilles commençaient déjà à jaunir.

[フランス語版の日本語訳]私はそこから遠くない、もう紅葉が始まっている樺の木陰に身を横たえた。

[原文]そして私はその傍らの、すでに葉の黄いろくなりかけた一本の白樺の木蔭に身を横たへた。

[フランス語版]C'était là que tout au long des journées d'été j'étais resté étendu comme je l'étais en ce moment à te regarder peindre.

[フランス語版の日本語訳]それは、私が夏の間じゅう今と同じように寝そべって、お前が絵を描くのを眺めていた場所だった。

[原文]そこは、その夏の日々、お前が絵を描いてゐるのを眺めながら、私がいつも今のやうに身を横たへてゐたところだつた。

こういうときは確かに「それは」より「そこは」の方が自然かもしれない。

日本語らしくしようと思ってフランス語の語順のまま「寝そべって〔……〕眺めていた」と訳したが、原文の方がはるかにすっと頭に入ってくる。これまでも何度も出てきた「ながら」の効用だろうか。

comme je l'étais en ce moment は「今のやうに」。簡潔で明快な日本語だ。

[フランス語版]À l'horizon que de gros nuages sombres barraient presque constamment en été, apparaissaient maintenant les contours de lointaines montagnes qui surgissaient – à quelle distance ? – parmi les hautes herbes courbant à perte de vue leurs épis blancs.

[フランス語版の日本語訳]夏の間は大きな暗い雲にほとんど常に覆われていた地平線の辺りには、今は、見渡す限り白い穂をうなだれさせている背の高い草の間から、遠い山々の輪郭が(どれだけ遠いのだろうか)見えていた。

[原文]あの時には殆んどいつも入道雲に遮られてゐた地平線のあたりには、今は、何処か知らない、遠くの山脈までが、真つ白な穂先をなびかせた薄の上を分けながら、その輪廓を一つ一つくつきりと見せてゐた。

courbant を「うなだれさせている」としたのはちょっと惜しかった。原文は「なびかせた」。

風に草がなびく
Les herbes bougent [s'agitent] au vent.
金持ちになびく
se plier aux riches; se courber devant les riches*3

原文では「遠くの山脈までが」が前に来ていることによって、視点の対象が「地平線のあたり」にうまく落ち着いている。ぼくの訳だと、「今は、」の後でちょっと視点がぐらついてしまっている感じがする。

[フランス語版]Je fixai intensément ces lointaines arêtes montagneuses jusqu'à en retenir les moindres détails, et cependant affleurait à ma conscience la certitude que je venais seulement de percer le secret, jusqu'à présent enfoui au fond de mon être, de ce que la nature m'avait par avance réservé.

[フランス語版の日本語訳]私はこの遠い山々の尾根を、その細部まですべて覚えてしまうほどにじっと見つめていたが、一方で、自然が私に残してくれているものについての、これまで心の奥底に埋もれていた秘密を、今ようやく突き止め始めたばかりなのだというような確信も浮かんできていた。

[原文]私はそれらの遠い山脈の姿をみんな暗記してしまふ位、ぢつと目に力を入れて見入つてゐるうちに、いままで自分の裡に潜んでゐた、自然が自分のために極めて置いてくれたものを今こそ漸つと見出したといふ確信を、だんだんはつきりと自分の意識に上らせはじめてゐた。……

これは多分フランス語訳がずれている。「いままで自分の裡に潜んでゐた」がかかるのは、「自然が自分のために極めて置いてくれたもの」だと取っているようだが、そうではなく、それ「を今こそ漸つと見出したといふ確信」なのではないだろうか。そうすると「今こそ」というのはちょっと変だが、この文脈で「自然」と言っているのはあくまで目に見える風景などのことだと取らないと、文脈的にそぐわない気がする。

