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堀辰雄『風立ちぬ』の英語版を日本語に訳してみる 4

今回はコメントを控えめにしてさくさく進んでいくことにする。

[英語版]"Father will be here in two or three days."

[英語版の日本語訳]「2、3日後にお父様がいらっしゃるわ」

[原文]「もう二三日したらお父様がいらつしやるわ」

する
12 〔時が経つ〕pass; elapse.
3年もすれば
in three years or so
1、2年もすると
in a year or two
ひと月もしないうちに
in less than [inside] a month; before a month has passed
あと10分したら焼きあがります。
It will be ⸢done [cooked] in (another) ten minutes.*1

[英語版]You spoke suddenly one morning as we strolled in the woods.

[英語版の日本語訳]ある朝私たちが林の中を散歩していると、お前が不意に言った。

[原文]或る朝のこと、私達が森の中をさまよつてゐるとき、突然お前がさう言ひ出した。

こと
16 〔時期を示す〕
それは去年のことだった。
It ⸢was [happened] last year.
彼女から電話があったのは今朝のことだ。
It was this morning that she phoned me.*2

「~のこと、」を副詞句として使う用法は辞書になかなか載っていない。

[英語版]I said nothing but showed my displeasure.

[英語版の日本語訳]私は何も言わなかったが、不満を表情に出した

[原文]私はなんだか不満さうに黙つてゐた

黙っていてもお互いに何を考えているのかわかる。
Even if we don't say anything, each of us knows what the other one is thinking.
なぜ今まで私に黙っていたのだ。
Why didn't you say anything to me about this before?*3

「不満さうに」は「私」の不満を内から語るのではなく、自分を外から眺めている。日本語でも若干違和感があるが、英語やフランス語ではさらに違和感が強いのかもしれない。両方とも「私」が不満を抱いていることを直接的に表現している。*4

文学上の特殊な表現だという気もするが、日本語では比較的違和感が薄くはあるのかもしれない。*5

[英語版]You looked at me there and spoke again, huskily.
"Well, then we won't be able to take these walks, will we?"

[英語版の日本語訳]するとお前は私を見て、しわがれた声で、
「そうするとこうしてお散歩することもできなくなるわね」

[原文]するとお前は、さういふ私の方を見ながら、すこししやがれたやうな声で再び口をきいた。
「さうしたらもう、こんな散歩も出来なくなるわね」

[英語版]"Any walk at all. If we think we want to walk, we can walk."

[英語版の日本語訳]「どんな散歩だって、したいと思えばできるさ」

[原文]「どんな散歩だつて、しようと思へば出来るさ」

ここはまた英訳を信頼せずに原文を当てにいこうとして訳してしまった。英語の訳として正しいのか自信がないが、原文とは似通った日本語にはなった。

「しようと思へば」を If we think we want to walk としているのはずれているかもしれない。「しようと思う」が単純に意志を持っていることを表すのに対して、we think we want は意志を持っている「気がする」というニュアンスにならないだろうか。

(1) お正月には温泉に行こうと思う。
  I think I'll go to a hot spring at New Year's.
(2) 来年はもっと頑張ろうと思う。
  I think I'll try harder next year.
(3) 今夜は早く寝ようと思っている。
  I'm thinking of going to bed early this evening.
(4) 今の仕事を辞めようかと思っている。
  I'm wondering whether I should quit my job.
(5) 外国に住もうとは思わない。
  I have no intention of living abroad.
(6) あなたは一生この仕事を続けようと思いますか。
  Do you think you'll do this job for life?*6

[英語版]Still disgruntled, I felt your anxious glance over my head, but it seemed rather that something stirring in the treetops above had drawn your attention.

[英語版の日本語訳]私はまだむっとしていた。顔にお前の不安そうな視線を感じたが、木の頂でもぞもぞと動いている何かがお前の注意を引いたようだった。

[フランス語版]Toujours renfrongné, bien que je sentisse sur moi ton regard inquiet, je feignais d'être davantage absorbé par le bruit que, sans cause apparente, faisaient les cimes au-dessus de nos têtes...

[フランス語版の日本語訳]私はしかめっ面をしたまま、お前の不安そうな視線を感じていたが、それよりも頭上の木の頂から聞こえてくる得体の知れない物音の方に気を取られているふりをしていた

[原文]私はまだ不満らしく、お前のいくぶん気づかはしさうな視線を自分の上に感じながら、しかしそれよりももつと、私達の頭上の梢が何んとはなしにざわめいてゐるのに気をられてゐるやうな様子をしてゐた

ここはさすがに英訳がおかしい気がしたのでフランス語版からも訳してみた。案の定英語版は完全な誤訳だった。

またもや「不満らしく」と「様子をしてゐた」は、自分のことなのに他人事のように聞こえる。(だから your attention などと訳してしまったのも一応理解はできる。)

but と bien que を見てとっさに「が、」と訳してしまったが、逆接を全面に押し出さない「ながら、しかし」という呼吸はとても素敵だ。

[英語版]"Father never leaves me."

[英語版の日本語訳]「お父様が私を離してくださらないわ」

[原文]「お父様がなかなか私を離して下さらないわ」

[英語版]I looked back at you in irritation.

[英語版の日本語訳]私は苛立ってお前を振り返った。

[原文]私はとうとう焦れったいとでも云ふやうな目つきで、お前の方を見返した。

ここでも「私」の感情を「目つき」の形容で表現している。

[英語版]"Are you saying we have to separate?"

[英語版の日本語訳]「会えなくなると言ってるのか?」

[原文]「ぢやあ、僕達はもうこれでお別れだと云ふのかい?」

[英語版]"It can't be helped."

[英語版の日本語訳]「仕方ないじゃない」

[原文]「だつて仕方がないぢやないの」

(1) A: どうして外で遊ばないの。
    Why aren't you playing outside?
  B: だって寒いんだもん。
    Because it's cold.
(2) A: にんじん、残さずにちゃんと食べなさい。
    Eat all your carrots and don't leave any on your plate.
  B: だってきらいだもん。
    But I don't like them!*7

[英語版]You managed a smile and seemed to close the subject.

[英語版の日本語訳]お前は笑顔を作って見せて、この話は終わりにしたようだった。

[原文]さう言つてお前はいかにも諦め切つたやうに、私につとめて微笑んで見せようとした。

ここも英訳がよく分からない。

[英語版]The color of your face, the color even of your lips, turned pale!

[英語版の日本語訳]お前の顔色が、唇の色までもが、青くなった。

[原文]ああ、そのときのお前の顔色の、そしてその唇の色までも、何んと蒼ざめてゐたことつたら!

この大げさな詠嘆の調子は、いつか真似したくなる機会が来るかもしれない。

前回の最後に書いたように、やっぱり英訳はあてにならない部分が多すぎるので、次回からフランス語訳を使うことにする。英訳よりはずっと原文に忠実だが、それを訳してもやっぱり原文からは大きく離れた日本語になるはずで、そこから引き続きぼくの日本語入門のためのポイントを抽出していきたい。

*1:『新和英大辞典』第5版(研究社)。

*2:同上

*3:同上

*4:フランス語訳:Je gardai le silence, la mine renfrognée.

*5:「僕は 照れくさそうに カバンで顔を隠しながら 本当は とても とても 嬉しかったよ」(ZONE「secret base~君がくれたもの~」)

*6:『日本語文型辞典 英語版』(くろしお出版)、p. 659。

*7:同上、p. 213。

堀辰雄『風立ちぬ』の英語版を日本語に訳してみる 3

[英語版]The wind has risen. Now we must try to live.

[原文]風立ちぬ、いざ生きめやも。

あまりに有名なこの一行は今回はスルーしておく。

[英語版]The line of poetry that sprang from my lips I repeated to myself, my hand resting on the shoulder you leaned against me.

[英語版の日本語訳]ふと浮かんだ詩の一節を、私は、もたれかかるお前の肩に手を乗せたまま、心の中で繰り返した。

[原文]ふと口を衝いて出て来たそんな詩句を、私は私に靠れてゐるお前の肩に手をかけながら、口の裡で繰り返してゐた。

ここはかなり原文と近い訳にできた。前回の「すぐ立ち上つて行かうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失ふまいとするかのやうに無理に引き留めて」というのを真似する形で文を作ってみた。

なんとなくつけてみた「ふと」まで当たったのは嬉しい。これくらいの言葉は翻訳で勝手に入れても許されるかもしれない。

「肩に手をかける」という表現は、そういえば第1回にも出てきていた。

たびたび出てきた「まま」はさすがに今回は使われず、「かけながら」になっていた。ただ「肩に手をかける」という一瞬で終わる動作に「ながら」がついているのはちょっと変な感じもする。

「私は私に」というような言い方も自分で使うかは迷うところ。以前はこんなの日本語じゃないと思っていたし、今でも違和感はあるが、こういうのを使うモードに入ってしまえば使うし、使ってみれば案外はまったりする。*1

[英語版]You pulled yourself away at last and stood up.

[英語版の日本語訳]しばらくしてお前はついに私から離れて立ち上がった。

[原文]それからやつとお前は私を振りほどいて立ち上つて行つた。

ここでもなんとなく落ち着かなくて、英訳にはないが「しばらくして」とつけてみた。原文では「やつと」の前に「それから」がついていた。

pull yourself away はいい訳が思いつかなかった。原文は「振りほどく」第1回には「生い茂る」「眺め眺めやる」というのが出てきたが出てきたが、こういう複合動詞は苦手だから気にしていくようにしたい。とりあえず手元の辞書*2に載っている「振り~」という動詞を並べてみる。うまく使うと文章に勢いがつきそうな言葉たちだ。

振り合う、振り上げる、振り返る、振り替える、振りかける、振りかざす、振りかぶる、振り切る、振り込む、振り絞る、振り捨てる、降り出す、振り立てる、振り放す、振りほどく、振り回す、振りまく、振り乱す、振り向く、振り向ける、振り分ける

[英語版]Blades of grass clung to the still-wet canvas.