「序章」をまるまる訳し終わったところで、このシリーズは一旦やめにしようと思う。『風立ちぬ』の日本語を自分で書こうとしてみるという考えに初めはわくわくしていたけれど、作家のきれいな言葉を自分のだらしない下手くそな日本語で一文一文穢していくのがつらくて、こんなものを人に見せたいわけではないという思いが強くなってきた。

立原道造の厳しい言葉を引いてブログを始めた頃みたいに、ここはぼくが語るよりも素敵な言葉をいろいろ載せていく場所にしたい。アマチュア的な語学の楽しみと絡めながらそういうことをできる計画を立てている。計画はついえてしまう方が美しいかもしれないけれど、それでも、少しずつでも、やってみたいことをやっていこうと思う。

*1:『コンコルド和仏辞典』(白水社)。

*2:同上。

*3:同上。

堀辰雄『風立ちぬ』のフランス語版を日本語に訳してみる 7

[フランス語版]Aujourd'hui encore je puis faire revivre dans toute son intensité ce sentiment de bonheur si proche de la tristesse qui m'étreignait le cœur jour après jour quand vous fûtes partis.

[フランス語版の日本語訳]今でもなお私は、お前が旅立った後に日々を締めつけたあの悲しみにも似た幸福の感覚を、あの頃のままにありありと甦らせることができる。

[原文]お前達が発つて行つたのち、日ごと日ごとずつと私のをしめつけてゐた、あの悲しみに似たやうな幸福の雰囲気を、私はいまだにはつきりと蘇らせることが出来る。

vous fûtes partis を「お前が旅立った」としたのは単純にミス。partis が複数形だし、第一ずっと tu で呼んできた「お前」がいきなり vous になるのもおかしい。

cœur は「心」ではなく「胸」と訳した方がいいことも多い。

悲しみで胸が一杯になる
avoir le cœur rempli de chagrin
胸が張り裂ける思いだ
Je sens mon cœur se déchirer [se briser; se serrer].*1

[フランス語版]Toute la journée je restais enfermé à l'hôtel.

[フランス語版の日本語訳]私は一日中ホテルに閉じこもっていた。

[原文]私は終日、ホテルに閉ぢ籠つてゐた。

[フランス語版]Je me remis à mon travail que j'avais longtemps délaissé pour me consacrer à toi.

[フランス語版の日本語訳]お前の面倒を見るために長い間放っていた仕事に、私は再び手をつけた。

[原文]さうして長い間お前のために打棄うつちやつて置いた自分の仕事に取りかかり出した。

[フランス語版]Contrairement à mon attente je parvins à m'y absorber paisiblement.

[フランス語版の日本語訳]意外にも私は心穏やかにその仕事に没頭することができた。

[原文]私は自分にも思ひがけない位、静かにその仕事に没頭することが出来た。

静か
③気持ちや態度が落ち着いているさま。おだやかだ。ものしずかだ。「―に余生を送る」*2

その湖畔の宿では都会では味わえない静かな気分を味わった。
At the lakeside inn we enjoyed a peaceful atmosphere we can never find in the city.*3

[フランス語版]Entretemps la saison subit un changement complet.

[フランス語版の日本語訳]その間に季節は完全に変わってしまった。

[原文]そのうちにすべてが他の季節に移つて行つた。

この原文はなかなか不思議な日本語だ。

[フランス語版]Je me décidai enfin à partir à mon tour et la veille du jour fixé, pour la première fois depuis longtemps, je sortis de l'hôtel pour me promener.

[フランス語版の日本語訳]とうとう私も旅立つことにして、出発の前日、久しぶりにホテルを出て散歩に出かけた。

[原文]そしていよいよ私も出発しようとする前日、私はひさしぶりでホテルから散歩に出かけて行つた。

「いよいよ私も出発しようとする前日」、こういう連体修飾の仕方は真似していきたい。

[フランス語版]Le bouleversement apporté par l'automne rendait les bois méconnaissables.