[英語版の日本語訳]まだ濡れているキャンバスに、ススキの葉がついていた。

[原文]まだよく乾いてはゐなかつたカンヷスは、その間に、一めんに草の葉をこびつかせてしまつてゐた。

still-wet はどういうことかイメージできていなくて(地面が濡れていたのかなくらいに思っていた)、「まだ濡れている」としてしまったが、原文の「まだよく乾いてはゐなかつた」を見て腑に落ちた。こういう残念な訳は避けたい。

「こびつかせて」の助動詞「せる」はなかなか面白い用法かもしれない。これのおかげで、英訳とは異なり「カンヷスは」を主語にすることができている。「草の葉が」で始めるよりも文章の流れがきれいだ。ぼくは「キャンバスに」と訳して、語順としては同じになっているが、やはり「は」を使っている原文の方が落ち着く。

[英語版]You set the painting on the easel, and at some pains you removed the grass with your palette knife. "Oh! If father could only see this place ..."

You spoke, turning toward me with a doubtful smile.

[英語版の日本語訳]お前は絵を画架に載せて、いくらか難儀そうに、パレットナイフでそれを取り除いた。
「ああ、お父様もこの景色をご覧になることができたら……」〔「ああ、こんなところをお父様に見られでもしたら……」〕
お前は曖昧な微笑を浮かべて私を振り返りながらそう言った。

[原文]それを再び画架に立て直し、パレツト・ナイフでそんな草の葉を除りにくさうにしながら、
「まあ! こんなところを、もしお父様にでも見つかつたら……」
 お前は私の方をふり向いて、なんだか曖昧な微笑をした。

まず真ん中の「お前」の台詞は完全な誤訳だろう。日本語学習者の翻訳を見ていたことがあるせいで、こういうものの原文を推測する妙な勘が身についていて、this place「こんなところを」のことではないかと思いついてしまった。もちろんこの「ところ」は場面・状況というような意味だ。

せっかく話がまとまりかけたところに新たな難問が持ち上がってきた。
Just as things were coming to a settlement a new problem cropped up.
いいところへ来てくれた。
You have come ⸢at the right moment [at a good time].
二人でいるところを見られてしまった。
Somebody saw us together.*3

「お父様にでも見つかつたら」は「お父様に見つかりでもしたら」の方がより自然かもしれない。こういう表現がなかなか辞書には載っていない。

(1) 放っておいて、病気が悪くなりでもしたら、どうするんですか。
If you let it go and your illness gets worse, then what will you do?
(2) そんな大金、落としでもしたら大変だから、銀行に入れた方がいいですよ。
With such a large sum of money, it would be terrible if you lost it or something, so you'd better put it in the bank.
(3) そんなにいうならこのカメラ、貸してあげるけど、気をつけてよ、こわしでもしたら承知しないから。
If you're going to insist, I'll lend you this camera, but be careful—I'm not going to let you get away with it if you break it or something.
(4) こどものころ、妹を泣かしでもしたら、いつも一番上の兄に怒られた。
When I was a child, if I ever did something like make my little sister cry, my oldest brother would always get mad at me.*4

a doubtful smile はちょっと紋切り型っぽいかなと思いつつ「曖昧な微笑」と訳したら、見事原文通りだった。

ここの流れ全体を見ると、原文には you spoke に相当する部分がないことが注目される。「お前」が「草の葉を除りにくさうにしながら」何をしたのかが文法的にぼかされている。こういうルーズな書き方はぼくは避けたい気もするが、かといって「言った」を連発するのも芸がない。

3回目が終わって、いくつか迷っていることがある。一つは、もっと量をこなしたいので、今みたいに細かくコメントするよりもひたすら訳し進めていく方がいいかもしれないということ。また、もっとたくさんの文に触れるために、訳さずに原文と訳文を比べていくこともしたい。例えば「~は言った」みたいなのをどう処理するかというのは、こうやってちびちびやるだけでは見えてこないから。あと、英訳の質が低そうなのでフランス語版を使う方がいいのではないかとも思っている。そうすると日本語だけでなくフランス語のお勉強という側面も強くなってくるだろうけれど、それはそれで楽しそうだ。次々回くらいからやり方を変えていくかもしれない。

*1:ぼくの苦手な翻訳調と共通するある種の文体的特徴をうまく使うと、むしろ好きな調子になることがある。「僕の好きな君 その君が好きな僕/そうやっていつしか僕は僕を大切に思えたよ」(RADWIMPS「me me she」)みたいなのは全く悪くないし、バタ臭いとも感じない。

*2:『明鏡国語辞典』(大修館書店)。

*3:『新和英大辞典』第5版(研究社)。

*4:『日本語文型辞典 英語版』(くろしお出版)、p. 298。

堀辰雄『風立ちぬ』の英語版を日本語に訳してみる 2

前回に引き続き『風立ちぬ』の英語版を日本語に訳していく。英語の勉強ではなく、日本語を書く訓練のために。これが元々英語で書かれたものだとして、どれだけ自然で読みやすい良い日本語に訳せるかを試してみたい。もちろん翻訳には翻訳にふさわしい慎ましさというものがあるはずで、堀辰雄の原文がそのまま翻訳の練習の模範解答になるわけではない。そのあたりのことも、ただ読むだけでは大抵素通りしてしまうので、実際に『風立ちぬ』を書いてみることを通じて考えていこうと思う。

[英語版]One of those near-autumn afternoons, with your painting propped on its easel, we sprawled and nibbled fruit in the shade of that birch.