[フランス語版の日本語訳1]秋になって、森は見違えるほどにすっかり姿を変えていた。
[フランス語版の日本語訳2]秋がもたらした変化は、森を見違えるようにしていた。

[原文]秋は林の中を見ちがへるばかりに乱雑にしてゐた。

bouleversement というのはよく分からないなと思ったが、原文の「乱雑」もどきっとするような言葉の選択だ。

[フランス語版]Les arbres dépouillés d'une grande partie de leurs feuilles laissaient voir, beaucoup plus proches qu'auparavant, entre leurs troncs, les terrasses des villas désertées.

[フランス語版の日本語訳]葉をほとんど落としてしまった木々の幹の間から、人けのない邸宅のテラスが以前よりずっと近くに見えた

[原文]葉のだいぶ少くなつた木々は、その間から、人けの絶えた別荘のテラスをずつと前方にのり出させてゐた

この文も癖が強い。「人けの絶えた別荘」は単数だろうか複数だろうか。英語版は a deserted villa としている。

[フランス語版]L'odeur humide des champignons se mêlait à celle des feuilles mortes.

[フランス語版の日本語訳]湿ったきのこの匂いが落ち葉の匂いと混ざり合っていた

[原文]菌類の湿つぽい匂ひが落葉の匂ひに入りまじつてゐた

l'odeur humide 「湿つぽい匂ひ」。こういうのはむやみに改変しない方がいい。

代名動詞を見ると反射的に「~合う」と書いてしまうが、日本語には他にもいい言葉がある。

いろんな思い出が頭の中で入り交じる
Les souvenirs se mêlent dans mon esprit.
群衆に入り交じる
se mêler [se confondre avec] la foule*4

[フランス語版]J'éprouvais un sentiment étrange à la vue de ce changement presque inopiné de saison : tant de temps s'était donc écoulé à mon insu depuis que je t'avais quittée.

[フランス語版の日本語訳]ほとんど予期していなかったこの季節の移ろいを見て、私は不思議な感覚を抱いた。私がお前と離れてから、知らないうちにこれだけの時間が過ぎたのだ。

[原文]さういふ思ひがけない位の季節の推移が、――お前と別れてから私の知らぬ間にこんなにも立つてしまつた時間といふものが、私には異様に感じられた。

[フランス語版]Quelque part au fond de mon cœur j'avais la certitude que notre séparation devait être provisoire et l'écoulement même du temps avait pris pour moi une signification toute nouvelle... Tel était le sentiment que j'éprouvais d'abord confusément, avant d'en prendre une conscience claire quelques instants après.

[フランス語版の日本語訳]私の心の奥底のどこかに、私たちの別れは仮のものに違いないという確信があった。時間の流れさえもが、私にとって全く新しい意味を帯びだしていた……。始めはぼんやりと抱いていたそのような感覚を、しばらく後にはっきりと意識するに至った。

[原文]私の心の裡の何処かしらに、お前から引き離されてゐるのはただ一時的だと云つた確信のやうなものがあつて、そのためかうした時間の推移までが、私には今までとは全然異つた意味を持つやうになり出したのであらうか? ……そんなやうなことを、私はすぐあとではつきりと確かめるまで、何やらぼんやりと感じ出してゐた。

「~と云つた確信のやうなものがあつて」は疑問文の一部だし、あくまで「のやうなもの」なので、j'avais la certitude と言うと強すぎる気がする。次の文で「はつきりと確かめる」と言っているのでこれでいいのかもしれないが、受ける印象は大分違ってくる。
後の文も、「はつきりと確かめる」よりも「何やらぼんやりと感じ出してゐた」の方に重点があるかのような書き方をしている。

今回の箇所の原文は、これまで以上になめらかでない表現が多く、内容とうまく一致していると言うべきなのかもしれないが、こういうのは普通の人がやったらただの悪文としか思われなさそうで、自分の文章に取り入れるのはなかなか難しいかもしれない。

*1:『コンコルド和仏辞典』(白水社)。

*2:『明鏡国語辞典』(大修館書店)。

*3:『新和英大辞典』第5版(研究社)。

*4:『コンコルド和仏辞典』(白水社)。

堀辰雄『風立ちぬ』のフランス語版を日本語に訳してみる 6

[フランス語版]Deux ou trois jours plus tard je t'aperçus le soir dans la salle du restaurant en train de dîner avec ton père, venue te chercher.