[英語版の日本語訳]秋も近づいたある日の午後、お前の絵が画架に立てかけられたまま、私たちはいつもの白樺の木陰に寝そべって果物をかじっていた。

[原文]そんな日の或る午後、(それはもう秋近い日だつた)私達はお前の描きかけの絵を画架に立てかけたまま、その白樺の木蔭に寝そべつて果物を齧じつてゐた。

前回の段落では、「それらの夏の日々」に繰り返されたことが書かれていたが、今回のこの文からは、それらの日々の中の特定のある一日の話になる。ぼくの訳では one of those near-autumn afternoonsthose を抜かしてしまったが、原文では「そんな」という日本語が2つの段落の関係を端的に伝えている。(もっとも、「そんな日の或る午後」ではなくて「そんな或る日の午後」と言う方が正確てはないだろうか。)

with your painting propped on its easel はうまい訳がどうしても思い浮かばなくて、「お前の絵が画架に立てかけられたまま」という不自然な書き方をしてしまった。受け身を使っているのが変だし、そもそも「~が……したまま」という構文はかなり厳しい。前回見たように、ふつう「まま」の前後で主語が変わるものではない。ぼくが原文のように「私達はお前の描きかけの絵を画架に立てかけたまま」と書けなかったのは、立てかけたのは「お前」であって「私達」ではないだろうと考えたからだった*1。しかしよく考えてみると、ここでの「私達は」は、「立てかけた」のが誰かではなくて、「立てかけたまま」にしようと判断したのが誰かを指している*2。だから原文のように書いて全く問題なかった。できるだけ同じ主語のまま長く続けるのが、読みやすい文章を書くコツの一つだという気がする(この話は後でもう一回出てくる)。

[英語版]Clouds like drifting sand slipped smoothly through the sky.

[英語版の日本語訳]漂う砂のような雲がなめらかに空を滑っていた。

[原文]砂のやうな雲が空をさらさらと流れてゐた。

原文の方が使っている言葉が平易で美しい。この「流れる」のような言葉が自分では思い浮かばない。

流れるような弁舌
eloquent [fluent] speech; a smooth tongue.
雲が東へ流れていく。
Clouds are drifting to(ward) the east.
煙が廊下を流れている。
Smoke is ⸢drifting [wafting] down the corridor*3

「さらさらと」は「雲」ではなく「砂」と結びつく言葉で、「砂のやうに」で始まる文にまとまりを与えている。ただ自分でこんな文を書こうとしても、ほとんどの場合格好つけすぎになってしまいそうだ。

「空をさらさらと」は原文のこの語順がいい。ぼくは「なめらかに空を」としたが、原文のように「空」を先にイメージさせてから「さらさらと」を読ませる方が、絵が豊かになる。

through the sky「空を」と訳したのは原文通りだった。こういう前置詞は多分このくらいあっさり処理するのがちょうどいいことも多い。

[英語版]Suddenly came a breeze from nowhere.

[英語版の日本語訳]突然、どこからともなく微風が吹いてきた。

[原文]そのとき不意に、何処からともなく風が立つた。

原文とぼくの訳を比べると、文から文への流れも原文の方がずっときれいだ。「不意に」の前についている「そのとき」にほとんど意味はなく、だからこそ英訳の訳者は省いてしまったのだろうけれど、この文章の調子にとってはなくてはならない言葉のように思えてくる。日本語に訳すときにこういう言葉をどれくらい勝手に入れていいかは、もっとたくさん例を集めてから考えたい。

[英語版]Through the leaves overhead we could see deep blue patches, swelling and shrinking.

[英語版の日本語訳]頭上の木の葉から覗くまだら状の紺色の空が、大きくなったり小さくなったりするのが見えた。

[原文]私達の頭の上では、木の葉の間からちらつと覗いてゐる藍色が伸びたり縮んだりした。

ここでも「藍色が」伸びたり縮んだりしたというのは格好よすぎて自分で書けなくても仕方ないと思うが、「まだら状の」は説明的すぎた。「ちらっと」は使いこなしたい。

車で通り過ぎるとき彼女の姿がちらっと見えた
I caught a glimpse of her when I drove past.
刑事は犯行現場の入口でちらっと警察バッジを見せた
The detective flashed his badge as he walked through the door to the scene of crime.*4

原文の「私達の頭の上では」が、ぼくの訳では「頭上の」となっている。ぼくは名詞への修飾を長くしすぎる癖があるかもしれない。前回も「一面に薄の生ひ茂つた草原の中で」に当たる部分を名詞への修飾で訳していた。

この文から何よりも学び取りたいのは、英語で we could see と書いてあっても、日本語では「のが見えた」などと書く必要がないということだ。「伸びたり縮んだりした。」と単純に書けば、それが「私達」の近くを通じて描かれていることは伝わる。

[英語版]We heard a plop onto the grass, like something toppling, the painting and the easel failing to the ground.

[英語版の日本語訳]草原に何かがよろめいたようなばたりという音がして、絵と画架が地面に倒れた。

[原文]それと殆んど同時に、草むらの中に何かがばつたりと倒れる物音を私達は耳にした。それは私達がそこに置きつぱなしにしてあつた絵が、画架と共に、倒れた音らしかつた。

we could see を訳出しなくていいと書いた直後に、今度は全く逆に、ぼくが省いた we heard が、原文ではしっかりと「私達は耳にした」となっている。「物音がした」で十分な気もするが、あえて言うなら、「私達」にスポットライトを当て直す効果だろうか。

「私達がそこに置きつぱなしにしてあつた絵」は文法的に変な気がする。「私達が」をつけるならぼくなら「置きっぱなしにしていた絵」と言う。

failing は falling の誤植と判断して訳した。倒れた音「らしかつた」というのは、音だけ聞いてまだ見ていないから確信はないということだが、英訳では無視されている。

[英語版]You started up to set it right, but I held you back, not to lose the moment. You did not leave. You let me do it.

[英語版の日本語訳]お前は立ち上がってそれを直そうとしたが、私はこの瞬間を逃すまいとお前を押しとどめた。お前は離れずに、私になされるがままになっていた。

[原文]すぐ立ち上つて行かうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失ふまいとするかのやうに無理に引き留めて、私のそばから離さないでゐた。お前は私のするがままにさせてゐた。

ここでも日本語では主語をころころ変えない方がいいということが確かめられる。英語版では you, I, you, you と主語が4つ出てくる。ぼくの訳では「お前は」「私は」「お前は」の3つだが、原文では「私は」「お前は」の2つだけだ。最初の「お前は」がない代わりに、「すぐ立ち上つて行かうとするお前を」となっている。これはとても日本語らしい表現だ。英語で you who started up などとはまず言わないはずなので、自然な日本語で出てくるこういう形を、翻訳でもうまく使えるようにしたい。

「いまの一瞬の何物をも失ふまいとするかのやうに」は今回の中で一番好きな一節だが、英訳の not to lose the moment はさすがに乱暴すぎる気がする*5。ただ、「かのやうに」は考えるとよく意味が分からなくなってくる。自分の行動の意図くらい自分で分かっとけよ、と英語の訳者が思ったとしても不思議はないのかもしれないが、ここで「かのやうに」を取って「失ふまいと」とだけ書いてしまうと、なんだか力強くて、『風立ちぬ』の語り手のイメージからちょっとずれてしまう。

最後の「お前は私のするがままにさせてゐた」はちょっとぎこちない文だと感じる。ぼくは最初「くれる」を使って訳そうとしたが、うまく詩的に仕上げられなかったので「私になされるがままになっていた」とした。まだぎこちなさはあるかもしれないが、原文よりは自然で、訳文としては悪くない表現かもしれない。

今回はここまで。最初のうちはどうしても苦しい一般化が多くなったりしてしまうけれど、少しずつデータを溜めていって、いろいろ裏付けとかもして、自信を持って語れるようになればいいなと思う。

*1:フランス語訳は nous avions laissé la toile que tu venais de fixer au chevalet(私たちはお前が画架に載せた絵をそのままにして)となっており、立てかけたのは「お前」で、立てかけたままにしたのは「私達」だということを厳密に表現している。

*2:「電気をつけたまま寝てしまった」などというとき、電気をつけたのが誰かはどうでもいい。

*3:『新和英大辞典』第5版(研究社)。

*4:『ウィズダム和英辞典』第2版(三省堂)。

*5:フランス語訳は例によってもっと忠実に、comme pour ne rien perdre du moment que nous étions en train de vivre としている。

堀辰雄『風立ちぬ』の英語版を日本語に訳してみる 1

翻訳(主に日本語への翻訳)というものになんとなく興味があって、しかしいざ日本語に訳してみると日本語力がなさすぎてごつごつした訳文しか書けないのがずっと悲しくて、もっといい日本語を書けるようになりたいと思ってきた。

そのために一つの試みとして、堀辰雄の『風立ちぬ』の英語版を日本語に訳して原文と比べるということを始めてみたので、少しずつブログの記事にしてみようと思う。日本文学の翻訳を日本語に訳し直してから原文を見ることで、日本語の使いこなし方を学べるのではないか、という思いつきだ。

ぼくの訳が原文と同じになれば勝ちというゲームではなく、ぼくの日本語と原文を比べることで、今のぼくが自分で使いこなせない日本語を学び取っていきたい。

題材として『風立ちぬ』を選んだのは単純に文体が好きだからだ。もしこれが続けばいろいろな別の作品でもやってみたい。英訳を使うのにもそれほど深い理由はない。以前フランス語を勉強していたときに、同じことを考えてフランス語版の最初の一段落だけ日本語に訳してみたことがあるが、今回は日本語を学ぶのが目的なので、フランス語より楽に読める英語を使う。ただしフランス語版も適宜参照していくつもりではある。

今回は最初の段落を訳してみた。原文では3文だ。1文目から順々に見ていく。

[英語版]Day after summer day I lay in the lush meadow of pampas grass under the shade of a white birch while you stood nearby, absorbed in your painting.