[フランス語版の日本語訳①]2、3日後の夕方、お前を迎えに来たお前の父と一緒にお前は食堂で夕食を取っていた。
[フランス語版の日本語訳②]2、3日後の夕方、私はお前を迎えに来たお前の父と一緒にお前が食堂で夕食を取っているのを見かけた。

[原文]それから二三日した或る夕方、私は食堂でお前がお前を迎へに来た父と食事を共にしてゐるのを見出した。

2パターン書いてみたが、どちらも、「お前がお前を」のような表現を避けようとして、かえって読みにくくなっている。②の「お前が」を前に出して、さらに「食堂で」も前に出すと、原文にわりと近い形になる。

[フランス語版]Tu me tournais le dos avec un peu de raideur.

[フランス語版の日本語訳]お前は体を少しこわばらせて私に背を向けた。

[原文]お前は私の方にぎごちなささうに背中を向けてゐた。

原文の「ぎこちなささうに」はちょっと違和感がある。「ぎこちない」自体が外から見た様子を表す言葉なので、「そう」をつける必要はない気がする。

[フランス語版]Ton attitude, tes gestes qui te venaient sans doute presque inconsciemment du seul fait d'être assise à côté de ton père me faisaient penser à ceux d'une toute jeune fille que je découvrais en toi pour la première fois.

[フランス語版の日本語訳①]父親の隣に座っているというただそれだけの理由でお前がほとんど無意識にしているらしいその態度や身ぶりを見て、私はお前の内に初めて一人のうら若い娘を発見したように感じた。
[フランス語版の日本語訳②]父親の隣に座っているというただそれだけのことがお前にほとんど無意識にさせているらしいその態度や身ぶりは、私に、お前の内にそれまで見たことのないようなうら若い娘を思わせた。

[原文]父の側にゐることがお前に殆んど無意識的に取らせてゐるにちがいない様子や動作は、私にはお前をついぞ見かけたこともないやうな若い娘のやうに感じさせた。

原文は無生物主語が続く。「父の側にゐること」がお前にある様子や動作を取らせ、「様子や動作は」私にはお前を〔……〕若い娘のように感じさせた。あからさまに翻訳臭いこういう文はあまり多用したくはないが、うまく使うと文章が締まる気はする。

後半は少し自由に訳したが、そもそもフランス語訳も原文とはちょっと違う方向を向いている気がする。

[フランス語版]« Même si je l'appelais par son nom... murmura-je à part moi, elle resterait impassible et ne se retournerait même pas vers moi... comme doutant que je l'eusse appelée... »

[フランス語版の日本語訳]「もしも私が名前を呼んでも」私は心の中でつぶやいた。「表情一つ変えず、こちらを振り返りもしないのだろうなあ……。私に呼ばれたことを疑いでもするかのように……」

[原文]「たとひ私がその名を呼んだにしたつて……」と私は一人でつぶやいた。「あいつは平気でこつちを見向きもしないだらう。まるでもう私の呼んだものではないかのやうに……」

「平気で~する」というと、「平気で」は後の動詞にかかるのが普通だと思うが、ここでは後と並列になっているというフランス語訳者の読みでおそらく正しいのだろう。ちょっと変な感じはする。ともかく使えるようにしておきたい言葉だ。

危ないのに平気でいる
rester impassible devant le danger
とがめられても平気でいる
écouter imperturbablement les injures
彼は人が困っているのを見ると平気でいられない質だ
C'est un homme qui ne peut pas rester indifférent devant des gens en difficulté.*1

[フランス語版]Ce soir-là, revenu d'une triste et solitaire promenade, je m'attardai par désœuvrement dans le jardin désert de l'hôtel.