[英語版の日本語訳]夏の間、私は来る日も来る日も青々と茂った葦の草原の白樺の木陰で横になっていた。お前はその近くに立って絵を描くことに没頭していた。

[原文]それらの夏の日々、一面に薄の生ひ茂つた草原の中で、お前が立つたまま熱心に絵を描いてゐると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たへてゐたものだった。*1

自分の訳文を作ってから原文を見て、まずなるほどと思ったのが「一面に薄の生ひ茂つた草原」(the lush meadow of pampas grass) という表現だ。ぼくは辞書にあった lush の訳語を使って「青々と茂った葦の草原」と訳した。こういうところで「一面に」「生い茂る」という言葉が思い浮かぶというのが、ぼくの理想とする日本語力だ。そんなもの永久に手に入らないのかもしれないけれど、手に入るとすれば、一つ一つの言葉と丹念に向き合うことによってでしかないだろう。外国語を学んだときのように、辞書の用例を書き写してみる。

池には氷が一面に張っている。
The pond is frozen over.
峠を越えると一面の草原が目に飛び込んできた。
As we crossed over the pass, an expanse of grassland confronted our eyes.

樹木の生い茂った丘
a ⸢thickly [heavily] wooded hill.*2

you stood [...], absorbed in your painting は、ぼくは「立って絵を描くことに没頭していた」と訳したが、原文の「立つたまま熱心に絵を描いてゐる」は「立つたまま」がよく効いている。「立っていると大変だろうに、座りもしないで」というニュアンスを感じる。

この文型〔「PたままQ」〕を使うのは「Pた」という状態が動作Qにそぐわないものである場合が普通です。

(5) a.   ネクタイを締めたまま寝てしまった。
  b. ネクタイを締めたまま出かけた。

(5)bが不自然なのは、「ネクタイを締めた」状態と「出かける」という動作が当たり前の組み合わせであるためです。この場合には、「~て」を使って次のように表現すると自然になります。

(5)' ネクタイを締め出かけた。*3

この最初の文全体を見ると、ぼくは英語の順番(I → you)のまま訳そうとした結果苦しくなって2文に分けたが、ここでは順番ではなく、文法的に I が主で you が従という関係に忠実に、1文で訳した方がよかった。ぼくの訳は一番最初の文に「お前」が出てこずに「私」のことだけ語っていてどうにも格好がつかない。

あと、ぼくの訳が読みにくい理由の一つは、「一面に薄の生ひ茂つた草原の中で」にあたる部分を、「私は」の後に入れたことだ。英語版の通りといえばそうなのだが、この部分は「私」にも「お前」にも当てはまることなので、ここにある必要もない。原文はこれを前に出して、we → you → I の順で「それらの夏の日々、一面に薄の生ひ茂つた草原の中で、/お前が〔……〕描いてゐると/私は〔……〕身を横たへてゐたものだった」と整然と情報を並べている。

ここまでは素直に参考にしたい点だが、一方で、原文にある表現の中で、ぼくが使わなかったことにぼくなりの理由があるものもある。ぼくが翻訳調と見なして意識的か無意識的に避けている言い回しが、原文には随分と出てくる。

まず冒頭の「それらの夏の日々」は「あの夏の日々」の方が自然な日本語だと思うし*4「身を横たへてゐた」とわざわざ他動詞を使うのはフランス語の s'allonger やドイツ語の sich legen などのにおいがする。でも「あの夏の日々」「横になっていた」が与える俗っぽい感じを原文は見事に免れているのも確かだ。

あとは「草原の中で」の「の中」と、「一本の白樺」の「一本の」は、ぼくはつけていない。こういうのをつけない方が日本語らしいという思い込みがぼくにはあるが、「の中」や「一本の」が不自然だと感じる人は多分ほとんどいないだろうし、ここではつけた方が絵がくっきりしてよさそうな気がする。

2文目に進む。

[英語版]When evening came and you finished your work, you came to my side. Our hands on each other's shoulders, we gazed at the far horizon overlaid with towering clumps of clouds edged in red.

[英語版の日本語訳]夕方になってお前の仕事が終わると、お前は私の隣にやって来た。私たちは肩を組んで、縁の赤いそびえる雲のかたまりに覆われた遠い地平線を見つめていた。

[原文]さうして夕方になつて、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、それからしばらく私達は肩に手をかけ合つたまま、遥か彼方の、縁だけあかね色を帯びた入道雲のむくむくした塊りに覆はれてゐる地平線の方を眺めやつてゐたものだつた。

まず語彙的なところから挙げていく。

始めの「さうして」は4文字で時間の流れを強く印象づける言葉だ。

our hands on each other's shoulders は「肩を組む」のことだろ、と思ったが、原文は「肩に手をかけ合つたまま」となっていた。「肩を組む」では hands なのか arms なのか分からないし、どこか文学的でない感じがする。

far horizon「遥か彼方の〔……〕地平線」

towering clumps of clouds「入道雲のむくむくした塊り」(これは訳文として思いつく人はさすがにいないだろうけれど)。

「眺めやる」という言葉もすごく美しい。こういう複合動詞はなかなか使いこなせない。

ながめ‐や・る【眺遣】〘他ラ四〙1物思いに沈んだり感情をこめたりしながら遠くを見やる。はるかに思いをはせながら、そちらの方を見やる。*5

この文も、ぼくが(英訳通りに)2文にしたのに対して、原文は1文になっている。長い文だが読みにくはない。ぼくが「お前の仕事が終わると、お前は私の隣にやって来た。私たちは〔……〕」と「お前」を繰り返してしまったところが、原文ではお前が仕事をすませて私のそばに来ると、〔……〕私達は〔……〕」とすっきりと書かれている。

「私達は」の後にも、良い日本語のために参考にできる点が2つある。1つめは、またもや「まま」だ。

2 …まま(で)
〔……〕
 瞬間的な動作を表す動詞が使われて、その結果が続いた状態で、次の動作や事態が行われるという場合に使う。二つの動詞の主語は同じでなければならない。
(誤) 電車はこんでいて、山田さんは立ったまま、私はすわっていた。
(正) 電車はこんでいて、山田さんは立ったままだったが、私はすわっていた。
(誤) 彼が待っているまま、私は他の人と話していた。
(正) 彼を待たせたまま、私は他の人と話していた。*6

「私達は肩に手をかけ合つたまま、」と読むと、その後に「私達」の動作が続くことを、確信を持って予期できる。だからこそ、文末の「眺めやつてゐたものだつた」までにかなり長い目的語が挟まっていても、読み手は迷子にならずに済む。ぼくは「肩を組んで」と訳したが、これだと主語が変わる可能性がある。「私たちは肩を組んで、太郎と花子は手をつないだ」のような文もありうるので、「まま」の文よりも読むときの負荷が大きくなってしまう。

「まま」の後の目的語についても同じようなことがいえる。英訳の far horizon をぼくは「遠い地平線」と訳したが、原文では「遥か彼方の、〔……〕地平線」となっていて、この間に長い修飾語がある。「遥か彼方の」に修飾される名詞が後に来ることが明らかなので、何が来るか分からない文よりも、ずっと楽に読み進めることができる。

段落最後の文は全く意味が分からなかった。

[英語版]Turning finally from the darkening horizon, we felt something quickening there in the opposite direction.
[英語版の日本語訳]暗くなっていく地平線にようやく背を向けると、そこで何かが反対方向へと急いでいるのを感じた。
[原文]やうやく暮れようとしかけてゐるその地平線から、反対に何物かが生れて来つつあるかのやうに……

これはどうやら英訳がとんちんかんなようだ*7。ここでは「暮れる」という言葉だけを覚えておこう。

彼は日が暮れてから[暮れないうちに]帰って来た。
He came back after [before] dark.*8

最後はなんだか尻すぼみな感じになってしまったけれど、こういうこともあるのであまり一文一文で悩まずにどんどん先に進んでいこうと思う。ぼくの訳文のようにブログの書き方もぎこちないけれど、最初から完璧なものを目指すのではなく、とりあえずは書けることを書き散らしていきたい。

*1:原文は『堀辰雄全集』第1巻(筑摩書房、1977年)、英語版は Francis B. Tenny 訳 "The Wind Has Risen" (In: The Columbia Anthology of Modern Japanese Literature Volume 1: From Restoration to Occupation, 1868-1945, Columbia University Press, 2007)、フランス語版は Daniel Struve 訳 Le Vent se lève (Gallimard, 1993) から引用。

*2:『新和英大辞典』第5版(研究社)。

*3:松岡弘監修『初級を教える人のための日本語文法ハンドブック』(スリーエーネットワーク)p. 195。

*4:英訳が凝った訳し方をしているので今回は「夏の間、私は来る日も来る日も」と訳してみた。以前フランス語版から訳したときは、par ces journées d’été を「あの夏の日々」と訳していた。

*5:『精選版 日本国語大辞典』(小学館)。

*6:『教師と学習者のための日本語文型辞典』(くろしお出版)。

*7:ちなみに西洋語に翻訳不可能な文などでは決してない。フランス語の訳者は Comme si à cet horizon enfin gagné par l'obscurité quelque chose, au contraire, était en train de naître... とほぼ忠実に訳している。

*8:『ウィズダム和英辞典』第2版(三省堂)。

世界のある意味の狭さ

三好達治「数人の詩人に就て」1950年

 立原の詩は、それまでのいろんな詩人がきり開いた世界から、敏感な彼が彼の好みで選りすぐつて身につけた、さういふ語彙と語法とに、彼の若々しい青春をうちこんだ、そんな珍らしい出会ひの上に成立つてゐる。ここでは詩語の一つ一つが、これまでの日本語には見られなかつた小ささに、――といふのはそんな繊細な詩的単位に、うち砕かれた上で、それらが一つの強い(弱々しげに見えはしてもとにかく強い)みづみづしく新しい精神の上に、蝶の翼を彩る鱗粉のやうに配列されてゐる。詩語の単位が変化したことは、即ち彼の詩が全く新らしい発声を得たことであつた。この時代の詩人で、彼ほど語感に鋭敏な詩人は、他にゐなかつたと私は信ずる。彼の世界のある意味の狭さは、そこからまた由来するが、そんな世界の広狭などは、本来詩人にとつてどうでもいい二次的の問題にすぎない、そのことをもまた立原の詩自身がはつきり語つてきかせるだらう。深く深く、鋭く、純粋に、強く、そのうへ美しく、一つの心情を隈なく歌ふことができるなら、詩人の能事は了る。その狭さは、恐らくはその永遠性に外なるまい。立原の詩には、さういふ無比の強みがある。

(『三好達治全集第六巻』筑摩書房、1965年、p. 337)