[フランス語版の日本語訳]その晩、私は寂しい一人の散歩から帰ってきて、誰もいないホテルの庭で暇をつぶしていた。

[原文]その晩、私は一人でつまらなさうに出かけて行つた散歩からかへつて来てからも、しばらくホテルの人けのない庭の中をぶらぶらしてゐた。

原文は「夕方」から「晩」に時間が流れている。フランス語訳はどちらも soir を使っているので、一工夫必要だったかもしれない。

une triste et solitaire promenade の原文は「一人でつまらなさうに出かけて行つた散歩」。triste が「つまらない」なのかということと、例の「~さう」という言い方はさておくとして、こういう名詞句を訳すときに「出かけて行つた」のように動詞を加えてもいいというのは参考になる。

je m'attardai に対応するのは「(かへつて来てから)も、しばらく」。とてもなめらかな日本語だ。

[フランス語版]Les lis de montagne embaumaient.

[フランス語版の日本語訳]山百合のいい香りがしていた。

[原文]山百合が匂つてゐた。

[フランス語版]Je regardais distraitement les deux ou trois fenêtres de l'hôtel d'où parvenait encore de la lumière.

[フランス語版の日本語訳]私は、ホテルの部屋のまだ明かりがついている2、3の窓をぼんやりと眺めていた。

[原文]私はホテルの窓がまだ二つ三つあかりを洩らしてゐるのをぼんやりと見つめてゐた。

窓があかりを漏らすというような表現は近代以前からあったのだろうか。第3回には「まだよく乾いてはゐなかつたカンヷスは、その間に、一めんに草の葉をこびつかせてしまつてゐた」というのがあった。擬人法というほどのことではないけれども物を主語にしたこういう文は、自然で詩的な感じがする。

[フランス語版]Entre-temps, un peu de brouillard semblait être tombé.

[フランス語版の日本語訳]そのうちに、少し霧がかかったようだった。

[原文]そのうちすこし霧がかかつて来たやうだつた。

[フランス語版]Les lumières d'éteignirent une à une, comme effarouchées.

[フランス語版の日本語訳]明かりが一つ一つ、おびえるように消えていった。

[原文]それを恐れでもするかのやうに、窓のあかりは一つびとつ消えて行つた。

ここのフランス語版は「それを」を訳していないので、文章のつながりが分からなくなってしまっている。

[フランス語版]L'hôtel allait enfin sombrer dans l'obscurité, quand doucement une fenêtre s'ouvrit en grinçant légèrement.

[フランス語版の日本語訳]ようやくホテルが暗闇の中に沈むかと思われたとき、一つの窓が軽くきしみながらそっと開いた。

[原文]そしてとうとうホテル中がすつかり真つ暗になつたかと思ふと、軽いきしりがして、ゆるやかに一つの窓が開いた。

sombrer dans l'obscurité は「すつかり真つ暗になつた」。フランス語らしいフランス語と日本語らしい日本語だ。

原文は真っ暗になっているが、フランス語訳の allait sombrer は真っ暗になっていなさそうなのがちょっと気になる。

[フランス語版]Une jeune fille, qui paraissait vêtue d'une robe de chambre rose, vint s'appuyer tranquillement au rebord de la fenêtre.

[フランス語版の日本語訳]薔薇色の部屋着を着ているらしい少女がやって来て、窓のへりに静かにもたれかかった。

[原文]そして薔薇色の寝衣ねまきらしいものを着た、一人の若い娘が、窓の縁にぢつとりかかり出した。

原文は「着ているらしい」ではなく「寝衣らしいものを着た」。確かにこちらの方がしっくりくるかもしれない。

[フランス語版]Cette jeune fille, c'était toi...

[フランス語版の日本語訳]その少女はお前だった……。

[原文]それはお前だつた。……