北園克衛?(無署名)、1951年

 ひとびとがそのあまりの稀薄さのためにみすててしまつたもの、またはその構造の緻密さのために壊してしまうことしかできなかつたものについてぼくたちは考える。フルウトをよくすることができないものにとっては、その微妙なキイのメカニズムがなんの意味もないように、つねにポエジィをもとめながら、しかもポエジィの微妙を誹謗することに慣れたひとびとにたいしても、ぼくたちはたえず前進していかなければならない。ぼくたちのこんにちの実験の主題は明晰な稀薄さの世界を創造することである。

(『VOU』第35号、1951年8月、p. 2)

立原道造 実現はいつも僕らをうらぎる

立原道造(1914-1939)

①ノート 1933年5月

 よいものを読んだ後、何も書くな、何も言ふな、お前は、その美しい恍惚を、お前の汚れた言葉で汚す 恥知らずを敢てするな。……

(全集第3巻、p. 461)*1

②丸山薫宛書簡 1935年3月

 うたふといふことが小鳥であり気まぐれであるだけならばうたひたくありません。うたふといふことが湧いて来る源が自分自身だとつきとめてからうたひたいと思つて居ります。自分だけのものをうたひたいのです。

(全集第5巻、p. 119)

③生田勉宛書簡 1935年10月

 何か、たのしいこと――それは出来さうなのだ。しかし、可能と実行の間に深い溝があつた。僕は可能を信じることこそ人間にとつて希望であらうとも思つたが、それはさうではないらしいのだ。けれど僕にはたのしくない、これが人生であり、現実だと、そのままに肯定したくない気持がある。可能、(たのしくなる可能)と実行の溝に橋を架けること、それがいりようだといひたかつた。

 だが、多くの人は たのしくなる欲望を捨ててゐる。僕はそれを多く見た、また聞いた。これは、僕の心をなぜか重く苦しくする。

 如何にしても、僕はよろこびを、あがいてさへ、求めなければならない。

(全集第5巻、p. 178)

④「火山灰」(手記) 1935年8月?

 ここでは、私は何もしてゐない。けれどたつたひとつ、私は、生きてゐる! これは今まで私が思つてゐたよりずつとよいことなのだ。私は生きてゐる!

(全集第3巻、p. 39)

⑤「夏の旅」より「Ⅳ やすらひ――I・Tへの私信」 1935年11月

 昔むかし僕が夢を美しいと信じた頃、夢よりも美しいものは世になかつた。しかし夢よりも美しいものが今日僕をとりかこむでゐるといつたなら、それはどんなしあはせだらうか。信濃高原は澄んだ大気のなかにそばが花咲き、をすすきの穂がなびき、遠い山肌の皺が算へられ、そのうへ青い青い空には、信じられないやうな白い美しい雲のたたずまひがある。わづかな風のひびきに耳をすましても、それがこの世の正しい言葉をささやいてゐる。さうして僕は、心に感じてゐることを僕の言葉で言ひあらはさうとはもう思はない。何のために、ものを言ひ、なぜ訊くのだらう。あんなことを一しよう懸命に考へることが、どこにあるのだらう。Tよ、かうしてゐるのはいい気持。はかり知れない程、高い空。僕はこんなにも小さい、さうしてこんなにも大きい。

(全文。全集第1巻、p. 126)

⑥「火山灰」(手記) 1938年?

 夢がほんとうに美しい、そして実現はいつも僕らをうらぎる。計画だけを信じよう、ついえてしまふいろいろなこころみだけを。

(全集第3巻、p. 65)

⑦深沢紅子宛書簡 1938年9月

僕は眠つてゐるときにする顔をいましてゐるでせう。その顔はどんな顔だか知らないけれど、そんな僕を僕は心から愛します。それが僕のほんとうなのでせう。おしやべりのうそつきの僕はうそなのです。しかし僕はひとのまへにゐると、とめどなくうその僕をつくり出してしまひます。そして僕はそのかげにかくれてしまひます。そんな僕でなくなりたい。ほんとうの僕が気持のいい僕になりたいとおもひます。うそは十分に美しくなることが出来る、そして僕はそんないつはりを信じないわけではないけれど、いつはりのきづいた美しさよりもちがつたものがいまは欲しいのです。僕の今までの歌は何としやれてゐて美しいいつはりの花だつたかと、ひとのもののやうにそのまへに僕は立つてゐます。しかし、あれには僕が大切な僕がゐない。今の僕はもつとちがつた歌をうたひたいとおもひます。

 宮沢賢治をよんでゐたら、宮沢賢治もかなしいうそつきです。僕がいま欲しいのはあんないつはりの花ではありません。あれは美しい。しかし、あれにも大切な大切なものが欠けてゐる。なんだかわからない。しかしあれを僕は信じられない。何かほんとうのもの、僕たちのいつはりをさへほんとうにかへてしまふことの出来る不思議なもの、僕たちの内部にながれてゐるもの、それがうたひ出したらとおもひます。僕の欲しいのはそれだけです。宮沢賢治だつてその深みではうたつてゐないとおもふのは僕の歪みでせうか。

 もとは宮沢賢治にはあのイメージの氾濫でだけ反撥した。しかし今はもつとふかく反撥します。大切な大切なもののために。

(全集第5巻、pp. 443-444)

*1:引用はすべて筑摩書房の『立原道造全集』(第1巻 2006年、第3巻 2007年、第5巻 2010年)による。